ボーイズ・ビー・キュリアス・アンド・サスピシャス、と朝日の社説にツッコミ入れてみる

久々に俺を燃やす社説があったので、ツッコミを入れてみます。
朝日新聞今日の朝刊-社説:61年目の出発 ホリエモンの予言

戦後を告げたのはラジオである。60年前の8月、昭和天皇の声で国民は敗戦を知った。
ラジオの役割はテレビの登場で小さくなった。広告費で見ると、テレビ、新聞、雑誌に次ぐ4位という時代が続いた。
昨年、この順位に異変が起きる。8年間で113倍に急増したネットの広告費に、ラジオは抜かれたのだ。
今年2月、新興ネット企業のライブドアが、ラジオ局のニッポン放送の株を大量に取得したことは、ネットの急成長ぶりを多くの人に印象づけた。
ホリエモンこと堀江貴文ライブドア社長は、海外特派員協会でこう語った。「ネットと放送の融合を加速させる」
この予言は現実味を増しつつある。
大量の情報を流せるブロードバンドが普及し、映画やスポーツ中継などをネットで流せる時代である。テレビニュースの動画はすでに無料で流れている。来春には携帯電話向けの地上デジタル放送も実現する。
放送局の強みは、魅力ある番組をつくる能力だ。これを独占的に持ち続ける限り、ネットとは共存できるだろう。
しかし、実際の番組づくりのノウハウを蓄積しているのは外部の制作会社だ。人気の高い国際スポーツの放映権も、ネット企業が獲得に動き出している。
これでは、放送はネットにのみ込まれてしまうのではないか。
堀江社長は、もうひとつ予言した。「市民が情報を発信する時代になる」というのだ。
巨大メディアの時代は記者の資質が重視されるが、今後は違う。役所の発表などは通信社から買えばいい。スクープは不要だ。ネット社会では個人がブログなどで発信する。インターネットは世界最大の口コミ網だ。そんな内容である。 市民からの発信が盛んになるのは悪いことではない。しかし、である。報道の専門集団のいない社会では、だれが情報を発掘し、真偽を見分けるのだろう。
米国で話題になった物語「EPIC 2014」は、こんな近未来を描く。
米国の情報検索会社とネット通販会社が、登録した個人の好みや職業などに合わせて情報を送る会社をつくった。
同社のコンピューターは、新聞のニュースサイトやブログなどから情報を抜き出し、個人に合わせて書き換えた記事を送るようになる。便利かもしれないが、悪くすると、真偽も定かでない、扇情的な内容になる。
これは空恐ろしい未来ではないか。判断のよりどころとする「羅針盤がないまま、情報の海だけが広がる。物語の筆者は結末を書いていないが、そんな社会はごめんだ。
私たちは、何としても人々から信頼されるメディアを目指していきたい。

  ◇     ◇

敗戦から60年。人も、社会も、大きな節目を迎える。ここから日本はどこへ向かうのか、シリーズで考える。

ということで、「EPIC 2014」はどんな物語なのか、を調べてみました。
最初に見つけたのは、これ。
ネットは新聞を殺すのかblog:「EPIC 2014」

2014年3月9日、グーグルゾンは「EPIC」を公開。
我々の世界へようこそ。
 この”進化型パーソナライズ情報構築網(EPIC)”は、雑多で混沌としたメディア空間を選別し、秩序立て、そして情報配信するためのシステムである。ブログの書き込みから携帯カメラの画像、映像レポート、そして完全取材にいたるまで、誰もが貢献するようになり、その多くが対価を得るようになる。記事の人気度により、グーグルゾンの巨額の広告収入のごく一部を得るのだ。
EPICは、消費行動、趣味、属性情報、人間関係などをベースに、各ユーザー向けにカスタマイズされたコンテンツを作成する。
新世代のフリーランス編集者が次々と生まれ、人々はEPICのコンテンツを選別し優先順位をつけるという能力を売るようになる。
私たちのすべては多くの編集者を購読するようになる:EPICでは、彼らが選んだ記事を好きなように組み合わせることができる。最高の状態では、EPICは、見識のある読者に向けて編集された、より深く、より幅広く、より詳細にこだわった世界の要約といえる。
しかし、最悪の場合、多くの人にとって、EPICはささいな情報の単なる寄せ集めになる。
その多くが真実ではなく、狭く浅く、そして扇情的な内容となる。

