沖縄の人は「降伏勧告状」を持たせたアメリカ軍のことを何も言わないんだろうか

以下のコメントから。
「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(9)

# イッセイ 『>lovelovedogどの。
テキスト作成、ホントにご苦労様です。
が、テキストの後に述べているコメントは、中立客観を気取っていても、私は曽野綾子・赤松嘉次のの肩入れをしてるように感じさせられます。
例えば、「ことの本質はそれではない」と太田良博はそう言ったのですか?また、「集団自決の命令があったかどうかという問題はどうでもいい」太田が言うはずはないと思いますが?そう言う事は、揚げ足採りに聞えますよ。
直接赤松隊が手を下した処刑の方が、軍隊の本質ををより露わにする行為ですが、住民への自決強要も本質同じであると私も思います。
>『ある神話の背景』の121ページ、122ページにあたる……
それは221ページ、222ページにあたる、でしょう。『「集団自決」の真実』では、254・255ページにあたる。米軍に捕虜になった日本軍将校二人が赤松陣地に投稿勧告に来るくだり。これには寛大な態度で迎えたという…。』 (2006/09/13 12:26)
# lovelovedog 『元テキスト(新聞のテキスト。沖縄タイムス1985年4月17日)には「121ページ、122ページ」と書いてありましたのでそのまま書き写しました。記事に関するコメントはうっとうしい人もいるとは思いますが、その場合は読まなかったことにするとか、自分の日記(ブログ)で反論とか異論をとなえてトラックバックを送るとかするといいんじゃないかと思います。』 (2006/09/13 22:01)
# イッセイ 『ページ間違いを小うるさく言ったのは、この部分が日本軍の本質を言い当てているからと思ったからです。新聞の原文そのものが誤記だったとは思いも寄らなかったですが。
沖縄人非戦闘員が降伏文書を持ってきた時には、女子供でさえ、直ちに首を刎ねているのに、捕虜になった日本軍将兵が持ってきた時には、これを丁重に扱って送り返した。差別以外の何物でもありません。この差別的処置に鑑みても、赤松隊長は虐殺者としての責任を免れません。
私は沖縄人である。大和人に、こみ上げてくるこの悔しさ、怒りが分かるだろうか。
私はブログを持ってません。復刊ドットコム・「ある神話の背景」の項の掲示板に、小生の考えを述べているので、ご参照下されば幸いです。』 (2006/09/14 03:47)
# lovelovedog 『どうもわざわざありがとうございます。新聞の記事間違いだったのですか!『ある神話の背景』を確認してから、本文に「注」の形で訂正するかどうか考えたいと思います(少し時間がかかりそうですが)。「降伏文書」に関しては、それのやりとりは軍人同士に限られる、みたいな決まりがあるみたいなので、「非戦闘員」がなぜそのようなことをやったのか(やらされたのか?)、そこらへんの事情がもう少し知りたいと思いました(『「集団自決」の真実』p229-231)。ぼくの解釈では、沖縄人・民間人だから処刑した、という感じでもありませんでしたが、沖縄人としてのその感情は納得できるものです。ただ、ぼくとしては、その「痛み」は自分の想像力の及ぶところ以上のものにはなりませんし、軽々しく同情して、沖縄人の味方のふりをする非・沖縄人にはもう少し用心をしてもいいのでは、と思うところもあります。そういう人は時々、単に今の日本政府が嫌いなだけ、ということもあったりするわけで』 (2006/09/14 11:33)
# イッセイ 『>「非戦闘員」がなぜそのようなことをやったのか(やらされたのか?)
それは太田も言ってるとおり、非戦闘員なら、特に女・子供なら殺すまいと米軍は予想したからだ。
終戦後だったとはいえ、赤松隊はまだ戦闘中ではなかったか?「生きて虜囚の辱め…」を叩き込まれているはずの日本軍人が降伏勧告にきたのだから、もっと厳しい処置を赤松隊は為すべきでなかったか?
>軽々しく同情して、沖縄人の味方のふりをする非・沖縄人にはもう少し用心をしてもいい…
私もそんな日本人は苦々しく思っているし、知念ウシや野村浩也など復帰後世代の沖縄人論客が、そのような「良心的日本人」へ手厳しい批判を展開している。
それよりも、私が最も苦々しく思うのは貴方のように、少し調べて中立を装い、それらの良心的日本人を貶しながら、実は赤松・曽野の弁護を意図している日本人達である。』 (2006/09/14 13:31)
# lovelovedog 『いろいろ興味深い情報をどうもありがとうございます。ぼく個人は沖縄のかたの発言を貶めたりするつもりはありませんので、ご不快に感じられたようでしたら申し訳ありません。基本的に渡嘉敷島の事件については「もう少しくわしいことが知りたい」という方向でテキストを見ているもので、太田良博さんがあることを言っているテキストに対して、別の人(曽野綾子さん、あるいは彼女が引用している形での赤松元大尉)が別のことを言っているのを読んだ場合には「こういうテキストもあるが、本当はどうなんだろう」的な興味と紹介をしてみたくなるわけです。
そこらへんをご了承のうえ、というか基本的にはぼくの無知な部分をご理解いただいたうえ、以下のことに関する、参考になるようなテキストはどこかにあるようでしたらご教示ください。ぜひ読んでみたいと思います。
1・「非戦闘員なら、特に女・子供なら殺すまいと米軍は予想したからだ」とのことですが、太田良博さんがそのようなことを書いているテキストはどこかにありますか。また、「米軍」の「予想」がそのようなものであった、という根拠(太田良博さんがそのように信じる根拠)はどこかにありますか。たとえば、他の地域では非戦闘員に投降勧告をさせて成功したから、「沖縄の日本軍に対しては非戦闘員に投降勧告をさせる」みたいなマニュアル的なものが、当時の米軍にはあった、みたいな。
2・「知念ウシや野村浩也など復帰後世代の沖縄人論客」による「「良心的日本人」へ手厳しい批判」というのを読んでみたいんですが、具体的にはどういう書物などからまず読んでみればいいんでしょうか。』 (2006/09/14 22:27)
# イッセイ 『1の答え
『集団自決』の真実」のp242の初めに、太田が曽野へ示したメモとして書いてある。
「根拠」とは何を言いたいのか。そんなことを問うのならば、大戦当時は、使者として投降勧告文を持たされて来る自国の非戦闘員を、殺すのが国際的常識だったとの「根拠」を貴方が示して後に、問わなければならない。

