長崎の「平和市民団体」と被爆者の関係について考える(その1)
こんなところから。
→被爆語り部の政治的発言自粛を要請 平和推進協(長崎新聞:過去のニュース2006年1月21日(土))
長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」は二十日、修学旅行生らに被爆体験を語る「継承部会」の臨時総会を市内で開き、イラクへの自衛隊派遣や憲法改正など「国民の間で意見が分かれている政治的問題」について、被爆体験講話の中で言及しないよう要請した。部会員の一部は「被爆体験以外は話すな、と制限するのは理解できない」と強く反発している。
関係者の話を総合すると、臨時総会には部会員三十八人のうち三十三人が出席。要請について協会側は「被爆体験を基に核兵器廃絶と世界の恒久平和を求め、市民の平和意識を高めるのが協会設立の理念」とした上で、「(協会は)市の補助金で運営されている公益法人で、国論を二分する問題には中立の立場。部会員は協会を通じて派遣されており、趣旨を理解してほしい」と説明した。
総会の配布資料では「政治的問題」としてほかに、▽太平洋戦争での天皇の戦争責任▽有事法制▽原子力発電▽靖国問題―などを列挙。湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾によるイラクでの健康被害についても「科学的な根拠が立証されていない」と自粛を求めている。
これに対し、部会員の一部は「被爆体験と現代の問題をつなげて話してこそ、子どもたちの平和意識を高める」「良識に基づき話している。なぜ信頼してもらえないのか」と強く反発している。
同協会の丸田徹事務局長は「被爆者個人の主義主張を規制するものではない。協会活動の中でルールとして守ってほしいという趣旨」と話している。
同協会は、行政と市民が一体となって核兵器廃絶運動を進めようと一九八三年に設立。継承部会員による被爆体験講話は年間千件前後に上る。
同協会をめぐっては、一昨年八月、同市で開催された「全国平和教育シンポジウム」の名義後援を「政治的性格」を理由に拒否し、主催者側が公開質問状を提出した経緯がある。
多分これが、この件に関する最初の報道だと思いますが、過去の因縁はこんな感じ。
→今後の平和教育を考える 人権、戦争など討論−−長崎大でシンポジウム /長崎 MSN-Mainichi INTERACTIVE 教育ニュース(キャッシュ・2004年8月29日)
平和教育にかかわる全国の教職員や市民の全国平和教育シンポジウムが28日、長崎市の長崎大で始まった。人権、民族、戦争などをどう子どもに伝えていくかを分科会で話し合うほか、原爆遺構と軍需工場跡などの戦争遺構を持つ長崎のまちの二面性を見学する。29日まで。
日本平和教育研究協議会が主催。長崎開催は3回目。今年は「未来に生きる希望と確信を−戦争ができる国と平和教育」をテーマ。
代表委員の岡本三夫・広島修道大教授は「行政が平和教育から手を引き、平和教育が殺されていく」と危機感を訴えた。現地実行委員長の舟越耿一・長崎大教授は、長崎平和推進協会が有事法制、イラク戦争反対という政治的な性格などを理由に後援依頼を断ったことを批判した。
沖縄の視点を編集方針にした教科書作りを進める高嶋伸欣・琉球大教授が「沖縄から見る日本社会と平和教育 共生の場の拡大に向けて」と題して記念講演。沖縄での米軍基地や、戦争体験の学習などの問題を取り上げ「日本の平和教育は戦争にこだわりすぎていないか」「戦争を教える場合、同情心から被害の悲惨さばかりを強調し、日本がどういうことをやったのかを忘れてはいないか」などと語りかけていた。【横田信行】
そこらへんの「長崎平和推進協会」と「全国平和教育シンポジウム」それぞれの関係者がどういう風にからんでいるか、みたいなのも調査してみると面白いとは思うんですが、長くなりそうなのでちょっと今回は避けておいて。
なぜかこんな記事が2006年の3月に出て、
→被爆体験:講話に規制「協会」の批判相次ぐ 「継承を考える市民の会」初会合 /長崎:MSN毎日インタラクティブ(2006年3月5日・キャッシュ)
被爆体験を通し平和を訴えていく、より良い方法を市民全体で考えようと結成された「被爆体験の継承を考える市民の会」(代表=舟越耿一・長崎大教授)の初会合が4日、長崎市であった。
