あれこれ言わずに全部読め。そうすると面白い本のみつけかたがわかる

面白い本を見つける方法。
1・「○○が面白い」「××がつまらない」などという意見を聞かず、たとえばライトノベルやSFやミステリーの、その月に出た新刊を全部読む(すくなくとも本の表紙と、内容紹介ぐらいには目を通してみる)。それを何か月か続けるとなおよし。
2・その中で面白いと思った作家がいたら、雑文なども含めてその作家の過去作品を読んでみる。
3・その作家がどういう作家から影響を受けているか、源泉を探る旅に出る。
4・自分が面白いと思った本を紹介している人=自分に合った本の紹介(おすすめ)をしている人を探す。これは「3」とは別の道を辿る旅(行き着くところは同じかも)。
「3」が重要。特に「本好きの作家」(恩田陸など)はよい道標になると思う。外国作家だとボルヘスとかスティーヴン・キングとか。
これは多分映画や音楽でも同じ。
とにかく河をさかのぼれ、ということ。くだってはダメですよ。
意外なものが源泉にあったりすると思う。J.G.バラードがジョーゼフ・コンラッドのトラッドな小説世界と類似しているとか、そんな感じ。それに慣れたら、人に知られていない(昔は有名だった)源泉探し、あるいは何か違うもの探しもちょっと楽しい。石坂洋次郎『陽のあたる坂道』は、石原裕次郎主演の映画化を意図して書かれた小説なんだけど、書かれるちょっと前に洋画系統で大ヒットした『エデンの東』の影響があるな、とか、そんな感じ。
 
考えるのが面倒くさい人は、ここを足がかりにすればいいんじゃないでしょうか。
松岡正剛の千夜千冊
 
(追記)
コメントに関するレス。

山下 『質問1。「その月に出た新刊を全部読む(それを何か月か続ける)」というのは「河をさかのぼる」ことなんでしょうか。さかのぼるとかくだるとかの単語とはあんまり関係ない気がしますが。

「その月に出た新刊を全部読む(それを何か月か続ける)」というのは「河の前に立って水を飲む(それをある期間続ける)」ことです。ああでもそれだと「源泉」ではなく「河の流れていく先」を探す旅になるのか。その喩えもいいかもしれないとちょっと思った。

質問2。方法2、3、4が「河をさかのぼる」ことなら、その作家の新作を追ったり、その作家が影響を与えた作家を探ったり(、面白いと思う作家が紹介している本を探す?)というのが「河をくだること」ですか。万一そうなら、くだってはダメなのはなぜですか。

「その作家を「好きだ」と言っている作家の本を読む」ということが「河をくだること」です。ダメなのは、そうすることによっても「さらに面白いと思える本・作家」ではなく「面白さにおいては劣っている本・作家」しか見つからないからです。

質問3。こうした方法たちを意欲や時間や金銭の面で続行していけるような人はもう既にマニアだと思うし(マニアはこういう探し方をとっくに知っている)、マニアじゃない人はせいぜい「面白いと思った本の類書を探す」程度で済ませてしまう(こういう探し方なんか「そんなことをするほど暇でもない」と言ってはなっからやらない)ように思いますが。悲観的でしょうか。』

そういうのが面倒くさい人は、「松岡正剛の千夜千冊」というサイトを読んだり利用すればいいのでは、という答の通りです。別にそういう人に悲観的になる必要はありません。