俺の逸物の大きさを語るのに、人の逸物を批判的に語る必要はない。それが俺のブックマークなのでした

以下のところ(俺の日記のコメント)から、
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060422#c

# bin3336 『まるで自分のことをいわれているような気がしました。 >嫌な性格の人
私の場合、はてブはほぼ汚し専門に使っております。
> この人はそういうことしてて楽しいのか
まず、肯定ばかりのコメントだと、(新興宗教のようで)生理的にキモいという感じがあり、じゃあ、誰も書かないんだったら俺が書いてやろうという気分はありますね。あと、自分のブログよりもはてブのコメントの読者のほうが多い、議論が長引かない、気軽に書けるとかありますね(炎上など真っ平なので)。他の人はどうか知りませんが、一応、こういう考え方の人間もいるということで。』

ちょっと話を違う方向からしてみます。
ネットのテキストが今みたいにとてつもなく多い量になる前は、「全体の底上げ(レベルアップ)」が必要かなぁ、とも思ってたんですが(おいらの「ReadMe!」総まくり時代、と言ってももはや知らない人のほうが多いですね)、今の状況を考えると「あまり知られていない、面白い・役に立つ・興味深いテキストやサイト」を紹介していったほうが、俺および俺みたいな性格の人(ロングテールが好きな人)には向いているんじゃないかと。要するに、メジャーだろうがマイナーだろうが、どうでもいいテキストは無視する、みたいな感じで。批評・批判すらしない、というのは、ある程度話題になったテキストに対しては、別に俺がやらなくても、と思うのですね。確かにまぁ、「あまり頭に乗りすぎるなよ」みたいに否定的感情が起きることはありますが、言うほどのこともないし。
結局、俺のブックマークのしかたも、id:bin3336さんのしかた(コメントのしかたも含む)も同じことで、「俺はこんなにすごい奴なんだぜ」という過剰な自意識が背後にあるわけで、俺の場合は「こんなにあんまり知られていないテキストを紹介している俺ってすごいだろ。みんなどんどん追加ブックマーク登録してくれよ」だし、id:bin3336さんの場合は多分「肯定ばかりのテキストをブックマークで汚せる俺ってすごいだろ」みたいな感じですか(違ってたらすみません)。
ただ、俺の場合は「他の人がブックマークどんどんしてくれた」ということで自我・自意識を満足させることが容易なんですが(逆に、そういうことがないと少しだけですがへこみます)、id:bin3336さんの場合は、どういう状況になったら満足することが可能なんでしょう
それがもう少し俺にわからないと、「ブックマークのコメントで批判的なことを書く人」は、わからないまま「嫌な感じ」という、感覚的な否定しかうまく語れないのですね。
 
(追記)
コメント欄参照です。