前のエントリーをパラフレーズして「○○というのはいかがなものか」と言っている人がいたので補足です
これは以下の日記の続きです。
→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060512#p1
どうもテキスト的にあいまいな記述が多かったせいで申し訳ありません。あれこれ、今気がつきました。
俺の、以下のエントリーに対する、
→何か勘違いしている人・思いこみの強い人のブログは、匿名のコメントでむしろ潰すべきだ
このエントリーなんですが、
→ekken♂:自分と考えの異なる人のブログを「潰すべき」と言っちゃうのはどんなものか?
ここで引用されている俺のテキスト、
また、「匿名によるコメント欄での書き込み」は、複数で、ブログ主がブログ運営に関する考えを変えるまでやることが肝要です。
というのは、「ブログ運営に関する考え」というのが重要だったのでした。つまり、
1+1=2のような、(おそらくは)絶対的に答えが一つしかないものに対してならともかく、ブログで話題にされがちな政治的思想や時事の社会問題、ブログ論などの多数解があるものについて、相手の考え方が変わるまで匿名で行うことに何の意味があるだろうか?
いや、「政治的思想や時事の社会問題、ブログ論など」をさして言ったつもりはなかったんですね。単純に、
「ブログ運営しているおいらはバカ、という認識」を持つに至るまで、
ということだったのです。
「なるほどー、そんな考えの政治的思想というのもあるんですねー」とか「そんな時事の見方もあるのですか、勉強になります」とか、ブログ主によるコメント欄のレスはするもんだと思うんですが、中には「勉強不足ですね。俺の日記の過去ログを最初から全部読み直せば、そのことについては何度も言っているのがお分かりになると思います」とか「専門的知識に欠けている素人の中にはそういう判断をする人もいるとは思いますが、六法全書に目を通したことはありませんか」と、無駄に余計なコメントをするブログ主がいたりするわけで、そりゃ匿名の複数の人に叩かれるのも無理はない、というか、叩いてくれと言っているようなものだと思ったりするわけです。
俺の見る限りでは、「私の(政治的思想や時事の社会問題、ブログ論などの)考えが正しいのに、どうしてわかってくれないの」と意固地あるいは非謙虚な人は、左寄りの人とか、中途半端に社会的地位のある人に多く見られ、それが少し残念です。
あと、こんなエントリーもありましたが、
→「何か勘違いしている人・思いこみの強い人のブログは、匿名のコメントでむしろ潰すべきだ(愛蔵太氏)」について思うこと
ところが、そのような公共性といったメタレベルの利益考量からではなく、「ある言論が間違っている」ゆえに匿名によって叩かれてしかるべきである、と立論するならば、事実上、真実の解釈権限を無批判に匿名言論に丸投げすることになるでしょう。
どこの誰が立論したかは不明ですが、少なくともおいらの元エントリーの中では「叩く」どころか「叩」という字すら、一字たりとも使っていませんので(文字検索してみてください)、「○○ならば」という前提そのものが少し謎前提です。おいらのテキストに何か連想するものがあっていろいろ「思うこと」が出てきたのなら分からなくもありませんが…。ここらへんも俺自身の説明不足を感じました。
あと、元エントリーのタイトル「何か勘違いしている人・思いこみの強い人のブログは、匿名のコメントでむしろ潰すべきだ」というのは、「何か勘違いしている人・思いこみの強い人のブログは、(特定個人が実名で批判するよりも)匿名のコメントでむしろ潰すべきだ」と、カッコの部分をもっとちゃんとしっかり本文の中で書いておくべきでした*1。
で、
批判を受ける側(つまり問題提起をする側)はむしろ傲岸不遜であるほうが各方面から集中砲火をあびて自己の見解を修正する利益をもちうる。
逆に批判する側は、自分のほうが間違っているかもしれない、くらいの謙虚さがなければ、本当に正しいことが社会的な圧力によってあっという間にかき消されてしまう危険がある。
なんですが、「問題提起をする側」は、「問題提起の段階」では、それが多くの人間にとって有効であると思えるような「問題提起」の場合だったら、特に「傲岸不遜」である必要はないんじゃないか、と俺は判断します。というか逆に、ある程度謙虚じゃないと無駄な集中砲火を浴びるだけなんじゃないでしょうか。
ただ、「批判する側」も同じことで、「何バカなこと言っとるんじゃゴルァ」みたいな、根拠のない罵倒レベルの、謙虚さに欠ける批判は、それを「芸」であると認める人がいないような状況ではしないほうがいい(というか、しても仕方がない)と思います(要するに後半は同意です)。
(2006年5月7日)
*1:自分自身ではしっかり書いたつもりだったんですが…「恨みを買わない」「裏があるのではないかと思われない」とか