知念ウシや野村浩也をネット検索すれば、いくらでも情報が得られるのではないか?
この答え文を、ヌメヌメした不快感を持って書いている事を言って置こう。もうサヨナラだ。』 (2006/09/14 23:51)
# lovelovedog 『そうですか。話を伺えなくて残念です。それではまた、どこかでお会いしましょう』 (2006/09/15 00:11)
# lovelovedog 『ただ、「『集団自決』の真実」のp242の初め」には、「太田が曽野へ示したメモ」のようなものは書いてなかったので、ページ数は違っているように思えるのですが』 (2006/09/15 00:14)
# イッセイ 『失礼した。p228でした。
それにしても、すべてマイペースの記述ですな。相手には「根拠」は何かなどと訊いてくるのに、自分からはそんな事には無頓着で。
日米アンポ下のヌクヌク世代を彷彿させられます。』 (2006/09/15 00:26)
# lovelovedog 『一応戦時国際法では「軍使」というものはどういうものかを決めているわけですが(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B0%E9%99%B8%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84#.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.AB.A0_.E8.BB.8D.E4.BD.BF)「民間人(自国の非戦闘員)」は「交戦者の一方」ではないので、降伏・投降勧告がそもそもできないものじゃないかと思ってました。というのがぼくの「根拠」です。だからって殺してしまうのはあんまりだ、ってのは同意しますけどね』 (2006/09/15 00:36)
# lovelovedog 『要するにまず、沖縄戦では「民間人を降伏・投降勧告として軍使・使者に使うのが、そもそも米軍の国際法違反なんじゃないか」というわけですが』 (2006/09/15 00:39)
# lovelovedog 『似たようなことを曽野綾子さんと赤松さんも、p229-230では言っているわけですが』 (2006/09/15 00:41)

