タダで情報提供して、情報提供したい人から金を取るシステムはいつごろ構築されたんだろう。あとその時宣伝されたモノの現在について

Web2.0とかネット広告とかを考えているとたいていの人が疑問に思うのは、
「情報を受ける側(ユーザー)ではなく、情報を提供する側(クライアント)から金を取るシステムというのは、いったい誰がどこで最初に考えたことなんだろう」
ということなんじゃないかと思います。
ちゃんとした広告代理店や、大学その他で「広告の歴史」を習ったことのある人には、そんなの常識かもしれませんが、ぼくは習わなかった人間なので、場当たり的にネットで調べてみます。
 
まぁフリーペーパーあたりが多分最初だと思うんですが、要するに「チラシ(広告)」を配って、そんなものだけじゃタダでも受け取ってもらえないから「町で拾った面白い出来事・事件」とかを「チラシの裏」につけてみた、というのが瓦版のはじまりだと思うわけですよ。
瓦版 - Wikipedia

瓦版(かわらばん)は、江戸時代、天変地異や大火、心中など時事性の高いニュースを速報性をもって伝えた情報紙のこと。街頭で読みながら売り歩いたことから、読売ともいう。

読売 - Wikipedia

読売(よみうり)とは、江戸時代に瓦版の内容を、節を付けたり言回しを面白くして、大衆を惹き付け、瓦版の販売促進をしていた人物である。しかし、現在では、以下に示す様に日本の代表的な日刊紙の名称、及びこれを編集発行する新聞社並びにこれらの関連会社その他の略称として認知されている場合が多い。

しかし瓦版に限定すると「情報に金を出すのは当たり前」という、読み手の意識があるみたいなので、いわゆる現代の「フリーペーパー」に相当するものは存在しなかった様子。
折込広告に関しては、こんなのが。
朝日オリコミ - 折込お役立ち情報 > 折込広告の歴史

日常生活で一番身近な広告として親しまれている新聞折込広告の歴史は新聞が発行される前の江戸時代まで逆上ります。江戸時代では「引札」と呼ばれ商売の売り出しや開店時に使われたり、薬・化粧品などの宣伝に広く利用されていました。「引札」の「引く」は引き付けるあるいは配布するという意味からきており、「客を引く札」あるいは「広く配る札」のことです。看板やのれんなどの動かない広告と違い、一歩進んだ宣伝方法ということで普及しました。江戸時代には「びら」「絵びら」と呼ばれたものもありましたが、引札と違って現在のポスター的な役割をしていました。「引札」は配るだけではなく、貼ったり、特定の相手を対象に、今で言うダイレクトメールや商品カタログのような使い方もしていました。(詳しく調べたい方は増田太次郎著「引札絵ビラ風俗史」をお読みください)

海外の場合だと事情は少し違っているかもしれません。まぁ、「商品」と「広告」の歴史などというのは多分けっこう昔から切っても切れない関係なわけで、ちょっと本でも読んでみたいところです。

で、ラジオに関しては、これはもっと具体的に、いつそのようなものがはじまったか、というのが分かります。
ラジオ少年の博物館<真空管、ラジオ放送と受信機の歴史 目次>
ラジオの昭和史
民放テレビの開局

日本における電波メディアの誕生は、1925年(大正14年)3月1日、東京放送局(のちのNHK)の試験放送開始にさかのぼります(「仮放送」は3月22日から。本放送は7月12日から)。それからずっと、ラジオといえばNHKしかありませんでした。戦後もNHKラジオと進駐軍放送の時代が続きましたが、1951年9月1日、日本初の民間放送ラジオとなる中部日本放送CBC)と新日本放送(NJB、後に毎日放送)が本放送を開始します。
(中略)
さて、9月1日に本放送を開始した2局のうち、開始時間が早かったのはCBCです。CBCで最初に放送されたラジオCMこそが、記念すべき日本初の放送広告ということになりますが、これは非常に微妙です。午前6時30分に放送を開始した後、6時55分から初の提供番組、五金洋品提供の「服飾講座」が流れました。しかしCBCホームページの記述によると、五金洋品は番組提供のみでコマーシャルは流さなかったとあります。そのかわり、6時59分30秒から流れた服部時計店の「精工舎時報」が、日本初の放送広告ということになりそうです。

日本でラジオが普及したのは、大正天皇の葬儀のときらしくて(実況放送でやったってんだから大変だったろうと驚きだ)、関東大震災(1923年)の震災情報には残念ながら間に合いませんでした。当時ラジオという即時性のメディアがあったら、と悔やまれます。
あのー、別にこういうこと言わなくても常識だと思うんですが一応補足しますと、戦前の日本ではTV放送はありませんでした。
いや、そんなの常識だ、っていう人が多いとは思うんですが。
ついでに、ラジオはあることはあったんですが「民間の商業放送」というものはありませんでした。あったのは広告のないNHKだけ。
ちなみに、日本で民間のTV放映がはじまったのは、1958年前後です。
テレビ - Wikipedia
今のラジオCMの状況は、こんな感じ。
ITmediaニュース:ネット広告費がラジオを上回る――電通

