そりゃ「無効化」じゃなくて「井戸端化」ですよ

あるいは「床屋化」でも「寝言化」でも何でもいいですけどね。井戸の水が十分にうまかったり、床屋としての腕が十分にあったり、芸術的な寝言だったりするんだったら。
本当の争点は何か

いいえ、あなたが理解できなかった(ないしできないふりをした)皮肉です。

まぁあまり昔(といってもここ1年以内)のことを蒸し返すのもナニですが、ぼくの頭の中ではApemanさんは「also」「of course」を「まったく」と訳したり「目の中のはり」の意味が分からなかったりしている面白い人、という認識だったので、単に「また面白いことを言ってるな」としか思いませんでした。Apemanさんに対する理解が不十分だったんでしょうか。時にはいきなり取得したばかりのフリーメールの、使えるか使えるかわからないメールアドレスを示して「ここに連絡しろ」ということを書く迷惑な人だったこともあったなぁ、と、また少しだけ思い出しました。
ところで、ぼくのことはもうそれなりに理解しましたか。
(追記)
なんか変な勘違いをしていたので訂正。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060618/p1
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060630

1. 自分で「左バイアスありまくりですが何か」と言っている人が「lovelovedog さんはウヨバイアスありまくりなのに空とぼけてる」と言っている
2. 笹レポートの英訳が正確であるという主張をちっとも裏付けられていない人は、裏付けるどころかちゃんと読んでもいなかったうえ、読んだら「of course」を「まったく」と訳す人だった
3. 連絡先を自分のサイトに明記していない、サイトの掲示板も自作自演が可能な匿名基本の運営をしている、連絡を取るためにはものすごい高いハードルのある人が、捨てメールアドレスと思われるものを示して、「ここに連絡しろ」という要求を出した

だったのでした。
(以上、追記おわり)

例えば英語で書かれたドキュメントがあるとして、a)原文を自分で読んだ場合とb)別の人がつくった和訳を読んだ場合とを比較して、a)の場合の方が正確な理解に至るという原理的な保証などありません。事実問題としては、原文を自分で読んで和訳の間違いに気づくということもあるでしょう。しかし、なまじ自分で英文を読んだ結果、正しく和訳されている部分を誤読してしまう、ということだってありうるわけです。翻訳者を疑うのなら、原文を読む自分だって疑わなければ筋が通りません*1。南京事件に関する史料は日本語によるものの他英語、中国語、ドイツ語といったポピュラーな言語で書かれたものばかりで、読み書きできる人が少ないマイナーな言語による史料なんて関わっていないわけです。南京事件研究者の一人一人が英語、中国語、ドイツ語のすべてをこなすとは限らないけれども「研究者集団」としては中国語もドイツ語もわかる、といってよいわけです。そうした研究者集団が日本語で公表している成果が目の前にあるのに、「中国語がわからないと…」と主張するのはむしろ傲慢と言うべきでしょう。まるで中国語さえわかるのなら、研究者の集合知を凌駕できると言わんばかりじゃありませんか。Jonahさんが「南京大虐殺研究者の大半は中国語も日本語も英語もできると思いますが、そうした人々の研究成果を一言で無効化する発言ですね」と指摘しておられる通りです。

それについては、

シェイクスピア研究者や江戸時代の研究者は英語や草書が読めないとダメだし、文意としては「ネットでぬるい議論をする程度なら、日本語テキストだけで十分なんですけど」と言っている通りです。翻訳だってシェイクスピアすごい、とかかっこいい、とか思えますからね。ぼくもたいていのテキストは翻訳で読んでいるし、それらについてぬるい感想を書いたりしています。

と言っている通りです。まだぼくの説明がヘタのようでしたらすみません。
ええと、どのあたりからはじめたらいいのかな。「そんなことぐらい知っている」と言われそうなんですが、日本人の人が日本語で何かを言っているテキストなら、日本語で読むだけで十分なんでしょうが、あちらの人があちらで言っているテキストは、あちらのテキストに沿って言及したほうがいいですよ(いくら井戸端な人でも)、という程度のことです。「できない奴は黙ってろ」ではないんですね。
「「中国語がわからないと…」と主張」などと、妙な省略のされ具合が気になりますが、ぼくは「中国語がわからないと「南京大虐殺」について語るのは難しいだろう」、あるいは「中国語がわからないでも「南京大虐殺」について語るのは難しくないだろうと思っている人は、いろいろな意味ですごい」と思った感想を述べただけで、別にそもそも「主張」でもないわけですが。主張というのは「○○すべきだ」とかいう感じのもので、たとえば「中国語がわからないと「南京大虐殺」について語るのは難しいだろうから、中国語がわかるようにしろ」だったらまぁ、主張かなぁ、とは思いますが。
こういう思う・思わないについては難しいんで、「主張」についてぼくがどう判断しているか、またプロフィールのほうに入れておきます。

