「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(7)

これは以下の日記の続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060913/oota06
 
沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」の引用を続けます。連載7回目です。

初め壕や洞穴に
 
米軍上陸と同時に住民は追われるように陣地付近に逃げてきたと『ある神話の背景』では説明する。砲撃と米軍上陸、この事実に直面した住民たちはとっさに、それぞれ安全とおもわれる場所、つまり壕や洞穴にかくれたようだ。それが当然である。いきなり猛攻をうけたときの反射的な初動である。『鉄の暴風』には「住民はいち早く各部落の待避壕に避難し…」と書いたが、実際はあわてふためいた本能的な行動だったと思う。そして、住民たちは各個に孤立し、そこには統一された意思はなかった。軍の意思により駐在巡査がかり集めたというのが真相であろう。その理由は「住民は捕虜になるおそれがある。軍が保護してやる」というのである。
米軍上陸が三月二十三日で、その翌日、赤松隊は西山A高地に陣地を移動している。その陣地の位置がまた問題である。赤松隊長自身、その移動先の陣地の場所を最初は知っていなかったと『ある神話の背景』に書かれている。壕や洞穴に身をひそめていた住民たちが、赤松隊がどこに移動したか知るはずがない。ところが、住民が新陣地である西山A高地の赤松隊の陣地付近に集まってきたのは、赤松隊が陣地をそこに移動したその当日である。住民集結には誘導者がいたのだ。軍の意思が働いていたのだ。
 
安里巡査が伝達
 
住民は西山A高地のことは知っていても、そこに赤松隊が移動した事実を知るには、移動の事実の伝達者がいなければならぬ。その伝達者は安里巡査以外には考えられない。彼は軍と住民の連絡の立場にあったからである。赤松隊の説明のように、多くの住民が砲弾に追われて逃げこんだというのは、移動した陣地の所在が住民にとって不明の状態ではありえず、偶然がいくつもかさならなければ起こりえないことである。また、集団自決は、軍の玉砕を信じて決行されたものにちがいない。軍が戦後も生きのびて部隊降伏するとわかっておれば、集団自決は行われなかったはずだ。
住民の自決をうながした自決前日の将校会議についての『鉄の暴風』の記述を曽野氏は、まったくの虚構としてしりぞけている。『ある神話の背景』のなかにつぎの言葉がある。
 
曽野氏こそ虚構
 
〈ただ神話として『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面は実に文学的によく書けた情景と言わねばならない。しかし、これは多かれ少なかれどの作家にも共通の問題だと思うが、文章を書く者にとっての苦しみは、現実は常に語り伝えられたり、書き残されたものほど、明確でもなく、劇的でもないということである。言葉を換えていえば、現実が常に歯ぎれわるく、混とんとしているからこそ、創作というものは、そこに架空世界を鮮やかに作る余地があるのである。しかし、そのようなことが許され得るのは、虚構の世界においてだけであろう。歴史にそのように簡単に形をつけてしまうことは、だれにも許されないことである〉。
よくかけた文章とはむしろ曽野氏のこの文章のことで、これでとどめをさしたつもりかも知れないが、あの場面は、決して私が想像で書いたものではなく、渡嘉敷島の生き残りの証言をそのまま記録したにすぎない。将校会議はなかったということを証明するために、それをおこなう場所さえなかったと曽野氏は説明する。将校会議などやろうとおもえばどこでもできる。陣地の設備など問題ではない。
陣地になんの設備もなかったというのもおかしい。通常、陣地の移動は設備のある場所を選ぶ。「西山A高地」は軍隊用語であり、陣地名とおもわれる。渡嘉敷島には赤松隊がくる前に設営隊もおった。西山A高地は要塞の場所らしいが、その場所に、その翌年*1からきていた設営隊や赤松隊は、そこに陣地もつくらずに何をしていたのだろう。しかも、西山A高地を“複廓陣地”とよんでいる。複廓陣地とは高度の防御陣地のことである。

ちょっとこのあたりから、太田良博さんのテキストは「思う」「あろう」「はずがない」「考えられない」という、反論・反証が難しい割に、説得しようという著者の意図が気になる表現が多くなります。
「『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面」というのは、『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』によるとこんな感じです。p132-135

