「新聞(マスメディア)に対する信頼度」というのは、日本の一般人にとってはどのようなものだろうか
こんなところから。
→『ネットは新聞を殺すのか?』&『新聞のなくなる日』(その3)/SAFETY JAPAN [インタビュー]/日経BP社
――日本の新聞が読者を誘導するような報道をしているのではないかという不信感が一部の人にあるような気がしますが、その点はいかがですか。
湯川鶴章氏 湯川(湯川鶴章):
不信感というのは数値としてはとても調べにくいものだと思いますが、一応、先進国の間では新聞に対する信頼度調査がありまして、それによれば日本人は先進国の中で最も新聞を信頼している国民だという結果が出ていました。もっとも「信頼」という言葉自体が言語によって違ってくるので、一概には比較できませんが。
私のアメリカ生活体験からいっても、日本人の方が新聞に対する信頼は強いかなと思いますね。しかし、それもインターネットの普及で急速に変化していると思います。というのも、何か注目すべき事件や事故が起きると、インターネットでは全国紙各紙の報道ぶりを並べて比較するようなサイトがたくさん出てくるようになりましたから。
それを見ると、どの新聞がどのような取材をして、どこが手抜きなのか、あるいはどこが誤報を流したのか一目瞭然です。それで、新聞はどうも信用できないなというムードがネットのユーザの間で広がっています。
読者が「記事を鵜呑みにできないな」と思っているので、毎日新聞さんなどもそれを感じて「主張を押しつけるだけの新聞はもういらない」といったキャンペーンを張っていらっしゃるのでしょう。
このように新聞もいろいろな主張を並べてみせるという方向に向かっており、ネットはその先を行っていますから、確かにかつてほど新聞への信頼はなくなっていますが、それは必ずしも悲観すべきことではなく、読者がメディアリテラシーを獲得して、賢明になってきたということではないかと思っています。
で、湯川さんは自分のブログでこんなことも以前に言ってました。
→ネットは新聞を殺すのかblog : オーマイニュース型は日本ではうまくいかないだろう(2005年12月30日)
果たして日本人は日本の既存メディアに対して不満を持っているのだろうか。
「メディアに対する信頼度の国際比較」という統計結果を見たことがある。その統計結果によると、日本は先進国の中でもマスメディアを最も信頼している人の割合が多いということだった。本当なのだろうか。こうした国際比較統計は、もともと非常に難しいものだと思っている。「信頼」という概念も言語や文化によって微妙に異なるものなのに、果たしてその度合いを科学的に比較できるものなのだろうか。
またわたしは日本と米国の2つの国でしか生活した経験がないのだけれど、少なくともわたしは日本人が米国人よりもマスメディアを信頼しているというように感じたことはなかった。それどころか日本のネット上の言説を見る限り、日本のネットユーザーの間には日本のマスメディアに対する相当な不信感があるように思える。
ということで、わたしは日本人が他の先進国の人たちよりもマスメディアを信頼しているという統計結果をそのまま鵜呑みできないのではないか、と思っている。
ということで、まとめると「日本ではマスメディア(新聞)を信頼している人は先進国の中では高いほうだが、ネットユーザーの間では不信感が広がっているようだ」というのが湯川さんの主張(考え)のようです。
で、俺もこの件について調べてみようと思って、湯川さんが言及しているテキスト(統計結果)という元ソースを探そうと頑張ってみたのですが、どうもネットではうまく見つからなかったのでした(多分俺の探しかたがヘタなせいだと思います)。ということで、滅多にしないことですが、その元ソースに言及している人(今回の場合は湯川鶴章さん)に、「ソース示せよゴルァ(意訳)」というメールを出してみました。とりあえず「どこにあったか忘れちゃったテヘ。でも探してみます(意訳)」というお返事をいただいたので、ご連絡もしくはこの件に関する更なる情報提供をお待ちしています。
今気がついたんだけど、その「信頼度調査」って、「新聞」に関するものか「マスメディア」に関するものなのかも、湯川さんの話とテキストの両方を見比べると、ちょっと不明だったのでした。
なお、「マスメディアに対する信頼度」に関しては、それについて言及(報道)したマスメディアが、さらにマスメディアの信頼度を下げる、という、ネットユーザーにとっては楽しい結果になっていたみたいです。
→Irregular Expression: TBS 筑紫哲也のNEWS23で世論調査捏造疑惑
→Irregular Expression: NEWS23筑紫哲也は日本のダンラザーになりたいのか?
