ブックマーク・RSSから(2007/03/29)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。


Birth of Blues:共同通信 F1の記事でも情報操作 【スーパーアグリ潰し】


何が情報操作なのかというと、見出しの「フェラーリ」。記事を読めば分りますが、提訴したのはフェラーリではなく、「スパイカー」。スパイカーフェラーリよりエンジン供給受けているので「スパイカーフェラーリ」と表記されますが、やっぱり提訴したのは「スクーデリア・フェラーリ」ではなく、「スパイカー」ww
↑見出しは演出です。新聞記事の見出しも、このエントリーの見出しも多分。

イグノーベル賞 2002年 数学賞(インド) :インド象の体表面積の求め方


この公式は、象が病気になった時に与える薬の量を決めるために使われる。
Java appletで計算できます。via なーきーだいありー

おもしろコミュニティ 縁count 〜おもしろコミュニティ列島〜:街中に突如現れる珍ガードレールを発見


この取材はボツだな、なんか飯でも食って帰ろうと考えていたところ、その瞬間は突然やってきた。午後4時。日が西に傾き、帰ろうとしていた我々の足元にガードレールの影が出現した。
↑ちんこガードレールを発見。via なーきーだいありー

Ameba News:ファミコンのABボタンはかつて■だった


ファミコンのABボタンはかつて■だった
↑ほんの初期の一時期だけらしいですけれども。via なーきーだいありー

Simplex's Memo:100万 Page View 達成。


このブログを見てくださっている皆様、いつもありがとうございます。「Simplex's Memo」の閲覧数が昨日、累計100万を越えました。
↑3年足らずでの記録だそうです。サイトは主に地方の鉄道を扱っています。

コピブロ:手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』


藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。
↑自分の冷蔵庫で料理を作っていてはダメだ、という藤子・F・不二雄手塚治虫と逆の主張も。

マフスのはてな:Various Artits/We’ll Inherit The Earth: A Tribute To The Replacements


後期リプレイスメンツばかりを褒めそやすのは、『Pet Sounds』以降のビーチ・ボーイズを褒めそやすようなものだ。パンク・バンド時代の初期リプレイスメンツを、サーフ・バンド時代の初期ビーチ・ボーイズを軽視するような輩は信用ならねえぜ!
↑リプレイスメンツのトリビュート・アルバムの紹介。

ネ タ の タ ネ:ミーハーとサブカル消費文化


竹熊健太郎さんが凄いオタクについて『コレクター考』として自身のブログで連載されていたが、オタクするには、情報収集力や交渉力の他に、インフラ条件として金と暇と収集保管場所が必須である。インターネットの普及の他に商業的にオタクジャンルとして回っている現在は昔程そういうことは考慮されない。現在と違う重要な点は、物のない時代の貧乏と階級支配、カルチャーとサブ・カルチャー、大人と子供の厳然たるピラミット構造である。って書くと、そのリアリティがない現代っ子には、脊髄反射サヨクイデオロギー的っていわれるんだよなー。いまでも「漫画なんかバカの読むもの」ってオタクでないプレオタク世代以上の多くの年配はフツーに言うでそ。だから履歴ぢゃなくって世代論なんだけどね。
↑オタクであるためにはそれなりの財力がいる時代があった(多分今もそう)、という話。

ゾンビ、カンフー、ロックンロール:「悪魔のいけにえ」&「悪魔の沼」を劇場で目撃しなければいけない理由は10個では済まない。


ホラー文脈として、ブッ殺されるキャラクターを陰湿に描く事で生まれる爽快感もチャンとある。上映は月・火・水の平日だが、仕事終わりの爽快かつ陰惨で素晴らしい映画体験を是非。ボクは「悪魔のいけにえ」は当然として、「悪魔の沼」も手許に置いて何度も見たい1本だと気付かされ幸せな気持ちになったよ。
↑音と映像は劇場でないと充分に堪能できない、とか。

paint/note:美術館ガイドについて


ああでもない、こうでもないとキーを打ちながら思っていたのが取り上げようとしていた美術館の「たたずまい」で、この感覚をエントリにまとめようと思うとどうしてもその「建築」について書いてしまいがちになる。けど、これはタテモノだけで済む感覚ではない。例えばポーラ美術館について書こうと思えば、ガラスで編み上げられ宙に浮いた、自然光燦々のエントランスについてだけ書いても物足りなくて、そこから見える緑の箱根の森や、そこに至るまでの登山鉄道から路線バスの道のり(なかなかアップダウンが激しい)までも書きたくなるし、東京国立近代美術館であれば、それが前川國男の手になる重厚な空間で組まれているのだということだけでなく、竹橋の地下鉄駅から毎日新聞社の、本当にモダンな香りのする(高村薫の小説とかに出て来そうな)社屋を一部通りながら地上に出て、堀にかかった橋の向うに見える皇居・北の丸公園と、高く走るこれまた古い首都高速の渋滞とかまで含めて、周囲にはっきりと「昭和」の濃厚なにおいが漂っていて、それこそが「東京国立近代美術館」なのだと言いたくなる。
↑美術館ガイドを書こうとすると、どうしても美術館の「たたずまい」に関する言及になる、という話。