会合では、市の外郭団体「長崎平和推進協会」が会員に対し、被爆体験講話の際、靖国問題や憲法改正などは政治的問題だとして言及しないよう求めた点に議論が集中。参加者からは「政治で戦争が起きたのに、政治の絡まない話などできるのか。核兵器廃絶こそ最大の政治的問題」などと、協会の姿勢に対する批判が相次いだ。
また、教育関係者からは「単なる身の上話だけでは子どもたちに説得力はない」「事前によく勉強している子どもたちほど、今起きている問題を質問する。協会の事務局が言うように『みんなで考えて』と答えをはぐらかしていいのか」といった不満も。「協会の要請が、学校現場で講話の内容への規制につながる」という指摘もあった。
会合には被爆者、教諭、高校生など約60人が参加。会は今後もこの問題を考える場を設けていくことを確認した。【横田信行】
このニュースは、全国紙ではこれが第一報だったと思います。
記事を書いた人が他にどのような記事を書いているか調べてみると、
→横田信行 - Google 検索">
この人の記事では、以下のものが興味深いんですが、
→高校生1万人署名活動:核廃絶への思い胸に 高校生と被爆者らNZへ /長崎−高校:MSN毎日インタラクティブ
◇体験伝え街頭で署名活動
核兵器廃絶を求める声を国連に届けようと、県内の高校生が取り組んでいる「高校生1万人署名活動」実行委員会のメンバーと被爆者ら3人が22日、被爆体験を伝え、署名活動をするためニュージーランドへ出発した。一行は30日までの日程で、ウェリントン市の高校で交流し、日本からの留学生らと街頭で署名を集める。
出発したのは活水高校(長崎市)2年、香田絵奈さん(17)のほか、退職婦人教職員県連絡会議会長の元山寿恵子さん(75)▽県原爆被爆教職員の会会長の川副忠子さん(62)−−の被爆者2人。
1万人署名の“卒業生”でつくる平和運動グループ「21世紀平和ネットワーク」のメンバーで同国に留学中の伊東亜美さんが、被爆者から直接話を聞く機会のない地元の高校生に被爆体験を聞いてもらおうと提案した。
出発に先立つ会見で、香田さんは「地元の高校生が核兵器について何を考えているのか聞いたりして、被爆していない自分に何ができるのか考えていきたい」。元山さんは「生き残った一人として生ある限り活動する」、川副さんは「現地で反核の運動・教育を学んできたい」と意気込みを語った。【横田信行】
まぁ、この話は後回しにして、
→「政治的発言、被爆者は自粛を」平和推進協の要請に波紋 (朝日新聞) - goo ニュース(2006年 3月22日 (水) 12:51)
長崎市の外郭団体・長崎平和推進協会(推進協)が証言活動をする被爆者に「政治的発言」の自粛を求め、波紋が広がっている。関係者は「言論の自由の侵害だ」と方針撤回を求めるが、推進協は拒んだままだ。
1枚の文書が発端だった。タイトルは「より良い『被爆体験講話』を行うために」。推進協が1月20日、継承部会に所属する被爆者29人を集めた総会で手渡した。
「意見が分かれる政治的問題についての発言は慎んでいただきたい」と記し、具体例として(1)天皇の戦争責任(2)憲法(9条等)の改正(3)イラクへの自衛隊派遣(4)有事法制(5)原子力発電(6)歴史教育・靖国神社(7)環境・人権など他領域の問題(8)一般に不確定な内容の発言(劣化ウラン弾問題など)の順で示している。
危機感を抱いた被爆者らがつくった「被爆体験の継承を考える市民の会」は今月13日、推進協に方針の撤回を求めた。
代表の舟越耿一(ふなこえ・こういち)長崎大教授(60)は「原爆は戦争という時代の中で落とされた。いま日本は戦争への準備を始め、核戦争の脅威も迫る。『政治』を抜きに語れない」。8項目を選んだ理由も不透明だと指摘する。
推進協によると、以前から被爆者の証言について「話が聞きにくい」「主張が偏っている」という声が、学校などから寄せられていた。丸田徹事務局長(60)は「このままでは話を聞いてもらえなくなるし、中立性を保つことが必要だと考えた。文書は撤回しない」と話す。
推進協は83年、原水爆禁止運動の分裂をきっかけに官民一体の幅広い組織を目指して生まれた。政治的に意見が違っても、核兵器の廃絶と平和の実現という「最大公約数」で団結しよう。今回の要請はその方針の再確認が狙いだったという。
だが、推進協の設立に深くかかわった前長崎市長の本島等さん(84)は「一つの価値観への忠誠を強いて戦争へと突き進んだかつての道が現れた」と危機感を示す。
