江戸時代のマラソンと映画「まらそん侍」

ちょうど1月2・3日は箱根駅伝なので、少しだけ関連する話として「侍マラソン」について話してみます。
実際に「侍マラソン」というものがおこなわれるのは、5月中旬なわけですが。
これは群馬県安中市の公式サイトから。
安中市ホームページ:安政遠足 侍マラソン

■「安政遠足 侍マラソン」とは
 
”遠足”と書いて”とおあし”と読みます。
毎年5月の第2日曜日に開催される行事で、毎回たくさんの仮装したランナーが走ります。
この遠足の歴史は古く、江戸時代(西暦1855年に当時の安中藩主「板倉 勝明」(いたくらかつあきら)公が藩士の鍛錬のために碓氷峠熊野権現まで7里余りの中山道を徒歩競走をさせ、その着順を記録させたことがはじまりで、日本のマラソンの発祥です。

2007年は5月13日(日)開催予定でしょうか。

スタートとゴールの標高差が1000m以上(峠コース)もある厳しいコースです。

ちなみに箱根駅伝の標高差は864m。

侍マラソンの特徴といえば、仮装して参加できることです。
実際に、参加者の半数以上が何らかの仮装をして参加しています。

画像入り。ものすごく興味を持ちました。
以下のものが去年の記録。
安中市ホームページ:安政遠足 侍マラソン
あとはいろいろと。
安政遠足 - Google 検索
で、映画の話はこんな感じです。
解説・あらすじ - まらそん侍(1956) - goo 映画

伊馬春部の放送劇を「虚無僧変化」の八木隆一郎が脚色し、「俺は藤吉郎」の森一生が監督、「帰って来た幽霊」の本多省三が撮影を担当した。主なる出演者は「花の渡り鳥」の勝新太郎、「又四郎喧嘩旅」の瑳峨三智子、三田登喜子、「新・平家物語 義仲をめぐる三人の女」の夏目俊二、「チャッカリ夫人とウッカリ夫人 (夫婦御円満の巻)」の大泉滉など。

まらそん侍

上州の安中藩では毎年「遠足の儀」というマラソン大会が開催されていた。今回上位に入賞した数馬、幾之助の二人は、表彰式の席上で家老の娘千鶴に一目惚れするが、次席家老の馬鹿息子が一足先に結婚を申し込んだから、さあ大変...。

というわけで、勝新太郎が走るのですな。どこまで本当の話なんだろうか。
木下恵介監督『二十四の瞳』(1954)の2年後に公開された映画。
アマゾンで売ってた。
まらそん侍
ビデオテープですか。大きいレンタル店なら在庫あるかも(未調査)
評価はこんな感じ。
まらそん侍 - Google 検索
歴史的には、昭和30年に発見された古文書がきっかけらしい。
キャッシュから。
第31回 安政遠足

安中藩主、板倉勝明侯は、安政2年(西暦1855年)、藩士の心身鍛錬の目的をもって、安中城内より碓氷峠熊野権現まで7里余りの中山道を走らせ、その着順を記録させた。これを『安政遠足(あんせいとおあし)』という。その記録が昭和30年、碓氷峠の茶屋から発見され、安政遠足保存会を組織し復元したものである。

曽根保険事務所:軽井沢名物碓氷峠の力餅

当あずまやに「安中藩御城内御諸士遠足着帳」なる古文書がありますが、安政二年五月十九日より安中藩の若手侍による安中より碓氷峠熊野権現様迄二九kmをマラソンが行われました(日本マラソンのルーツです)その時の賞品に「力モチ差上ぐ」とのっております。当時の製法そのままに日本のふる里の味を守って参りました。

「カモチ」じゃなくて「ちからもち」ですから、念のため。
まだいろいろありますが、あとは検索してみてください。