曽野綾子『「集団自決」の真実』の該当部分を引用します。p228-230

渡嘉敷島には、既に戦闘がすんだ伊江島から、米軍によって連れてこられた住民がたくさんいたが、米軍が、その中から女五人、男一人を選んで、渡嘉敷島守備隊長・赤松嘉次大尉の陣地に、降伏勧告状を持たせてやった。軍使は普通殺さないのが常識である。それに女はまさか殺すまい、と思って、米軍は使者にたて、男は道案内のつもりだったのだろう。ところが、彼らは、二本軍陣地で捕えられ、各自穴を掘らされ、斬首された。実に残虐で、不愉快な事件である。墓穴を掘らせたやり方も考えさせられる。大陸で中国捕虜を殺したやり方だ。
当時、渡嘉敷国民学校の教頭だった、島尻郡豊見城(とみぐすく)村出身の大城徳安が、注意人物という理由で斬られた。
赤松隊長のやり方を、ひそかに批判したことが知られて、陣地につれていかれて、重労働を強制されていたが、妊娠していた妻のことが気になったのか、陣地をはなれて家族と会いに行ったために、縄でしばられ、陣地附近に連れて来られて斬首された。
ほかに防衛隊員が命令違反のかどで斬られ、朝鮮人軍夫が多数殺されている。
米軍の降伏勧告状を持って行った十五、六歳の少年二人は銃殺された。
米軍が降伏勧告の使者に、女や子供を使った配慮と、それらの使者たちがみんな殺されている事実は見逃せない」
赤松弾劾の立場をとる人々の気持を、最もよく代表しているのは、赤松伝説のバイブルとなった『鉄の暴風』の筆者の一人である太田良博氏が、わざわざ私のために要点を書きとめた、右の文章である。
私はこの文章を、赤松隊の人々の前で読み上げたことがあった。
赤松「墓穴を掘らした……ねえ。そんなことは、そんなこと、ないでしょうなあ」
隊員「マッチ箱の、こんな小さなマッチ箱一ぱいの食糧で、墓穴を掘るような体力があったかどうか。わしら、もう……」
赤松「米軍の軍使ではないですね。軍使であれば、もちろん米軍からの書類なりなんなり持って来ますしね、旗も
非戦闘員である村民からみれば、それは立派な軍使に見えた。しかし旧軍の法務官一人であった阪埜淳吉氏によれば、彼らは軍使ではない。国際法上の軍使というのは、白旗をかかげ、司令官が軍使として命じたと信ずるに足るもの、たとえば制服を着用していなければならない。つまり正規の戦力構成員でなければならない。ましてや敵国人(米軍からみて日本人)を軍使に使うことなど考えられないという。
しかしそのような専門的知識は、村民になかったのも当然であり、米軍側でそれを命じた人にも、もしかするとなかったのかも知れない。

(太字は引用者=ぼく)
…非戦闘員に「降伏勧告(軍使?)」をさせるのは戦時国際法違反なのでは。
とりあえず、「戦時国際法」の該当部分を引用します。
ハーグ陸戦条約 - Wikipedia

第三章 軍使
32条:交戦者の一方が他方との交渉を行うため、白旗を掲げて来た者を軍使と規定する。軍使、及び、それに随従する喇叭手、鼓手、旗手、通訳は不可侵権を有す。
第33条:軍使を差し向けられた部隊長は必ずしもこれを受ける義務は無い。また、軍使が自軍情報を探知する為にその不可侵権の使用を防ぐ一切の手段を取れる。不可侵権を濫用された場合は、軍使を一時抑留することも許される。
第34条:軍使が背信を教唆し、自らがそれを行いうる特権ある地位を利用した事が明白であるときは、不可侵権を失う。

