「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(6)
これは以下の日記の続きです。
→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060927/oota205
これは、沖縄タイムス5月1日〜6日(5日は休載)に掲載されました「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子)という、渡嘉敷島・赤松隊をめぐるテキストに、太田良博氏が応えたものです。
→愛・蔵太の少し調べて書く日記:「沖縄戦に“神話”はない」
→愛・蔵太の少し調べて書く日記:「「沖縄戦」から未来へ向って」
オリジナルは1985年5月11〜17日(12日は休載)、沖縄タイムスに掲載されました。
連載第6回、最終回です。
議論にならない
▼曽野さんは、沖縄の社会、教育、新聞なども批判している。皮相的な、困った偏見である。たとえば、「沖縄の社会は閉鎖的である」という。その理由は、なにも述べていないから、答えようがない。もし私が「本土は沖縄よりも閉鎖社会である。日本の地方の中で、沖縄ほど世界に開かれたところはない」と言ったとする。それだけでは議論になるまい。私なら、その理由を述べる。
今度の論争で、私は根本問題を踏まえて、土俵の真ん中に立っているのに、曽野さんは、枝葉末節のことや論点からはずれたことばかり言って、土俵のまわりを逃げまわっていたような気がする。
▼住民処刑の明確な不当性を、私は証明した。これについては、いかなる人も反論できないはずだ。曽野さんも、沈黙して、曽野点は避けている。そうとわかれば、エチオピアの話をもち出す前に、不当に殺された人たちの遺族に対して、何らかの言葉があるべきだった。それがなかった。まったく、思いやりにかけている。
▼赤松の弁護などは、作家本来の仕事ではあるまい。ドレフュス事件のゾラや松川事件の広津和郎の例はあるが、いずれも国家権力に対して被害者を弁護したのである。曽野さんの「ある神話の背景」は、国家権力の具現者であった赤松の不当な加害行為を弁護しているのである。こういう弁護はゾラや広津もさけるであろう。曽野さんは土俵をまちがえたと言わざるをえない。
“食言”する言動
「ある神話の背景」で、曽野さんは、つぎのように言う。「終戦のとき、自分は十三歳の少女だったが、すでに死ぬ覚悟があった」と。この言葉を、「だから、渡嘉敷島の人たちも強制されたのではなく、みずから死んだのだ」という理屈にむすびつける。だが、赤松弁護のくだりになると、「私が赤松の立場だったら、生きるために、あらゆる卑怯なことをしたかもしれない」と、まるで、ちがったことを言っている。「ある神話の背景」は、また、「頭かくして尻かくさず」といった背理や矛盾もたくさんあるが、いちいちふれないことにする。また、どういうつもりなのか、曽野さんは、外国の心理学者のマゾヒズム的な学説を引用して、「殺される喜び」について語ったり、「人間は人一人殺してみなければ、何もわからないのではないだろうか」とも書いている。
▼赤松戦隊は、特殊な集団であった。隊長の赤松が二十五歳、学校を出て間もない。軍隊や戦場の体験が豊かだったとはいえない。隊員は、みな二十歳前後で、未成年者も多く、軍隊体験は一年内外、戦場に立つのは初めての連中である。いわば未熟兵の集団であったのだ。みんな若いから特攻に向いていたともいえる。だが、こういう集団は、本来の使命である特攻の機会を失うといった状況の激変に直面するとパニック状態におちいり狂暴となる。狂暴は、死を拒否し、生きるためにもがく行為である。ほんとに死を覚悟している人は狂暴にはならない。小禄の海軍根拠地隊とくらべてみると、その対照がはっきりする。根拠地隊は、所属のトラックで、小禄の全村民を、沖縄本島の北部に避難させ、小禄村全域を「無人の地帯」とした。軍隊だけ残って敵を待ち構える姿勢である。まことに苛烈な状況であった。米軍の記録は、のちに、小禄海軍部隊の善戦敢闘をつたえている。米軍の総攻撃をうけ、いよいよ玉砕が迫ったとき、司令官太田実少将(千葉県出身)は、「後退して、遊撃戦に移れ」と訓示して、部下の大半を、島尻南部に脱出させたが、戦線離脱と誤解されないように、摩文仁の軍司令官に打電した。部下を後退「残置」させた理由を述べ、その指揮下に入れてもらうように頼んだ。実は、部下将兵を死の道連れにしたくなかったのである。そして、幹部だけが小禄の海軍壕に残って、自決した。自決の直前、太田少将は海軍次官あてに打電する。伝聞内容は、沖縄県民の協力に関する内容で終始しており、「沖縄県民、カク戦エリ、県民ニ対シ、後世、特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という言葉で結んでいる。自分は犠牲になっても他人は犠牲にしないという、成熟した高潔な人格と勇者の姿を、真の太田少将にみる。自分のいのちを惜しむ者ほど、他人の生命を軽視する。
特攻の犠牲“食う”
▼赤松大尉は降伏のとき、米軍将校に向かって、「あと十年間は保てた」と、子供っぽい見えを切っている。隊員少年兵の記録にも「十年でも、三十年でも頑張るつもり」のことが書かれてある。赤松やその隊員たちには「玉砕」の気持ちはなかったのである。
特攻機で沈められた米艦隊からの漂着物(缶詰、その他の食糧)を、赤松隊員たちは「ルーズベルト給与」とよんで、一日千秋の思いで、それを待った、という。この「ルーズベルト給与」は味方の特攻機の犠牲によるものである。特攻崩れの彼らは、この給与について、心の痛み、いや胃袋の痛みを感じなかったのだろうか。その特攻の一人に、沖縄出身の伊舎堂中佐(当時大尉、二階級特進)がいた。彼は台湾から飛んできて、慶良間列島の米軍艦に突っ込んだのである。まことに、皮肉で、象徴的な事件である。
▼「人を殺すな」「人を殺した人をゆるせ」----この教理の二律背反はわかりにくいが、「人を殺した人」がゆるされるのは、おそらく、悔い改めることによってであるはずだ。だが、曽野さんがかばっているのは、この教理でもなければ、赤松でもない。曽野さんは、赤松が悔い改めないことに手を貸しているからである。「ある神話の背景」に「本土人の指揮官」という言葉がある。曽野さんが各種の詭弁を駆使してかばっているのはこれだ。つまり、「本土人」と「日本の軍隊」である。----私が問題としているのは、あらゆる暴力、ことに権力や戦争による暴力と「人間」の関係である。