「主張」自分の考えの、当人にとっては明確でありながら周囲の人間(第三者)には不明確な「正しさ」について、ある種の押しつけがましさを周囲の人間に感じさせながらも述べる行為。

あと、「文脈的に、前後がどうなっているか」というのも時によってはかなり重要なわけで。
抽象的な話をしていてもわかりにくいと思うんで、具体的な例を挙げます。
そうだなぁ、こんなのはどうでしょう。Apemanさん以外の人もこのテキストを読んでいるわけなので、耳学問的に。
朝日の「天声人語」とシェイクスピア
別に、『The Tempest(あらし)』をテキストとか戯曲で楽しむ分には、「what's past is prologue」「What is past is prologue」なんてのは、「ここまでが前口上」でも「過去はプロローグ」でも、「未来はぼくらの手の中」でも、日本語訳としては全然問題ないわけですよ。
でも、「米国立公文書館」に、英語圏文化の人が英語で「What is past is prologue」と書いてあったら、ちょっと面白い意味があるんだなぁ、と思った次第です。
まぁ、これは日本語訳の場合でも、「どういう場面で誰が、どういう風に使っているか」は、テキスト的に分かるので、あまりいい例ではないかも知れませんが。もう少しいい例がないか、探してみます。
前にも挙げたんですが、劣化ウラン弾関係で、イラク人医師が言ってもいないことを言ったと書いた市民団体があった例は、ちょっと「左寄り批判」のイデオロギーを感じさせて嫌ですか。
少し翻訳が違うんじゃないかと思った
最近のだと、これなんかはちょっと右寄りの人(ていうか、左寄りの人を批判している人)批判?
「沖縄の米軍基地面積より北海道のほうが多い」というのは本当か
なかなか、これは、という例はないけれど、まぁそういうことです。
歴史的事実へのコミットメント

自分が飛ぶハードルは「誰が伝えたかさえわかれば、情報伝達の正確さはわかる」と、非常に低く設定するわけですけど。

とほほ。
また「不正確な引用」をしていますね
それでは、前と同じことをもう一度言いましょう。何度ぐらい言えばいいですか? 覚えるまで言いますよ?
「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです。「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけがありません。
なぜいつも太字にした部分を省略するのはどうして? まぁそのせいか、今回も「当人(ぼく)に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけがない」という例になっているわけですが…。
ちなみに、このハードルは高すぎて、自分でも沖縄戦関連でうまく飛び越えられないのが一つあります。いやまぁ、当人に確認を取ればいいだけのことなんですけどね。これについては、多分またあとで書くことになると思います。
南京事件南京大虐殺)に関しては、引き続きそんなに興味はないんですが、それについて面白いことを言ったりしている人には、引き続き興味を持っています。まぁ「日本語以外で面白いことを言っている人」にまで興味を持っているわけではないので、中国語も英語もドイツ語も、そんなにわかる必要を感じないのが、この方面へのぼくの知的興味における難点でしょうか。
で、これも同じお願いの一部繰返しなんですが、とりあえず、ぼくはあまり議論は好きでないので、「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概況 一九三八年〜一九四一年四月」と「中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告」の当該箇所(「書いてもらう」「買い取り」)が、中国語でなんと書いてあるか示したり引用したりしていただけると、いろいろな人がありがたがると思います。ちょっと難しすぎるお願いでしたら申し訳ないことであります。『曽虚白自伝』のほうは「写」というのが「書く」という意味ですか。
どうも、このお願いがうまくいかない場合は、
「すごいなぁ」
「すごくない!」
「改めて、すごいなぁ」
「すごくない! ただの井戸端だ!」
「そうですか」←今ここ
で終わりそうなので、誰が見てもあまり知的刺激にはならないかもです。次のエントリー・タイトルが「駄目だこりゃ」にならないといいんですが。
 
(追記)
和解人。
…やっぱり駄目だこりゃ。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20061020/p4

そうそう、私にとってlovelovedogさんがどういう人であるかと言えば、99%の確率で1)ホロコーストはなかった、2)南京事件はなかった、3)「バターン死の行進」はなかった、と考えているひと、です。残り1%は「本人が表立ってそう認めてないから」という留保です。

どこからそのような推理とか確率が出て来たかは皆目不明ですが、ぼくは、
(1)ホロコーストには何も言えない人
(2)南京事件には何も言えない人
(3)「バターン死の行進」については調べる時間に欠ける人
ですよ。
「ここは井戸端なんだから、ぬるい議論でもいいから何か言ってみてください」と言われたら「すみません、ちょっとぬるすぎるんで…」ぐらいは言うかも知れませんが、その程度のことしか本当に言えないのです。