こんな情報を流す人間が多い日本だから、もっともっと日本人は人間を信頼しなくてもいい

見出しは演出です。
今回は本当にものすごく演出なので、あまり気にしすぎないでください。
こんなところから。(太字は引用者=ぼく)
コメント 日本社会の荒廃を憂う。なんとかしなければならぬ

数日前、講演に行った先で、主催者側の方から1枚のコピーを渡された。タイトルは「図表 対人信頼感の比較(日本・韓国・フィンランド学生比較調査)」。出典は木村忠正「『間メディア性』本格化の年」
『NIRA政策研究』vol.18、no.12、p31、2005年12月。木村忠正さんは早稲田大学教授である。朝日ニュースターニュースの深層」(火曜日)のニュースキャスターをしている。私も何回か木村さんの番組に出演したが、大変に誠実・実直な立派な人格者である。
私にこの資料を渡してくれた人は「日本の劣化を物語る資料です。見て、紹介してください」と言った。図表の数字は以下のとおりである。
 (1)「ほとんどの人は他人を信頼している」
フィンランド 73.6%
韓国     48.2%
日本     29.2%
(「日本人は他人を信頼していない」と日本の学生は見ている)
 (2)「私は人を信頼する方である」
フィンランド 74.6%
韓国     72.4%
日本     59.0%
(日本の学生の「人を信頼する」度合いが低い)
 (3)「この社会では、気を付けていないと誰かに利用されてしまう」
フィンランド 25.4%
韓国     79.0%
日本     79.7%
(日本と韓国では、フィンランドと比べると、「他人に対する不信度」が極端に高い)
 (4)「ほとんどの人は基本的に善良で親切である」
フィンランド 82.6%
韓国     74.7%
日本     37.8%
(日本の「善良」度と「親切」度が極端に低い)

「森田さん。日本が急激に悪くなりました。この調査は日本社会の劣化を示すデータです。ぜひとも多くの人に知らせてください。日本人全体が反省し、道徳を高める努力をしなければなりませんから…」――私に図表を渡した人はこう言って、去っていった。
[日本社会の荒廃・劣悪化は、日本の退化を物語るものである。この原因の一つは「拝金主義」の横行にある。「社会のためでなく自分個人の利益のために生きる」という思想が横行した結果、他人を愛する心が失われてきている。この原因の一つ、それも、大きな原因の一つが、「政治がモラルを失った」ことにあると思う。

「日本の若者(学生)に関するアンケート調査から現代政治批判(とにかく何でも自民党小泉政権が悪い)に行ってしまうところが森田実さんらしいなぁ、と思いました*1
で、もう少しくわしいことが知りたいと思って、木村忠正さんの以下の資料に目を通してみました。
1・インターネット利用に関する日韓大学生比較調査 : インターネット・コミュニティを中心として(東京大学社会情報研究所調査研究紀要20・2003年)
2・パネル調査によるインターネット利用の影響分析(東京大学社会情報研究所調査研究紀要21・2004年)
3・個人ホームページ所有と電子コミュニティの社会的差異--日本・韓国・フィンランド比較分析--(情報通信学会誌・2005年5月)
4・大学生初期利用者に見るSNS(Social Networking Service)と対人信頼感(日本社会情報学会誌・2005年9月)
5・「間メディア性」本格化の年(「月刊MIRA」2005年12月号)
例によってここからあれこれ引用してもいいんですが、またなかなか「インターネットのプチ炎上」がらみで面白いテキストもあったんですが、今日は省略して。
この「調査」に関する具体的な内容については、実は以下のところに掲載されています。
JFK(Japan-Finland-Korea)大学生比較調査について(pdf)
pdfの「編集不可」ファイルなので、ちょっと取り扱いが面倒なのですが、このようなことを木村忠正さんは言っています。

他の社会との比較はさておき、図1のデータは、日本社会に関して反省的に考える機会を与えてくれているようには強く感じています。産業社会、消費社会として高度に発展した私たちの社会において、新自由主義は心象風景にまで深く浸透しているのではないでしょうか?(他者を犠牲にしても、あるいは、他者への尊重・配慮なく)自己利益のみを追求する経済合理的近代人の側面ばかりが大きくなってしまってはいないだろうか? こうした反省を、このデータは私たちに促しているようにも思います。「情報ネットワーク社会」としての21世紀日本社会、産業社会をどう構想するのか? 非力ながらも、問い続け、自分なりの展望を切り拓いていきたいと考えております。

「図1のデータ」その他は、「JFK(Japan-Finland-Korea)大学生比較調査について(pdf)」をご覧になっていただくとして、気になることを箇条書きに書いてみます。
1・アンケート調査の「人数」に関しては、十分な数のように思える(恣意的な人数で、恣意的に相手を選んでおこなった調査のようには思えなかった)
2・平均年齢における「東京19.7歳」は、「ソウル22.7歳」「ヘルシンキ23.7歳」と比べると低すぎる
3・各国語の「信頼」その他の語の、微妙な意味的違いに関しては、よくわからない(そういう語についてくわしい人の判断があるとありがたい)
4・調査日時における「日本」「韓国」が2002年12月上旬、「フィンランド」が2003年、という時期の違いがある
特に、「2」に関しては、平均年齢よりも「日本」における「18・19歳」の比率が異様に高いのが気になるところです。「社会人としての成熟度」あるいは「社会に対する、社会人としての信頼度」というのが調査に反映しているのかな、と思える程度に高く見えるのですね。ただ、「この社会では気をつけていないと誰かに利用されてしまう」という考えに対する日本・韓国の比率の同じさ具合と、「ほとんどの人は基本的に善良で親切である」という考えの日韓の違いが、どうしてそうなるのかよくわかりませんでした。韓国の人は「友だちを疑ってかかるのは、あとで彼からだまされるのよりも恥ずかしいことだ(ラ・ロシュフコー)」で、日本人は他人に関して用心するというのが基本姿勢なのか、みたいな。
あと、調査した時点(2003年12月)のインターネット環境が、日本ではSNSという言葉・概念どころかブログという存在さえほとんど認識されていない時代、かつ世界にもあまり例を見ない「2ちゃんねる的言動世界」が日本のネット界を牛耳っていた時代のことなので、今のようにSNS(というよりmixiかな)・ブログ・2ちゃんねるという「信頼度に応じたユーザーの分裂・分立」時代とは少し違うかな、とも。
で、これについては木村忠正さんも「新自由主義への反省」という言いかたをしていて否定的で、「もう少し何とかしたほうがいいのでは」という意見をお持ちのようなんですが、ぼくはニヒリストなので「仕方がないなぁ」というか、そういう環境でのコミュニケーションのありかたを考えてみたいと思います*2。アンプラグド&肉声で、少人数を対象に自分の歌を聞かせていた歌い手の時代はよかった、と言っても、現在はそれなりの知名度のあるブロガーは数千〜数万の読者を意識したテキストを書かなければいけないわけで、その影響力はマスメディアには及ばないにしろそこそこなものです。つまり比喩的に言うと音を電気的手法で拡大して、大多数のリスナーを対象にした演奏方法で、自分のメッセージを伝える方法を考えないといけないのですね。その際に必要なモラルは「くちパクで歌わない」ですらないこともあるわけで(リスナーに、「この人はそういう人なのだ」という共通の理解があれば問題はありません)。

*1:そのことに対して批判的あるいは肯定的な姿勢は特にぼく自身にはありません

*2:政治を中心にした「世の中」が変わったら、他人への信頼度が回復する」という森田実さんの考えには、さらに懐疑的です