「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(9)

これは以下の日記の続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060915/oota08
 
沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」の引用を続けます。連載9回目です。

任務放棄に失望
 
赤松嘉次大尉の証言は信用しがたい。その一例をあげておく。赤松隊の任務は舟艇による特攻であった。だが、赤松隊は、渡嘉敷島に米軍が来攻したとき、みずから舟艇を破壊して、米艦船に対する特攻という本来の任務を放棄してしまった。
この任務放棄に関し、赤松は、慶良間巡視中の船舶隊長大町大佐の命令があったからだとしている。大町大佐は慶良間近海で戦死しているので死人に口なしである。大町大佐がわざわざ特攻中止を命ずるために慶良間巡視に出かけたとは思えないが、この出撃中止が軍司令部の意向ではなかったことだけはっきりしている。
沖縄守備第三十二軍の高級参謀であった八原博通大佐の手記『沖縄決戦』によると、慶良間の海上特攻に一縷の望みをかけていたことがわかる。「好機断固として海上に出撃すべきである。願わくば出撃してくれと祈る」云々の言葉がある(同書144ページ)。現地からの無線連絡で攻撃失敗がわかると、八原参謀は「意志が弱く、不屈不撓あくまで自己の任務目的を遂行せんとする頑張りが足りない」と慶良間の海上特攻隊に失望の色をみせている。
 
無電内容も疑問
 
たとえ大町大佐が出撃中止を命じたとしても、その場合、無電で、首里の軍司令部にその真相をたしかめる方法が赤松大尉には残されていた。慶良間群島に海上特攻を配置させたのは、高級参謀八原大佐だった。また、八原大佐は海上特攻の主任参謀でもあった。特攻の出撃中止が軍司令部の意志を無視しておこなわれたことは同大佐の著書で明らかである。
「出撃不可能」との軍司令部に対する慶良間現地からの無電内容にも疑問がはさまれる。出撃中止の時点で、赤松隊も舟艇も米軍の陸上攻撃をうけていないのである。出撃は、夜間に企画されたもので、米軍による夜間の陸上攻撃は考えられない。渡嘉敷島に対する米軍の攻撃が始まったのは三月二十五日未明、米軍の一部が渡嘉敷島に上陸したのは翌二十六日の未明、すると二十五日夜から翌日未明にかけての夜間は何をしていたのかということになる。赤松隊長が中止させたと『鉄の暴風』には記録されている。また、事実、わざわざ舟艇を自爆させるだけの余裕があったことがすべてを物語っている。ちなみに、沖縄本島周辺の他の海域では、随所で舟艇による果敢な海上特攻が実行されて戦果をあげている事実がある。慶良間の特攻隊の任務放棄はまったくの例外であった。
 
住民処刑の例
 
とにかく、赤松戦隊は、海上特攻という最重要の任務を放棄したからには、軍司令部から見れば、戦略的にも戦術的にも無意味な存在となったのである。その後、この戦隊には、陸上戦闘による戦果がほとんどなく、米軍はなんの損害もうけなかった。赤松隊は無力な島の住民との間にいろいろなトラブルをひき起こしているだけである。
じつは、赤松が、集団自決を命令した、命令しなかったという事件よりも、住民処刑のほうがもっと問題である。集団自決下命問題は、赤松が下命しなかったといえば、それで不確定性をもつ性格のものだが、住民処刑は否定できない事実である。曽野氏は、不確定性をもつ集団自決を前面に出して、一種の煙幕を張り、そのあとで、否定できない事実である住民処刑については、軍の綱領や軍法などを持ち出して各種の弁護を試みているが、その弁護は別の事実によって支離滅裂となるのである。その事実とは、住民処刑と矛盾する兵隊に対する赤松の処置である。
住民処刑について、二、三の例をあげる。
伊江島出身の若い女性たちが米軍にたのまれて赤松の陣地に行き、降伏勧告文を取りついだために斬首の刑をうけている。また、終戦の日の八月十五日、米軍の投稿勧告分を陣地近くの木の枝に結んで帰ろうとした与那嶺徳と大城牛の二人が捕えられて殺された。しかし、おなじ降伏勧告でも相手が日本の軍人であった場合は、赤松大尉はちがった態度をとっている。『ある神話の背景』の121ページ、122ページをみればわかる。

「集団自決を命令した、命令しなかったという事件よりも、住民処刑のほうがもっと問題である」と言ってしまうと、「集団自決の命令があったかどうかという問題はどうでもいい」ということにも聞こえてしまうのが難儀です。ぼく自身はそれについて、あった・なかったの話を聞いてみたいので、「ことの本質はそれではない」と言われると、話が広がりすぎて手に負えなくなってしまうのですね。「政治家とマスコミとの距離」を、「NHKの人間が、ある番組の放送前に自民党の議員と会ったか合わなかったか」と切り離して考えるのと同じことで、「ことの本質」という志の高さは評価したいとは思いますが。
『ある神話の背景』の121ページ、122ページにあたる、『「集団自決」の真実』の部分は確認できなかったんですが(あとで図書館とかで調べてみます)、『「集団自決」の真実』では、「処刑」の理由についてはp228以降に書かれていました。あとでちゃんと入力してみたいんですが、要約すると「国際法上の軍使のスタイルではなかった」とか、またもいろいろ意見が食い違ったりしています。
とりあえず、あと1回で「沖縄戦に“神話”はない」の入力は終わり、このあとに曽野綾子さんの反論テキスト「「沖縄戦」から未来へ向って」(全5回)、および太田良博さんの再反論「土俵をまちがえた人」(全6回)が続きます。
さらにそのあと、予定としては1988年4月5日、家永三郎氏の教科書裁判(第三次訴訟・地裁編)と関連して、沖縄出張法廷で証人になった曽野綾子さんの証言も入力予定です。
なかなか大変なんですが、参考になるとありがたいことではあります。
 
沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)リンク
1の前半:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01
1の後半:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota012
2:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota02
3:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060910/oota03
4:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060911/oota04
5:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060912/oota05
6:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060913/oota06
7:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060914/oota07
8:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060915/oota08
9:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060915/oota09
 
なお、曽野綾子『ある神話の背景』は現在、『「集団自決」の真実』という題名で復刊され、新刊書店・ネット書店で手に入れることができます。
『「集団自決」の真実』曽野綾子・ワック)(アマゾンのアフィリエイトつき)
『「集団自決」の真実』曽野綾子・ワック)(アマゾンのアフィリエイトなし)
 
これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060917/oota10