ブックマーク・RSSから(2006/12/16)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。


Studio RAIN's diary:ヨーロッパ人を救ったわれわれが、なぜアフリカ人を救わないのか?


この外交的なドタバタの中で見失われているのは現実性だ。第一に、アメリカが仲介したダルフールとの和平協定は、調印される可能性はほとんどなく、もはや無効であるということ。第二に、スーダンダルフールでの殺人を止めるという公使との約束を、すべて破っているということ。第三に、スーダンに対する国連決議は、中国が同意しそうにないということ。中国は、原油の 7 パーセントはスーダンに負っており、また中国には、アメリカは、スーダンの問題より、イランや北朝鮮の問題で中国の協力を得ることを優先するだろう、という読みがあるはず。第四に、もはや制裁では間に合わないということ。もし中国が奇跡的に妥協したとしても、制裁の効果が現れるまでには数ヶ月はかかるだろう。そしてその頃には、スーダンダルフールでの二度目の大量虐殺を終えているだろう。
↑「ダルフール問題に関するワシントン・ポスト紙の社説を部分訳」とのこと。スーダンと中国について。

核と萌えの日々〜ライター大泉実成のたわごと:フィギュアについて


新作エヴァの情報を求めてネットを渡り歩いていたら、久しぶりに1/1綾波フィギュアの写真に出くわしました。これが発売された当初、僕はよく「大泉さん、あれ買わないんですか」と聞かれました。僕は当時のフィギュアの硬そうな質感が好きになれず「1/1バルーンダミーなら買ってもいい」と答えたのを覚えています。あの頃のフィギュアは、ぜんぜん綾波に見えなかった。
↑最近のフィギュア、特に遠坂凛が素晴らしい、と語る大泉実成さん。

◆蟲日記◆:蔵書票展・紙片美術館


おかげさまで無事はじまりました。十人十色とはよくいったもので、技法も作風もさまざまなのですが、蔵書票という端正な紙片を作るということから、不思議な(いや、どうしようもない?)統一感もあり、よい展示になったと思います。
↑2006年10月1日(日)〜29日(日)まで実施された「蔵書票展・紙片美術館」というイベントの紹介。

ハナログ:「現状」への軽蔑、「起源」への欲望


「アカデミズムの世界ではマイナーな分野だから、ロクな蓄積がないに違いない」という思い込みに遭遇することは、映画研究の分野でもたびたびで、たとえば映画研究・批評の現状をほとんど知らない人に、「蓮實重彦によって日本の映画言論はスポイルされてしまった」といった断言をされて唖然とするようなことが何度かありました。そして、当該分野の現状を知ろうとせず、そうした思い込みをかたくなに守っている人に限って、他への攻撃性(「これまでこの分野の研究は著しく低いレベルにあった」)と、根拠なき自負心(「したがって、わたしのこの業績こそがこの分野において最初の本格的かつ画期的なブレイクスルーである」)だけが突出した質の悪い言論を、ごく無防備に受け容れてしまうという事態に立ちあうこともまたたびたびです。
↑『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』批判テキストの中では、これが割と説得力を感じた。

忘却界抄:人の意見には従わない


つまり、2chはマスコミによるニュースに対するカウンターメディアになっているのに対して、はてなブックマークはそれだけでなく2ch系ブログという「ニュースと2chの反応」へのカウンターメディアにもなっている、という話。
2ちゃんねるのアンチマスコミとはまた少し違う、はてなブックマークのコメントについて。

ブログ時評:米中間選結果と余波に若干ならぬ異議 [ブログ時評68]


日本のブログに米国流保守思想を根付かせたいと考えている、米国人による「保守思想 Conservatism」の「なぜ、民主党が成功したのか?」は民主党の選挙戦略は三つあったが、それがメディアで報道されることがなかったと主張している。例えば「場合によっては共和党候補より保守的な候補を対抗馬に据えた。メディアの注目は元イラク軍人民主党候補に行ったが、このような候補のほとんどは負けた。勝ったのは”Social Conservative"的な民主党員だ。中絶には反対。鉄砲所持は賛成。教会などで中心人物といえる候補だ。また、保守的地域で以前”過激”と受け取られていた候補のほとんどが予備選の段階で消えた」。この結果、当選回数の多い民主党幹部は従来型のリベラル思想なのに、新人議員は保守系の地盤を持つと指摘する。筆者MikeRossTky氏は「国が保守化する以上、どんどん両党が保守化するのは当たり前だと私は思う。リベラルは大学や都市部でしか受けない」と述べる。
↑日本で伝えられる争点と違う部分が選挙争点になったという分析および紹介。

幻影随想:幸島のサルのデータを読む


つまり、イモ洗い文化発生以前の大人ザルでイモ洗いを覚えたのは二匹の母ザルだけ。しかもそれは1958年よりも前。イモと同世代のサル以降(1951〜)に生まれたサルのほとんどは徐々にイモ洗いを覚えていったが二匹の例外を除いて大人ザルは決してイモ洗いをしなかった。1958年以降はイモ洗いを覚えたサルが親ザルとなったために文化の垂直伝播が始まるが、イモ洗い文化の受容率自体には大きな変化はない。1958年における特筆事項とは、親から子への文化の垂直伝播が始まったことであり、他に何ら特別な事象は観察されておらず、100匹目のサル現象は認められない。
↑詳細なデータから「百匹目の猿」伝説を否定。面白いです。

音極道茶室:やればいいじゃん反証実験


こーゆー形で反響があるとは迂闊だった。みんな大好きなんですね水伝。いままで無関心だったから想定してなかった。しかしながら、ほとんどの批判に対して納得がいかないから改めて煽ってみる。似非科学といわれるものの多くが「そもそも反証できない」というのは一般論としてはそーかもしれない。しかし、田崎先生の文章を読む限り「水伝」に関しては十分反証が可能だと思ったのだが間違ってる?田崎先生も「やる必要は無い」と言っているわけで。不可能な事であればこういう言い方はしないっすよね?
↑「水伝」のニセ科学性を、反証実験してみようじゃないの、という形の提案。

夏目房之介の「で?」:『手塚〜起源』授賞「問題」について


今回の受賞に批判的な最初の反応を起こした、僕を含む人々には「マンガを考えること、語ること」についての、ある範囲の共有された判断基準がありました。そこにおいてほとんど当たり前のことが、本を読んでいない二次的な反応の人々にとっては「一体何に苛立っているのか理解不能」である、という事態。このことをまず押さえておく必要があるだろうと思います。
↑とりあえず批判されているテキストを読んでから、批判しているテキストを読め、という普通のご意見。

幻影随想:毒の話1.5―水の致死量10リットルのネタ元を調べる―


確かに身近な食品に対する「人の」致死量のデータは無いも同然で、動物実験の結果から類推しているに過ぎない。だから白井先生の言っていることは間違ってはいないのだが、もう少し致死量の意味を突っ込んで説明して欲しかったなと思う。ましてや食品安全委員会の返事になると「おいおい、大丈夫かよ」と突っ込まずにはいられない。その程度、英語圏じゃ普通に情報が出回ってるぞ。
↑水は本当は何リットル飲んだら死ぬか、いろいろな動物実験データを紹介してその根拠を探る。