例によってあまり法律にはくわしくないのですが、「民間人」は非戦闘員なので、「交戦者の一方」ではないですね。特定の要件を満たせばなりうるのかな。曽野綾子さんの著作内や太田良博さんのテキストでは、その部分がよく分からないんですが。
で、やはり気になるのは「民間人、それも敵国の民間人を「軍使」として降伏・投降勧告にやらせた(行ってもらった)」という例が、沖縄戦以外にもあるのか、ということなんですが、軍事とか法律にくわしい人は、そういう例を他にはご存知でしょうか。何となく、ナチスドイツが崩壊した後のドイツ部隊に対して、そういうことがありそうななさそうな気もします。
「まだまだやるぞ!」と思っている軍人の人たちに戦う気をなくさせるのは難儀だと思うので、一番簡単そうなのは上官もしくはそれに類する者の「武装解除命令」みたいなものかなぁ、と素人判断をしておきます。ていうか、上官に当たるものが「やめた」と宣言するとか、「やめるように」と命令する以外に、現場で戦っている軍が武器を捨てるのは難しそうです。
まぁぼくも、アメリカ軍のほどほどにえらい人で、軍使を送っても殺されてしまう状況だったら(実際にそうなのかどうかは不明ですが)、どうしたらいいだろう、と悩んで、「相手の国の民間人なら殺さないだろう」という判断をするかもしれませんが。
多分、ポール・アンダースンなら、そのアメリカ人的立場の人間を主人公にしてSFを書くでしょう。
オースン・スコット・カードなら、「何度殺されても使いに行く軍使」を題材にSFを書くでしょう。
カート・ヴォネガットなら、カードと同じテーマで滑稽小説を書くでしょう。
もっとも、「だからって(非戦闘員を)殺してしまうのはあんまりだ、ってのは同意します」というのは強調しておきます(←ここ大事)。
ちなみに、日本の正式な軍使がバリバリ殺されている例もあるみたいです。
「樺太裁判(1)」

八月十五日以降、停戦の交渉に出向いた日本の軍使が何度もソ連軍に殺されながら、八月二二日、ソ連軍はようやく停戦におうじ、日本側参謀長とソ連側アリモフ将軍との間で停戦協定が調印され、日本軍は全面降伏した。

 
で、まぁ「自決命令」に関してはこんな感じですか。
復刊ドットコム 掲示板

No.84658 再版 一誠 06/06/03 05:31:33
(前略)
前に言ったように、赤松隊長による口頭の自決命令はなかったという事は、沖縄の知識人も、全般的に了解している事です。数居た指揮官の中で、赤松氏のみを神話的悪人に仕立て上げた事は、沖縄ジャーナリズムの失策と言うしかありません。
だが、曽野綾子氏の証明できたのはそれだけで、日本軍による自決の強制性、住民虐殺の犯罪性は否定できていません。
(後略)

沖縄戦の「集団自決強要」/教科書から削除狙う 「つくる会」副会長ら/体験者や作家ら集会で批判/「事実から目そらす」

沖縄戦の「集団自決強要」/教科書から削除狙う 「つくる会」副会長ら/体験者や作家ら集会で批判/「事実から目そらす」
ノンフィクション作家の下嶋哲朗さんが講演。日本軍が直接かかわっていないチビチリガマでの「集団自決」の例をあげ、住民らが「天皇のために死ぬことがりっぱだ」とたたきこまれており、そういう教育をした国の方針が一番の原因だと指摘。「『集団自決』にはさまざまなケースがある。軍命があったか、なかったかというのは事実から目をそらせ問題をわい小化するもので、『自由主義史観』の人たちの意図もそこにある」とのべました。

やはり、左寄りの人たちに「で、軍の命令としての集団自決は、あったんですかなかったんですか」と聞くと現在は「も、問題の矮小化だからねっっ!」と、真っ赤になって怒るみたいです。
(2006年9月24日記述)