(おわり)
今回はなかなか興味深い、「事実」もしくはそれに類すると思われるものに関しての言及がありました。
曽野さんが「沖縄の社会は閉鎖的である」的なことを言っているテキストは、正確には以下の通りです。
→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060922/sono05
数年前、『ある神話の背景』が出てしばらくした頃、私は知人にあげるために一緒に那覇市内の本屋に行って、この本を買おうとしたことがあった。しかし、本屋にはこの本がないばかりでなく、私が当の著者であることを知らない店員さんは、入荷の予定もない、とそっけなかった。知人はその本屋が「思想的に特徴のある本屋ですからね。曽野さんの本は置かないのかもしれませんね」という意味のことを言ったが、私は穏やかに前金を払って自分の文庫を取ってもらうように頼んで来たことがある。
私はかねがね、沖縄という土地が、日本のさまざまな思想から隔絶され、特に沖縄にとって口あたりの苦いものはかなり意図的に排除される傾向にあるという印象を持っていた。その結果、沖縄は、本土に比べれば、一種の全体主義的に統一された思想だけが提示される閉鎖社会だなと思うことが度々あった。
曽野さんは
1・「沖縄は、本土に比べれば、一種の全体主義的に統一された思想だけが提示される閉鎖社会だなと思うことが度々あった」とは言っているが「沖縄の社会は閉鎖的である」とは言っていない(太田良博さんはこのようなパラフレーズをよくやるみたいなので注意が必要です。「似たようなことは言っている」というのと「実際にそれと同じテキストがある」とはイコールではありません)。
2・「閉鎖的(閉鎖社会)」だと思う理由として、「思想的に特徴のある本屋」「日本のさまざまな思想から隔絶され、特に沖縄にとって口あたりの苦いものはかなり意図的に排除される傾向にあるという印象」という理由を挙げている(その「印象」が何に由来するのか、は例としては弱いことは確かですが)。
という感じです。もっとも、その後に続くテキスト、
もしそうとすれば、これは危険な状況であった。沖縄の二つの新聞が心を合わせれば(あるいは特にあわせなくとも、読者の好みに合いそうな世論を保って行こうとすれば)それほど無理をしなくても世論に大きな指導力を持つ。そして市民は知らず知らずのうちに、統一された見解しかあまり眼にふれる機会がないようにさせられる。もし私が沖縄に住むなら、私は沖縄の新聞と共に必ず全国紙を一紙取るだろう、と私は思った。そうでないと、沖縄中心の物の考え方が次第に助長されるようになる。世界の中の日本、日本の中の沖縄あるいは東京、というバランス感覚がなくなるのである。
については、やはり「世界の中の日本」を知るためには、全国紙を一紙取るだけではなくて、世界中の新聞に目を通さないと駄目だとは思いますが。インターネット時代はそれに似たようなことが可能になって、だいぶバランス感覚がついた人が多くなったんじゃないでしょうか。
「ルーズベルト給与」という言葉は知らなかったので検索してみました。
→ルーズベルト給与 - Google 検索
ただ、実際に赤松隊と「ルーズベルト給与」の関係、またそんなにたくさん「漂着物」が流れ着いたのかどうかは不明なので、ちょっと興味を持ちました。
沖縄戦での特攻の戦果は、「ウィキペディア」によると、
→特別攻撃隊 - Wikipedia
アメリカ海軍は沖縄戦において駆逐艦12隻を含む撃沈26隻、損傷164隻の損害を受けており、人的損害は、1945年4月から6月末で死者4,907名、負傷者4,824名としている。
とのことなので、けっこう「損傷」した船から流れたのかな、とは思いますが。
「一日千秋の思いで、それを待った、という」という伝聞情報に関しては、その情報の出所、およびそれに近い記録があるのかどうか、もう少し調べてみたいと思いました。
これで、「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博)「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子)「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)の、全電子テキスト化を終了します。
あとで、コメントなしの電子テキストをまとめてみたいと思います。
次は、「家永裁判」沖縄出張法廷(昭和63年4月5日)でおこなわれた、曽野綾子さんの「証言」を掲載(電子テキスト化)する予定です。
「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)リンク
1:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060923/oota201
2:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060924/oota202
3:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060925/oota203
4:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060926/oota204
5:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060927/oota205
6:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060928/oota206
なお、曽野綾子『ある神話の背景』は現在、『「集団自決」の真実』という題名で復刊され、新刊書店・ネット書店で手に入れることができます。
→『「集団自決」の真実』(曽野綾子・ワック)(アマゾンのアフィリエイトつき)
→『「集団自決」の真実』(曽野綾子・ワック)(アマゾンのアフィリエイトなし)