しかし、EPICは、私たちが求めたものであり、選んだものである。そして、その商業的な成功は、報道倫理のためのメディアと民主主義をめぐる議論が起こる前に実現した。

「個人に合わせて書き換えた記事を送るようになる」というのと「各ユーザー向けにカスタマイズされたコンテンツを作成する」とでは、微妙に意味が違うような気もします。
朝日新聞のテキストだと「事実と異なる記事」みたいな感じですが、元テキストだと「ユーザーが求めている(が、事実とは異なっていない)方向の記事(=テキスト)」という感じでしょうか。
そして、EPICが提供する情報の問題は「ささいな情報の単なる寄せ集め」であることが最悪で、それは朝日新聞のテキストが言うような「悪くすると、真偽も定かでない、扇情的な内容」ではなく「多くが真実ではなく、狭く浅く、そして扇情的な内容」、ということになります。
要するに、「ささいな情報」と、その「狭さ・浅さ」が重要な問題となる、ということですが、これについては朝日新聞は何も触れていません。
さてここで、そもそも「EPIC 2014」の元テキストでは何と言っているのか、という、例によってキュリアスなおいらの探索がはじまるわけですよ。
→「ネットは新聞を殺すのかblog:「EPIC 2014」」の中では、この元テキストは以下のところからの引用だ、と言ってます。
dSb :: digi-squad*blog: 「EPIC 2014」日本語訳
そこでは、英語のテキストは、以下のところにあると言ってます。
Summary Of The World: Googlezon And The Newsmasters EPIC
フラッシュ画像は以下のところにあると言ってます。
EPIC 2014
ところが、「Summary Of The World: Googlezon And The Newsmasters EPIC」では、ラストのほうが

EPIC produces a custom contents package for each user, using his choices, his consumption habits, his interests, his demographics, his social network - to shape the product.
A new generation of freelance editors has sprung up, people who sell their ability to connect, filter and prioritize the contents of EPIC.
We all subscribe to many Editors; EPIC allows us to mix and match their choices however we like. At its best, edited for the savviest readers, EPIC is a summary of the world - deeper, broader and more nuanced than anything ever available before.

となっていて、「最悪の場合」のテキストまでは掲載されてません。
ヒアリングがちゃんとできる人なら、「EPIC 2014」からテキスト起こしができるんでしょうが、俺はちょっと自信がないので、元テキストを探してみたら、こんなところにありました。
Media online in 2014: Google Grid, GoogleZon, EPIC

But at its worst, and for too many, EPIC is merely a collection of trivia, much of it untrue, all of it narrow, shallow stand sensational. But EPIC is what we wanted, is what we chose and its commercial success preempted any discussions of media and democracy or of journalistic ethics

ということで、朝日新聞の社説が示した問題提起は、こんな答で返すことができそうです。

報道の専門集団のいない社会では、だれが情報を発掘し、真偽を見分けるのだろう。

答。
発掘する人=キュリアスな(好奇心の強い)人。
真偽を見分ける人=サスピシャスな(疑り深い)人。
要するに、俺みたいな人

これは空恐ろしい未来ではないか。判断のよりどころとする「羅針盤」がないまま、情報の海だけが広がる。

答。
→「google先生」←その他の検索サイトがあれば、それが「羅針盤」(その情報はどこにあり、それは信じるに足りる情報か、というナビをしてくれるツール)になるので、そんなに空恐ろしい未来ではないと思います。