電通によると、2004年の国内総広告費は推定で5兆8571億円、前年比103.0%。媒体別で見ると、ネット広告費がラジオ広告費を初めて上回った。

 
少し話を戻して、今のようなラジオ放送が最初におこなわれたのは1920年のようです。
無線放送の歴史

WH社はラジオを販売して、有料で放送を聴くことができるサービスの提供をする商業用に限定した無線局の許可を申請しました。
1920年11月には最初の商業用に認可されたラジオ放送局KDKAが最初に認可を受けて米国ピッツバーグで開局し、放送(Radio Broadcasting)を開始しました。最初に放送したのは大統領選挙の選挙結果でした。詳細は(最初の放送局)を参照して下さい。

ラジオ

1920年には、アメリカのピッツバーグのラジオ局KDKAが、世界初の本格的定時放送を開始しました。最初の放送として大統領選挙の開票を流しました。また、1921年12月30日、エッフェル塔からラジオ番組が放送され、やがて毎日放送されるようになりました。1922年には、ニューヨークのラジオ局WEAFがはじめてラジオ広告を放送しました。

と、ここでやっと「ラジオ広告」は1922年にはじまった、ということがわかりました。
[教えて!goo] テレビCMのシステムを考案した人を知りたい。

初めての「有料CM」は、米国のAT&Tがニューヨークに開設した「WEAF」というラジオ局で、1922年8月に放送されたというのが定説になっているようです。
この時のスポンサーは不動産会社で、1922年8月28日からの5日間で5回の番組の料金が、50ドルプラス長距離接続料金だったとの事です。
ただし、ほぼ同じ時期(同年3月〜4月)に、他のラジオ局でも、一つの番組や、番組の一部をスポンサーに有料で買ってもらうやり方を始めたという記録もあるようです。
いずれにしても、「誰か一人が発明したアイデア」というよりは、ラジオ放送開始当時の「自分の会社の為の宣伝」から自然発生的に出てきたものではないでしょうか。

で、参考リンクが出てきます。
Broadcast History
また英語テキストかよ、やれやれ、という感じですが(ちょっと最近日本語テキストばかり読んでいるんで、英語読解力が低下しているんです)、
first radio commercial - Google 検索
United States Early Radio History
A.T.&T. Co. to Operate Radio Commercial Broadcasting Station (1922)
まぁ、以下のテキストが一番くわしいかな。
The first radio commercial@Everything2.com

According to our local newspaper, the first radio commercial was a 10-minute ad for the Queensboro Realty Company.
It hit the airwaves on August 28, 1922, in New York City (WEAF), and cost $100.

The ten-minute spot was an effort to educate the listening audience about the novelist Nathaniel Hawthorne by the Queensboro Corporation, which happened to have just opened a new "Hawthorne Court" apartment complex in Queens.

The text of the commercial, as read by Mr. Blackwell from the Queensboro Corporation, began as follows:

"I wish to thank those within the sound of my voice for the broadcasting opportunity afforded to me to urge this vast radio audience to seek the recreation and the daily comfort of a home far removed from the congested part of the city, right at the boundaries of God's great outdoors, and within a few minutes by subway from the business section of Manhattan. This sort of residential environment strongly influenced Hawthorne, America's greatest writer of fiction. He analyzed with charming keenness the social spirit of those who had thus happily selected their homes, and he painted the people inhabiting those homes with good-natured relish."

Upon hearing about the new commercial trend, Lee De Forest demanded to know: "What have you done with my child? You have sent him out on the street... to collect money from all and sundry... [and] made of him... a stench in the nostrils of the gods of the ionosphere."
Which, I suppose, only goes to show.

要するに「Queensboro Corporation」という会社が、ニューヨークのクイーンズ地区に作った「Hawthorne Court」というアパートの広告を、Nathaniel Hawthorneのテキスト朗読の前にちょっと流した、という感じですか。
 
で、その「Hawthorne Court」というのが今でも実在するのか調べてみました。
(バカだねぇ俺も。少し調べすぎ)
このあたり?
Jackson Heights Beautification Group
History of Jackson Heights -- Jackson Heights Beautification Group

In 1917 the Queensboro Corporation built its first major apartment complex, naming it the Garden Apartments (thus coining the term "garden apartment"). It was renamed the Greystone Apartments in 1925, since garden apartment had by then become the generic name for this kind of building, and MacDougall wanted to distinguish this complex from his others.

これだよ!
他の画像だと、これかな。
Hawthorne Court Apartments
(2006年8月25日記述)