惨憺たる泥まみれの一夜であった。指揮官自らが穴掘りをしたのである。
しかし沖縄戦に関する資料の一つとしてどこにも引用される、沖縄タイムス社刊の『沖縄戦記・鉄の暴風』はその夜のことを決してそのようには伝えていない。それどころか、全く別の光景が描かれている。
「日本軍が降伏してから解ったことだが、彼らが西山A高地(複廓陣地のこと。----曽野注)に陣地を移した翌二十七日、地下壕内において将校会議を開いたが、そのとき赤松大尉は『持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食料を確保して、持久体勢をととのえ、上陸軍と一戦交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間の死を要求している』ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛嘆した」
昭和四十六年七月十一日、那覇で知念元少尉に会った時、私が最初に尋ねたのはこのことであった。
「地下壕はございましたか?」
私は質問した。
「ないですよ、ありません」
知念氏はきっぱりと否定した。
「この本の中に出てくるような将校会議というものはありましたか」
「いやあ、ぜんぜんしていません。只、配備のための将校会議というのはありました。一中隊どこへ行け、二中隊どこへ行けという式のね。全部稜線に配置しておりましたんでね。
知念朝睦氏は、あまりにもまちがった記事が多いのと、最近、老眼鏡をかけなければ字が読みにくくなったので、この頃は渡嘉敷島に関することは一切、読まないことにした、と私に笑いながら語った。
つけ加えれば、知念氏は少なくとも昭和四十五年までには沖縄の報道関係者から一切のインタービューを受けたことがないという。それが、赤松氏来島の時に「知念は逃げかくれしている」という一部の噂になって流れたが、
「逃げかくれはしておりません。しかし何も聞いていないところへ、こちらから話を売り込みに行く気もありませんから、黙っておりました。
昨年春(昭和四十五年三月)赤松隊長が見えた時に、市役所の所員の山田義時という人から会いたい、という申し出を受けました。何も知らないので、初めは会おうと思いましたが、その後、その山田氏が、赤松帰れという声明文などを空港で読み上げて、それで名前もわかりましたので、そんな人に会うのは不愉快だと思って断りました。しかしその時が面会を申し込まれた最初でした」
知念朝睦氏は語るのである。
そこにいた兵隊たちの言葉を総て、共同謀議による嘘だというのであれば別だが、その日、地下壕で将校会議が行われたということを、その儘信じることは少々危険なようである。当の知念元少尉自身がその話を承認しない。又当時、第二中隊長であった富野稔元少尉も、山川泰邦著『秘録沖縄戦史』(沖縄グラフ社)の「三月二十七日、(中略)安全地帯は、もはや軍の壕陣地しかない」という部分に、根本的な二つのまちがいがあると指摘する。第一は軍はまだ壕を掘っていなかったこと、第二は壕予定地といえども決して安全ではなかったこと。富野氏によればあの島にはその日、安全を保障される土地は一平方メートルもなかった。

と、この後に、太田良博さんが引用している「ただ神話として『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面は実に文学的によく書けた情景と言わねばならない。」云々が来るわけです。
地下壕内において将校会議を開いた」という『鉄の暴風』の記述と、「ないですよ、ありません」という知念元少尉の発言(『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』中の記述)とは、まっこうから対立するわけで、本当だったら実際に地下壕があったかなかったか、その「物的証拠」を検証するしかないわけなんですが、太田さんのテキストでは「将校会議などやろうとおもえばどこでもできる。陣地の設備など問題ではない。」と言っているので、これはもう、なかった、という判断で特に問題はないんじゃないかと思います。
で、実際には「なかった」という可能性の高い「地下壕での将校会議」で、「まず非戦闘員をいさぎよく自決させ」ということが話されたのか話されなかったのか、なんですが、「地下壕ではないどこか別の場所でそのような話がなされた」ということを信じるには、ぼくの想像力の何かをねじまげないと難しいものがあります。つまり、『鉄の暴風』で語られている「将校会議」の、ある部分は嘘で、ある部分は真実である、というような想像力を作り上げないと難しい、ということですね。
太田良博さんの「伝聞情報」「直接体験の証言」との混乱部分をはっきりさせるには、「日本軍が降伏してから解ったことだが」という「解ったこと」については、「誰」によってわかったのか、ということが重要な問題でしょうか。つまり、その「将校会議」で語られたことを太田良博さんに伝えた人物は、その情報を「伝聞情報」で知ったのか、「直接体験」として実際に、赤松大尉その他が語ったことを聞いたのか、ということです。
 
沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)リンク
1の前半:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01
1の後半:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota012
2:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota02
3:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060910/oota03
4:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060911/oota04
5:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060912/oota05
6:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060913/oota06
7:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060914/oota07
 
なお、曽野綾子『ある神話の背景』は現在、『「集団自決」の真実』という題名で復刊され、新刊書店・ネット書店で手に入れることができます。
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これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060915/oota08
  

*1:意味を考えると「前年」のほうが正しいと思いますが、原文がこうなっているのでこのままにしておきます。