「日本の市民団体が外国の人たちを煽っている」と書かれるのが嫌いな人たち

とりあえず基本的な問題として、まず文藝春秋の2005年12月号に掲載された「「バターン死の行進」女一人で踏破」(笹幸恵)のテキストのどの部分がどう間違っていて、どういう抗議をしたのか、みたいなことを見てみないといけないわけですが。
メモなんで適当に書いておくと、サイモン・ウィーゼンタール・センターが「日本だけ眼中の外に置いている」ということはありませんが、日本を特に重要視している、ということもありません。日本にはそもそもホロコースト反ユダヤ主義的な思想の持ち主がいたりする土壌はないので(追記:その根拠は「日本国内にいるユダヤ人の数・ユダヤ教信者の数」です)。ただ、真実を知ろうとすると「禁断の領域」に近づいたりするわけですね。
で、外国の人たちに「ここでこのようなことを言っている」と情報提供をする(煽る、という言葉はまぁ、無駄に刺激的に感じるようなので控えます)人・団体は存在し、その多くは反・政府的な姿勢の人・団体であることが多いです。別にそのこと自体を俺は責める気はありませんが、その情報提供の段階で、元の発言者(記述者)のテキストを正確に伝えていないとかがあると気になるのです。「正確に伝えていない」というのは、思想的にゆがませるとか、言ってもいないことを言ったと言う(書く)というような、露骨な歪曲ではなく、要旨(サマリー)の形で伝聞する、というレベルの不正確さ、なわけですが。
で、外国の人はほとんど日本語が読めないし、日本に対する情報も限定されている中で、「ここでこのようなことが言われている(書かれている)」という情報があった場合、元テキストに当たることがないまま抗議してしまう(抗議する団体がある)、というのが、俺的美意識の中で「美しくないな」と思うわけです。
たとえば、前にも言ったことですが、俺は日本国内のことを除くと諸外国の、特に(いわゆる「ネット右翼」がネタにしている)中国・韓国のことはほとんどネタにしていません。なぜなら中国語・韓国語が読めないので、元テキストに何が書かれていたか、の情報が理解できないからです。
中国に「対日工作機関」みたいなものがある、というと、「工作」という言葉が普通に「作戦」というニュートラルな意味で使われる中国と、「工作員=スパイ」であるという意味な日本とでは、同じような言葉(漢字)を使っているだけにかえって誤解が生じやすいわけで、そこらへんはネタの材料としてはいろいろありそうなのが残念なんですが。(エキサイト翻訳だと「工作」は「仕事」って出てきます→http://www.excite.co.jp/world/chinese/)。
で、また前に言ったことの繰り返しになりますが、「日本人はこう考えている」とか「こう考えている俺がいる」みたいなことは、生のまま、世界に通じる言葉(英語)で言ったり書いたりしたほうがいい、というか、すべきじゃないか、というのが俺の考えです。
それをしないまま国内でいい・悪いとか言ってたり、ある行為や言論に対して否定的な人たち・団体が、その行為・言論を諸外国に要約(ひどい場合は歪曲・捏造?)した形で紹介したりするのにまかせていてはいけない、ということが結論です。「日本の市民団体が外国の人たちを煽っている」ということに関する意見提示・批判は、そういうことをする人たちと同時に、そういうことを許している(自分で元テキストを外国の人たちに読める形で提供しない)人たちに対するものでもあります。
ただ、個人的には、外国に情報提供をしている人たち(連帯していることを公式に表明している人々)が、他のところでどういう風につながっているのか、みたいなことのほうが面白いので、「反日陰謀組織」的誇大妄想におちいらない(外から見て、そのように見えない)程度には言及するかもしれません。
 
これは以下の日記に続きます。
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