「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(6)

これは以下の日記の続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060912/oota05
 
沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」の引用を続けます。連載6回目です。

赤松大尉の言葉
 
赤松大尉の命令または暗黙の許可がなければ、手りゅう弾は住民の手に渡らなかったと考えるのが妥当である。それ以外のことは考えられない。
曽野綾子氏は軍隊の組織を知らないから単純に赤松の言葉を信ずるのである。軍の指揮官は、武器の所在と実数を確実に掌握していなければならない。武器の取り扱いについては、指揮官の命令(注:原文傍点)が絶対に必要である。防衛隊員が、指揮官の命令がないのに勝手に武器を処分することは絶対に許されない行為である。それがわかったら、それこそ大変なことになる。敵前歩哨が居眠りをするだけで、死刑、ときめられている陸軍刑法のなかで、軍の生命である武器を指揮官の命令なくして処分することが何を意味するか、容易に理解できることである。防衛隊員を通じて手りゅう弾が住民に渡された事実を、赤松が知らなかったはずはない。「知らなかった」とは白々しい言葉である。
あの状況の中で、住民の手に手りゅう弾が渡ったことは、なにを意味するか。「死」を目前にしての手りゅう弾は、心理的に「死」を誘発する「物」だったのである。それに、手りゅう弾は、住民が求めたものでなく、あたえられた(注:原文傍点)「物」だった。
 
追加された手榴弾
 
そして、そのあたえられた数にも問題がある。渡嘉敷島の集団自決者の数は、『鉄の暴風』では三百三十六人、沖縄タイムス社刊の沖縄大百科事典では三百二十九人となっている。だが、曽野氏は、その数を非常に少なく見積もろうとしている。そのため地形を説明したり、わずかの自決者しか目撃しなかったという兵隊の証言を引き合いに出す。二十人や三十人の自決なら手りゅう弾は四発か五発あればよい。何百人も自決したはずがないと曽野氏は疑っているが、住民に渡された手りゅう弾は五十二発である。一発の手りゅう弾が十人の自決用としても、この数は数百人分に当たる。
しかも、手りゅう弾の渡され方にも問題がある。自決用として住民に渡された手りゅう弾は、最初、三十二発だったが、さらに、二十発増加されたという。この「追加」は何を意味するか。最初の三十二発では足らないということで追加されたという。「足りない」と判断したのはだれかということになる。個々の防衛隊員が任意に判断したのか。個々の防衛隊員が勝手に渡すなら、まず、自分用の一個か、多くて二個である。防衛隊員が勝手に渡したのであれば、住民に渡された手りゅう弾全部の実数を個々の防衛隊員が知るはずがない。したがって、三十二発では足りないと判断したのは防衛隊員ではないはずだ。
 
ある統一した意志
 
防衛隊員が軍の掌握下から完全に離れておれば、個々任意に渡したとも考えられるが、あのとき防衛隊員は軍の完全な掌握下にあったのである。集団自決の時期は、米軍上陸の直後であり、小さい島では軍の統制から全く離れることはできなかった。防衛隊員は軍に強くひきつけられていたのだ。防衛隊員が勝手に手りゅう弾を住民に渡したなどとは考えられない。また、集団自決直前、住民は、赤松の陣地付近に集合させられている。住民が勝手に集まってきたのだと赤松は説明しているが、当時の状況から考えてありえないことである。十数人の住民が偶然、その陣地付近にやってきたというなら、そういうこともありうるかもしれないが、この場合は、何百人という住民が、それぞれのかくれていた場所から出てきて集合しているのである。任意に集まるはずがない。かり出されたのである。
集団自決の直前に、住民の集結という事実があった。ある統一した意志が働かなければ、あの状況の中で、軍陣地に多くの住民が集結することはおこりえない。集団自決は、この「住民集結」という状況によって準備されたのである。
米軍上陸、赤松隊の陣地への住民の集結、そして手りゅう弾が住民の手に渡り、その直後、集団自決がおこった。これら一連の事実関係は見逃すことができない。
陣地付近への住民集結には、ある強い意志が働いていたと私は判断する。

どうもここらへん、入力しながら太田良博さんの文章の乱れが気になりますが(同じような語句の繰り返しなど)。神話というか、語り継がれる民話を入力しているような気分になります。まぁそれはともかく。
「防衛隊員が、指揮官の命令がないのに勝手に武器を処分することは絶対に許されない行為である」ということなら、防衛隊員もそのあたりについて調査され、何らかの事情がはっきりして、処分の対象になったとかならなかったとかいう事実はあったのでしょうか。まぁ、日本軍(旧帝国の)がなくなってしまった以上、「防衛隊員」の罪も、赤松隊長の責任も問われる具合は異なってくるとは思いますが、「知らなかった」、正確には、曽野綾子さんのテキストに基づくと「彼ら(防衛隊員)が勝手にそれを家族に渡した」赤松さんの責任と比べると、防衛隊員のかたがたの責任の問われ具合が少し甘すぎるように、ぼくには思えました。
「手りゅう弾の渡され方」が一度ではなく二度に分けられた件に関しては、ちょっと『ある神話の背景』に引用されている『鉄の暴風』あたりのテキストでは確認できなかったので、それが記録されている文書・テキストをもう少し探してみたいと思います(ご存知のかたは教えてください)。
さらに、「一発の手りゅう弾が十人の自決用としても」という数字の根拠がよくわからないところです。手りゅう弾の殺傷能力について、もう少し調べたいところですが、『ある神話の背景』では、住民の言葉として、「手榴弾を抜いたが発火しなかった」(p140:古波蔵元村長の言葉を曽野綾子氏が引用)、「手榴弾がきかないもんですからね。不発とかで」(p159:住民・金城つる子さんの言葉)、「不発のほうが多かった」(p175:住民A(匿名)氏の言葉として。ただし曽野綾子氏は補足として「住民の多くはやはり手榴弾の起爆法を知らなかったのだという」という記述も加えている)など、五十二発の手りゅう弾で、「一発の手りゅう弾が十人の自決用としても、この数は数百人分に当たる」という判断には無理があります。「自決用」として渡す手榴弾に数百発のものを、赤松隊が用意できるとは、当時の武器弾薬の状況から考えるととてもできないわけですが、村の住民全員に「これで死ね」と武器(手榴弾)を渡すことはちょっと無理だったのでは(もちろん、武器を渡すことなく、「いろいろな道具で死んでくれ」と命令することも可能なので、そのことが即、「集団自決の命令はなかった、ということではありませんが)。
「それぞれのかくれていた場所から出てきて集合している」という話は、もう少しあとで状況について調べて語ってみたいと思います。
 
沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)リンク
1の前半:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01
1の後半:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota012
2:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota02
3:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060910/oota03
4:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060911/oota04
5:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060912/oota05
6:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060913/oota06
 
なお、曽野綾子『ある神話の背景』は現在、『「集団自決」の真実』という題名で復刊され、新刊書店・ネット書店で手に入れることができます。
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これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060914/oota07