88年12月に市議会で「(昭和)天皇の戦争責任はあると思う」と発言。90年1月、右翼団体のメンバーに市庁舎前で銃撃されて胸に重傷を負った。「民主主義は少数の意見も尊重し、議論を交わせること。社会全体が言論の自由を軽視するようになるのは心細く、寂しい」
「長崎平和推進協会(推進協)」のサイトは、以下のところだと思いますが、
→(財)長崎平和推進協会-ピースウィング長崎
「より良い『被爆体験講話』を行うために」という文書は公開されていない様子。
「継承部会に所属する被爆者29人のリストは、多分以下のものですが、
→講話者プロフィール
具体的に、誰がどのような主張・イデオロギーを持っているか、みたいな個別の分析はやめておきます。
その後のニュースはこんな感じ。
→長崎 / 西日本新聞 [政治的発言 自粛要請「撤回せず」 平和推進協 市民の会に文書回答へ](2006年3月24日)
長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」(推進協)の理事会が23日あり、被爆講話での政治的発言自粛要請に対し市民団体「被爆体験の継承を考える市民の会」が撤回などを求めていることについて、横瀬昭幸理事長が市民の会に文書で回答することを承認した。
横瀬理事長は「(自粛要請は)規制ではなくお願いであり、方針の撤回はしない。推進協は不偏不党でなければ(活動に)ついて行けない人が出てくる。それは避けたい」と主張。朝長万左男副理事長も「講話の対象が子どもなので配慮してほしいというだけ。政治的問題について質問されたときは自分の考えを語っていいと思う」と話した。
市民の会に近く郵送する文書は「推進協は核兵器廃絶に賛同するすべての人に窓を開いている公益法人で、不偏不党を旨に運営している」「市民の会からの要請は世界平和を願う意見として協会運営に参考にする」などの内容になる見通し。(2006/03/24 西日本新聞朝刊)
→Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 被爆講話規制:方針撤回、推進協に再び要求−−「回答不十分」と市民の会提出 /長崎(4月1日15時2分)
市の外郭団体「長崎平和推進協会」(横瀬昭幸理事長)が会員の被爆体験講話で政治的問題に言及しないように求めた方針を巡り、撤回などを求めていた市民団体「被爆体験の継承を考える市民の会」は31日、推進協の回答が不十分として改めて要求書を提出した。
要求書は、推進協の回答を「不完全かつ無責任」と批判。方針撤回▽会員の言論・思想信条の自由の保障▽推進協の民主的な運営――の3点への明確な回答と、横瀬理事長ら責任者との意見交換を重ねて求めている。
推進協の回答(27日付)は、3点について直接言及せず「推進協は公益法人で不偏不党を旨に運営しており、講話でもその立場を損なわないよう努めている」などとた。また、同会が求めた意見交換にも応じていない。
お互いの主張や質問・回答内容がネット上では見当たらなかったので残念なんですが(誰かどこにあるか知っている人がいたら教えてください)、「長崎平和推進協会」の理事長・横瀬昭幸さんは、こんな感じの人です。
→騎士誌1(この人)
高校時代、進路を決めるとき、横瀬さんは防衛大学行きを希望していた。しかし、医者だった父が親友、源田実氏(海軍軍人出身で参議院議員)を通して、しきりに医者の道を進めた。慶応大学、東京大学、長崎大学などを受験したがいずれも失敗。最後に受けた久留米大学医学部に合格する。心臓外科を志した。学位論文は「異種生体弁移植の研究」。卒業後は、先輩医師のアシスタントとして、数多くの心臓手術に立ち会った。術後、患者のベッドの下に寝、手当てにあたったこともしばしばだった。力及ばず、患者が亡くなると、家族と一緒になって涙を流して泣いた。
左寄りの人とは根本部分で波長が合わなさそうです。この人のお父さんにも、とても興味を持ちました。
「被爆体験の継承を考える市民の会」はまぁ、こんな感じです。
→岡まさはる記念長崎平和資料館(別館): 「被爆体験の継承を考える集い」報告
ちょっと遅れましたが、報告です。
先日4日、被災協事務所で開催された「被爆体験の継承を考える集い」は、主催者「被爆体験の継承を考える市民の会」の予想をはるかに上回る人数が集まり、またマスコミも以前とは打って変わって多く取材にあらわれました。
