花岡信昭さんというキャラクターと記者クラブについて
こんなところから。
→花岡信昭ウェブサイト - my weblog : やはり記者クラブは必要だ
仙台で起きた生後11日の赤ちゃん連れ去り事件は、50時間ぶりに赤ちゃんが保護され、犯人3人も逮捕されて、最悪の事態は回避された。
借金がかさんだ50代半ばの男がフィリピン人妻らとカネほしさにやった犯行だという。決着してみれば、バカな事件を起こしたものだということになる。
この事件の経緯で浮かび上がったのが、記者クラブの存在である。やたら記者クラブ不要論が多いが、それは間違いであることが、今回の事件で明らかになったといっていい。
(後略)
とか、いろいろ言ってますが、コメント欄ではこんなのが。
おさださん。おそらく小生ほど記者クラブの実態を掌握しているのは、メディアの世界でも珍しいぐらいです。これは新聞協会の記者クラブ問題小委員会でも明らかになりました。そういう紋切り型の批判が困るのですな。記者クラブは日本の報道界が100年かけて築き上げてきた取材・報道システムの「智恵」なのです。部外の人が実態を知らずに半可通の批判をするのが一番困ります。今回の事件でも記者クラブがなかったら報道協定はあれほどスムーズにはできなかったでしょう。
Comment by 花岡信昭 ? 2006年1月11日(水曜日) @ 02時03分55秒
なんか、無駄にえらそうな人の風情です。
で、例によっていろいろ見てみたわけですが、
→権田萬治ホームページ Mystery&Media [ メディア ] メディア時評6:再燃した記者クラブ問題の争点
2001年5月15日に田中康夫長野県知事が「『脱・記者クラブ』宣言」を発表、県政記者クラブなど県庁内の三つの記者クラブに退去を求めるとともに、それまでクラブ主催だった記者会見を県主催に改め、記者会見には、従来の記者クラブ員以外の政党機関紙、宗教機関紙、週刊誌、『噂の真相』などすべての〝表現者〟が参加できるようにする改革を打ち出して大きな反響を巻き起こしたことは記憶に新しい。
こういう動きに対して、新聞協会は記者クラブ問題小委員会を設置して検討を重ねた後、翌2002年1月17日、新しいガイドラインとして「記者クラブに関する日本新聞協会の見解」をまとめた。
ふーむ…。
→Pressnet 日本新聞協会
→記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解
ネット時代を迎え、種々の情報発信が可能になっています。公的機関の中には、ホームページで情報を直接発信しているケースもあります。しかし、情報が氾濫し、また情報の選定が公的機関側の一方的判断に委ねられかねない時代であるからこそ、取材に裏付けられた確かな情報がますます求められていると言えます。そうした時代にあって、記者クラブは、公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく重要な役割を担っています。
ちょっと花岡信昭さんのことをもう少し詳しく知りたくなりました。
→花岡信昭 - Google 検索
→季報:随想「長野県知事選挙にかかわって」
田中康夫という人が長野県を混迷に陥れた。産経新聞の論説を担当していた小生は、長野市に生まれ、長野高校を卒業して東京の大学へ行くまで長野で育った。現在も七十七才の母親がひとりで住んでいる。道路公団民営化で活躍している猪瀬直樹は、幼稚園から小中学校、高校まで一緒だった。竹馬を作って遊んだこともあったから、文字通り、竹馬の友である。
それはともあれ、長野の惨状を見るにつけ、やむにやまれぬ思いが募るばかりだった。知事としての資質とその人格まで問われて、不信任決議案が県議会で圧倒的多数によって可決された。引きずりおろした県議団側は、対立候補をなかなか決められない。パフォーマンスと独善、ポピュリズムの典型ともいえる田中と真っ向から切り結んでみたい。そうした思いが、胸の内にがぜん高まった。
田中真紀子前外相の一連の事例を取り上げるまでもなく、ポピュリズムは現代日本が直面する最大の病弊でもある。ポピュリズムとの戦い。ここは人生をかけて悔いのない局面ではないか。かねて親しくして頂いていた長野県出身の中條高徳氏(アサヒビール名誉顧問)が「男なら断固、立つべし」と背中を押してくれた。中條氏は県内の政財界ともつながりが深い。そうした立場からしても中條氏の情勢判断に従うことにした。
2002年秋の長野県知事選に、田中康夫と戦う形で立候補する予定だったみたいです。結局は家の事情で断念せざるを得なかったみたいですが、私的には当選していたらものすごくえらそうな(アンチ・ポピュリズムな)県知事になったんじゃないかと思ってしまいました。
でまた、花岡信昭さんのブログのコメント欄なのですが、
→花岡信昭ウェブサイト - my weblog : やはり記者クラブは必要だ
お前馬鹿だろ。一つの功績で99の欠点をチャラにできるわけがねぇだろが。惨傾上がりはこれだから・・・康夫ちゃんにやられたことまだ忘れられてねぇんだな(嘲笑)。
花岡よ。じゃあ2000年にあった買春野郎の「神の国」釈明会見の際、NHK記者がメモ作った問題で記者クラブは「調査はしない」上、報じた西日本新聞をクラブ除名しようとしたことについてなんか言えや・・・言えねぇか、お前ヒキョー者だからなぁ・・・長野知事選のように(嘲笑)。
記者クラブが問題になっとるんは取材対象(cf:政治屋、大手企業)との癒着だろうが!論理のすり替えはお前のような戦中全体主義者がよく使う手や、もっともある程度教養ある奴には通じないがな(癒着の問題についても答えてね。あっ、こんなこと書いたら弱いものイヂメになっちゃうかも〜)。
Comment by ヒロヤちゃん ? 2006年1月12日(木曜日) @ 19時44分35秒
ということで、このあたりを掘ってみたくなりました。
記者クラブに関しては、そのできた経緯などにも興味があるんですが、また長くなりそうなので後日。
この話は、もう少し続きます。