松浦寛『ユダヤ陰謀説の正体』は、無駄に熱い以外は普通に楽しめる反・反ユダヤ主義の本でした

ということで、松浦寛『ユダヤ陰謀説の正体』(ちくま新書)を読んだわけですが(→amazon)、この本が出版された「1999年」という時代前後を意識させられる、猛烈にうるさい(熱い)反・反ユダヤ主義の本でした。
そう言えば当時は小林よしのりが、『戦争論』その他で日本人であることの正当性をもっと主張しろ、みたいなこととか言ってたり、1995年にはマルコポーロが(この本が出される4年前ですか)「ガス室はなかった」と言って廃刊になった年なので、何となく世間的には「反ユダヤ主義」というか、ユダヤ人の陰謀論に関して声の大きな人が目立っていたのかなぁ、と当時を回顧してみたりしました。大きい声でなくてもそれが目立っていれば、対抗策として「そんなことないって」みたいなことを言う声も大きくしないといけないわけで、そういう意味でこれは「ユダヤ陰謀論(陰謀説)」に対する否定としては、今読むとそのうるささがかなり気になりますが(そんなにムキになって否定しなくても)、その部分を除くと普通に、世間に蔓延している誤訳の指摘とか、反ユダヤ主義の人のトンデモ性とかが語られていて、楽しめる本ではありました。
たとえば第7章「UFOとホロコースト」の章とか、ポール・ド・マンのプロ・ナチ疑惑に基づく「脱構築デコンストラクション)」批判のムーブメントとか(p208)ネタとして面白そうなものはいくらでもあるのですが、今回の読書の目的は「戦前の日本における、特に思想面での反ユダヤ主義」に関するものだったので、言及もそれに絞ると、第4章「日本思想におけるユダヤ人」がメインになるでしょうか。簡単に要約しながら、キーワードとしてのあれこれをチェックしてみたいと思います。
1・少年小説の中の「ワルモノ」としてのユダヤ人を描いた、山中峯太郎海野十三北村小松。その例として『大東の鉄人』(山中峯太郎・p63ほか)、『浮かぶ飛行島』(海野十三・p74-75)の当該部分引用(俺的注:当時の少年を対象にした小説の、「悪役設定」におけるユダヤ人の比率とその扱いについて調べたいんだけど、これを本格的に調べると文学部の「修士論文」レベルのテキストになりそうなので難儀)
2・宮沢正典「ユダヤ陰謀論・同祖論発生の謎」(新人物往来社ユダヤ人問題に関する本格的論考』)における、日本政府当局の対ユダヤ人政策は緩かった、という指摘(俺的注:元テキストに当たってみる)
3・太宰治が『文化展望』(1946年4月)に書いたテキストで、「右大臣実朝」という小説を書いたら、「ユダヤ人実朝」と呼んで、太宰を非国民扱いした「忠臣」の存在(俺的注:これはどう考えても太宰的なギャグだと思うんですが、面白い話なので前後も含めて読んでみたいと思います)
4・1923年、『マッソン結社の陰謀』および『シオン議定書』と題するパンフレットが全国中学校長協会の名で教育界に頒布された(俺的注:「誰」が「どのくらいの規模」で頒布したか調べたい)
5・外務省の外郭団体と目される国際政経学会から、『国際秘密力の研究』という機関誌が発行され、それに「シオンのプロトコール」が連載される。それはさらに月刊『猶太研究』に引き継がれる(俺的注」:この「国際政経学会」というのは、「誰」が主宰していて、本当に外務省の外郭団体だったのか。外務省でそれに関係した人物は誰だったのか調べる)
6・1942年12月に、「大日本言論報告会」が創設され、その常務理事野村重臣による『戦争と思想』(1942年)という著作では、「英米の背後でこれを操るユダヤ財閥の陰謀に言及」している、と、栄沢幸二は『「大東亜共栄圏」の思想』(講談社)の中で述べている(俺的注:どちらも元テキストに当たること。また「大日本言論報告会」および野村重臣の影響力についても調べる)
7・カレル・ヴァン・ヴォルフレン「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」という論文(窓社『日本の知識人へ』収録)において語られる「二つの有害な伝統」(現行の社会システムに肯定的な伝統、および諦観の伝統)と京都学派(俺的注:これもヴォルフレンの元テキストを読む)
8・大日本言論報告会に参加した西田幾太郎の弟子たち、具体的には高山岩男高坂正顕(俺的注:その二人について調べるのと、他にも大日本言論報告会に参加した京都学派の人間がいないか調べる)
9・『近代の超克』(『文学界』1942年9・10月号所収)と並ぶ「悪名高い」座談会『世界史的立場と日本』(『中央公論』1942年1月号所収)における高山岩男の言(俺的注:これも2つの元テキストを読み、その意味について言及している人間について調べる。特に「悪名高い」と言っている人物は誰なのか。高山岩男については、戦後の履歴も調べる)
10・高坂正顕『歴史的世界』(1937年)における「国家が道徳的勢力であり、道徳的自由であるのは、却って道徳的課題としての民族と領土とを、即ち血と土とを自己の基体とするが故」というテキスト(俺的注:そのテキストの文脈、つまり「前後」を確認する)
11・和辻哲郎『風土』(1935年)におけるユダヤ人に対する言及(ギリシア人/ユダヤ人を日本人/シナ人に対比させているという説)(俺的注:和辻哲郎の「ユダヤ人」に関する言及を確認しながら著作を読んでみる)
と、まぁ課題が多すぎるぐらいあるわけで、これだけで今年の残りのネタ全部になりそうなボリュームなんですが、たとえば山中峯太郎和辻哲郎が当時の国民思想に与えた影響というのは大きかったとはいえ、今は比較的どうでもいい人物なので(当時という時代背景を意識していないと読めたものではありません)(追記:「どうでもいい」という表現は誤解を招くかな。まぁ当時の時代背景を背負った言動については、断罪方向で言及する気が俺にはない、ていうか手に余る、という意味です)キーワードとして重要なのは、
国際政経学会
大日本言論報告会

という二つの組織の中で「反ユダヤ主義」のテキストを紹介したり書いたりした人物、ということになりそうです。あと、「全国中学校長協会」の中の反ユダヤ主義的な人、とか。
面倒なのでメモ程度のものになりそうですが、まぁこんな感じです。