→Irregular Expression: NEWS23がやったのは捏造ではなく詐欺でした
→TBS・News23「ネット時代のジャーナリズム論 」(1)−紹介された「調査結果グラフ」に突っ込みを入れる::マスコミ関係(不可視型探照灯)
→メモ:米国における主要な機関への信頼度調査::マスコミ関係(不可視型探照灯)
長いので要約すると、
1・2005年11月23日にTBSの「筑紫哲也News23」で「ネット時代のジャーナリズム論」特集というものが放送された
2・その中で「2005年5月」の「ギャラップ社」の調査として、「メディアへの信頼度調査」は「新聞 信頼している74% 信頼していない26%」「テレビニュース 信頼している73% 信頼していない25%」である、と言及し、グラフをテレビで流した
3・それが本当かどうか、「ネットあるある探検隊(仮称)」が、元のギャラップ社の調査を探し出してみた
4・そのギャラップ社の調査は、そもそも「メディアへの信頼度調査」ではなく「あなたは、私がこれから読み上げるアメリカの主要な機関について、それぞれどのくらい信頼しているか教えてください。(I am going to read you a list of institutions in American society. Please tell me how much confidence you, yourself, have in each one: a great deal, quite a lot, some, or very little. . . )」というものだった
5・それも「信頼している・信頼していない」の二者択一ではなく、「A Great Deal/Quite A Lot/Some/Very Little/None(vol.)/Unsure」という中から選ぶ、五者択一の設問だった
ということで、こんな結論。
→Irregular Expression: NEWS23がやったのは捏造ではなく詐欺でした
世論調査はその他全ての調査結果と比較するなかでその数値の意味が浮かび上がってくるわけで。ギャラップ社のこの世論調査を元にNEWS23は「米国民は米軍を92%、ブッシュ大統領を71%の人が信頼しています」とは絶対に報道しない。そういう意味では今回の一件はNEWS23の捏造ではなかったが視聴者を意図的に欺くために世論調査を巧みに利用しようとしている詐欺師的手口として不誠実極まりないマスコミの実態がつくづくよく分かる事例だと思う。「真面目なニュース番組が必要」とかなんとか言ってる特集でよくこんなデタラメやるよな。
ていうか、これ、湯川鶴章さんも出ていたのか。
こういう、新聞・テレビなどの報道による「意図的な情報操作」に関しては、俺の日記のテキストでもいくらでもありますが、ええと、そうだな、割とみんなに見てもらえたネタでは、これかな。
→おかしくてオナカイテー、な朝日新聞の「米国世論調査」
俺が個人的に好きなのは、これですね。調べるのに少し時間がかかったし。
→日本の政府開発援助(ODA)実績はまっとうか(「天声人語」から)
→Focusing on the poorest countries(最貧国への援助の優先度)とは何か
要するに、「中国・西安のはるか北西の小さな村に住む13歳の少女」のような人への援助を増やしても、「最貧国への援助の優先度」に対するGCEの評価(採点)は上昇しません。
1・中国に、貧しい少女がいる
2・日本の「途上国の基礎教育援助」は充分ではない
という2つの情報があって、それを一つのコラムの中で提供していることから読者に類推して欲しい結論は、
3・もっと中国に援助をしなければならない
だということは、天声人語の中の人(小池民男氏)的には自明でしょうが、まず、そもそも「2」が曖昧であること、さらに「2」が事実だとしても、それを改善するには「3」は無関係だということです。
で、「マスメディアに対する俺の信頼度」なんですが、俺は嘘を報道しない、という意味ではけっこう信頼しています。「○○が××と言った」と報道が伝える場合は、たいていの場合はそのように言っています。
ただし、真実(事実)を報道しているか、という点においてはいささか疑問を感じています。
つまり、○○という事実があり、別に××という事実もあって、ただし××を報道することが○○が事実であることによって有利な側に不利な場合は、それを報道しません。
これは、実は法廷における「弁護士」が使う戦術ととてもよく似ています。
→新聞はどう読めばいいのか
たとえば、裁判における証人尋問で、ある重要人物が容疑者と会っていたかいないかが問題だったとします。
弁護士「当日の夜中に被告が、その人物と会っていたという事実はないのですね?」
証人「はい、ありません」
そのような証人の証言は曖昧すぎて、検事としてはツッコミを入れなければならないところでしょう。「夜中」ではなくたとえば「明け方(早朝)」に会っていたかもしれないし、「午後8時」に会っていたとしても、その時間が「夜中」であるかどうかは、個人差があると思います。つまり、証人は「嘘は言っていない」が、「真実を語っている」わけでもない、というボーダーラインが存在してしまうわけです。
検事は証人の再尋問で、たとえば「その日の午後5時から翌日の朝の7時までに、被告はその人物と会っていたのか」というような質問をしなければなりません。
裁判の席において、関係者は「嘘を言ってはならない」という決まりはありますが、「知っている事実をすべて語らなければならない」という決まりはありません。
朝日新聞の場合は、その弁護する相手(被告)が、どうも中国っぽい、ということでいろいろ問題になっている(わかりやすい批判の対象になっている)みたいですが、そういうことは別にどのマスメディアでも普通にやっていることで、たとえばTV局の不祥事については、そのことについて一番知っているはずのTV局(不祥事の当事者の局)が一番報道しない、という言いかたはあれだな、一番報道に慎重である、というのはあるわけです。
で、現在のマスコミ不信は、「マスコミに不利な情報」「反政府(野党)に不利な情報」が正確に流通していない、特に前者がどうもおかしい、ということにあるんじゃないでしょうか。
「新聞の信頼度」が低いと思っている人は、新聞の読者投稿欄に「新聞の押し売りで迷惑した」という投稿が載らないのを疑問に思っている人ですが、そういう人はあまり多くありません。でも、新聞報道における「新聞の特殊指定廃止」に関しては、情報提供よりも新聞側の主張の押し付けが目立つな、というのは、少し感じている人は多いと俺は判断しています。
俺の日記を読んでるかどうかは不明ですが、最後にもう一度「新聞(マスメディア)に対する信頼度調査」に関する湯川鶴章さんの更なる情報提供を、お待ちしています。それ(元ソース)がどれだけ信頼できる「信頼度調査」なのか、とても興味があるのです。