本を作る際の「販売」の意見について

こんなところを見ていてちょっと考えさせられた。
実売データをめぐる戦い - 書籍編集者esのつれづれ書評+α

今や出版業界では『実売の売上をデータでチェックする』というのは常識になってきています。
自社の本に限らず、他社の本まで見れるシステムがある。
たとえば、全国展開する某大手書店のデータでは、Aという本が、その書店グループ全体にどれくらい配本されて、さらに各店に何冊ずついって、毎日どの店で何冊売れた、ということまで分かっちゃうんですね。
あと客層や返品も分かるようになっています。
当然出版社の人間は、このデータを見ていろいろなことを判断します。
ある著者の企画を考えているなら、近著のリアルな売上をチェックしたり、出版が決まっていたら、刷り部数を決める参考にしたり……。

このPOS管理システムというのはどの業界でもやっていて、特に多品種少量販売の商品では(多分)効果的なはずなんだけど、それに「人間の創作物」というのが入って来ると本当は難しいんじゃないか、と思う。もう、アメリカのシリーズ探偵もので翻訳の続きが出なかったりするのが山のようにあるわけで。「このシリーズは売れないからやめる」とか、「別の話を書かせる(翻訳させる)」というのは、編集者・翻訳者の判断として出てくるんですが、販売がなかなか首をタテに振らないんですな、多分。「この作家は人間としてダメ」というのと、「この作家の作品は次は出せません」というのは、ニュアンスとしては違うんですが、なんか似たようなイメージがある。で、POSのおかげで「ダメな奴は何をやってもダメ」みたいな感じで、作家としての再チャレンジが難しくなっているように思える。大手を除く中小の、特にぼくは個人的には東京創元社の頑張りには応援したいところがあるんですが(堀晃『バビロニア・ウェーブ』復刊には驚いた)、それでもジョナサン・キャロルの既刊は全部生きていないみたいだし、「ダーコーヴァ年代記」の残りが出るという話は聞かない。
割と作家というのは「化ける」ことが多いので、プロデューサーである編集者は、「販売に出せないと言われた作家(他社で書いていて、あまり成績がよくなかった作家)」に、違うネタ・テーマや、違うイラストライトノベルの場合ですね)、さらには違うペンネームで販売をだますことなどもあるような気がします。もちろん読者にはバレてしまうわけですが、一度出して売れてしまったらそれはそれ。
最近は小説も、漫画と同じく「どこの誰のどの作品が面白い」という情報がうまく伝わって来ないのが困ります。○○は売れている、というセールス情報は、ヒットチャートや映画ランキングと同じく、ベストセラー・ランキングがあって分かるんですが、その中に読みたい本があるかどうかというと微妙。