代表の舟越さんが、一昨年に全国平和教育シンポジウムの後援を(財)長崎平和推進協会(推進協)に断られた経過等含めた挨拶をした後、推進協会員でもある森口さんから経過報告がなされ、その後すぐ活発な議論に入りました。20名以上の方が発言し、そのなかでも自らが原爆体験を話すなかで、「なぜ原爆がおとされたのか、これからどうしたらいいのか」という、原爆の「前後」を語らなければ生徒たちは納得しない(「身の上話だけを聞いてどうする・その時代に生きてなくてよかった」等の反応になる、また、ショックを受け将来に悲観的になる)、また、「『核兵器廃絶』は大きな政治的問題ではないのか」といった指摘が多くなされました。
山川さんが、推進協の自粛要請のキーワードとして、「推進協からの『派遣』」ということがあり、この「派遣」とは、辞書によれば「命令」という意味も含まれているのであって、半官半民の(つまり「民」ではない)推進協から、「派遣されていることを自覚して話せ」といわれているようだ、と指摘。更に恐ろしいのは、そういった推進協の条件(「政治的」なことを話さない)が学校現場にも拡大してゆくのではないか、という危惧もいわれました。
こうした被爆証言者たちからの話以外にも、現役・OBの教員の体験が多く話され,また、高校生からの発言として、「被爆者から『バトンタッチしましたよ』といわれて、平和のために何かやりたいと思ったし、そういう話を聞いてよかった、これからもして欲しいと思う」との要望もでました。
そして、現在の状況としては、すでに被爆講話にチェックが入っているのではないか、ということがあり、今後修学旅行の時期になってどういう注文が出てくるのか要注意だという指摘や、推進協の運営の形式が民主的であるのかどうかという疑問も出されました。これについては主催者側も、あくまでも、「なぜいま、こんな事をこのような形で出してきたのか」ということが問題である、これは推進協内部の問題だけではなく、市民に向けられた問題でもある、1回きりの話し合いではなく、今後につなげてゆきたいという方向性を示しました。
最後にまた舟越さんが、「言論の『自由市場』において、『中立』ということで枠をはめようとするのは、権力による規制である。政治を語らずに平和を語れない。政治について話すことに臆病であってはならない」と話し、山田さんが、「これからの継承活動で、どういうことが語られているか」に市民も大きな関心をもってほしい」と提起して、終了しました。
今後の行動などについては「市民の会」の方で方針を提起し、よびかけがなされるとのことです。
以上
長崎新聞関連記事(3月5日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2006/kiji.html
「被爆体験の継承を考える市民の会」の代表・舟越耿一さんはこんな感じです。
→舟越耿一 - Google 検索
被爆者との関係はどういうものなのか、よくわかりませんでした。
→平和新たな模索連載1
今年(引用者注:1999年)五月、世界の非政府組織(NGO)が中心となってオランダ・ハーグで開いた国際市民平和会議「ハーグ平和アピール’99」。百カ国以上から約八千人が集まった。
熱気に包まれた会場の中で、長崎大の舟越耿一教授(53)は一人、いいようもない焦燥感を覚えていた。
舟越教授も出席した核兵器問題を扱う分科会。海外の発言者から「ヒロシマ」「ナガサキ」の言葉が一言も出なかったのだ。広島、長崎抜きで、今後の反核運動が語られていた。
「日本人は『広島、長崎が平和の原点』と信じてきたかもしれないが、世界の反核平和運動の中心にはなり得ていなかったのではないか」
舟越教授は「核廃絶に向けた具体的な行動を示していかないと世界に通用しない。長崎の運動に欠けていた部分だ」とも指摘する。
どうもこの人が「長崎での原爆体験」を持つ被爆者のかたがたに、反政府的な発言・政府批判の発言をするよう煽っているとか政治的に利用しようとしているのかな、という感じでした。
また、1999年の「ハーグ平和アピール’99」での「核兵器問題を扱う分科会」では、どのようなことが話されたのかにも、少し興味を持ちました。
ちょっと長くなったので、この話はまた別の日に続けることにして、今日はここらへんで終わります。
これは以下の日記に続きます。
→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060415#p1