ブックマーク・RSSから(2007/03/31)
あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。
agnos/memo:からっ風野郎、あるいは…
↑三島由紀夫主演の映画『からっ風野郎』はなぜあんなに演技がヘタなのか、について、ほか。
三島は、真面目すぎたんだろう*3。たしかに「アホ」だ。そして傷つきやすすぎたんだろう。ここらへんが、たとえば安岡正篤に言わせれば三島の駄目なところなのだろう、そしてその通りなのだろうが、私はそれをむしろ人間ぽいと思う。彼が用意したいろいろの鎧も、彼の「自意識に詰め腹を切らせる」ことが、どうしてもうまくいかなかったことを示すもののように、思われる。
他山の石書評雑記:打倒いじめ「世間」
↑いじめられた相手の親が選挙に出る、という話。名前を出してしまうと多分、赤池誠章・長沼公彦。
もうすぐ統一地方選挙である。山梨県でも、県会議員の選挙が行なわれる。甲府市の選挙区のある新人候補は、私の山梨大学附属中学(1995卒)時代の同級生の親である。その同級生は、私をいじめていた主犯格である。親が選挙に出るゆえ、投票依頼の電話がかかってきた。無論理由を示した上断ったが、なかなかの階層社会であることを思い知らされた。
U´Å`U:マルセル・エイメ 長島良三訳 壁抜け男
↑具体的な地名とすっとこどっこいなキャラ設定の落差が楽しい、エイメの短編集だそうです。
「七里のブーツ」は、というよりもどの話も、露骨に想像力をめぐる(あるいは想像力と、ここで言われるような本当のこととの葛藤の)寓話として読める*2以上、この台詞は示唆に富む。「本当のこと」を無視せず、さりとて「本当のこと」に縛られず物語を語る力をストーリーテリングと呼ぶのなら、本書は真の意味でストーリーテリングのマスターピースが集められた短編集と呼べるだろう。
半熟三昧:『ジョゼと虎と魚たち』
↑映画を原作と比較して、どのようによかったかを語る。
ま、筋を一言でまとめると、ツンデレ、ということなんでしょうけども。しかしツンデレという言葉はあくまでも、ツンデレられる男側の視点の話で、ツンデレする側の心情に立ち入られることは普通ない。そういう意味では「ツンデレ」という文脈において物語が語られる場合、その人格は非人間的な(NPC的な)扱いを受けることになる。この話は、ツンデレをする側=ジョゼが主体である。原作では、ジョゼ視点が7、男視点が3くらいであったが、映画では、男の視点で話は進み、ジョゼの視点は意図的に隠されていたが、最後、二人で旅行に行ったあと、寝ている場面で、ジョゼが独白のような語りかけのようにつぶやく。ここはジョゼの心境がほの見える、いい場面だ。
nsw2072の直感:役に立たない方法
↑中学時代の役に立たなかった勉強の話です。
ひょっと想い出したのだ。中学一年の一年間、私は地方都市に暮らしていたのだけれど、数学と英語のための塾に行っていた。今から考えるとちょっと変わったところだった。そう、歳なら60歳くらいのおじさん先生*1が部屋の片隅の黒板に問題を書く。それも英語の黒板と数学の黒板があってそれを自分でノートに写し、それの答えをそこに書いて持っていき、見て貰って、「はい、OK」とか「全然だめぇ、もう一回」といわれたり。私は平日は毎日ではなかったという記憶だけれど、週末もそこに行っていた。川の縁にあってチリ地震津波の時にはその川を水が逆流し、浮かべてあった南洋材が一緒に川を遡っていった。
ザ大衆食つまみぐい:あとをひく〔つるかめ〕の感傷
↑ハードボイルドぶりを感じさせるテキストです。
きのう「ション横つるかめから太田尻家へ、タイトルたまる」に書いたように、ひさしぶりに新宿西口ション横の〔つるかめ〕に入った。やはり〔つるかめ〕は、おれにとっては特別なところだという思いを深くし、すっかり感傷をひきずっている。
きのこ キノコ 茸 木の子 - 晴・春:テングタケの仲間 in おフランス
↑エリンギはこう料理するとおいしい、みたいなことが書いてあります。
みんなエリンギ、エリンギって騒ぐけれど、何だかキャラメルっぽい味で、「しこしこ歯切れ」もちょっとモタついていて、今ひとつの味だなあ・・・と思ったことはありませんか? 私は常々そう思っていたのです。そこで、エリンギの良さを生かすカンタン料理。
新・読前読後:手に入れた喜びと読む喜び
↑戸板康二『中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件』の紹介。ちょっと読んでみたくなりました。
戸板康二『中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件』*1(日下三蔵編、創元推理文庫)を読み終えた。思えば2004年に『BOOKISH』で戸板康二特集*2を組んで以来(いや、それ以前からだ)待ち望んでいたこの全集、昨年あたりから延期に延期を重ね、とうとう2月末には本当に出るらしいと知って、久しぶりに本屋に並ぶのが待ち遠しい思いにさせられた本だった。
クロスロード=クリティーク×じんせい色々篇@一日一善日記:アメリカ産のパンクなんだが
↑The Replacementsというアメリカ産パンクバンドの位置づけ・評価について。
80年代のアメリカ産のパンクバンド。アメリカではパンクロックが浸透するのに=それを承認するのに、結構時間がかかった。パンクロック的なスタイルは、平均的アメリカ人のあまりにも拒否しがちな性質を備えている。しかし最初は抵抗あったとしても、じきにアメリカでもそれは承認されるに至るし、今では普通だろう。アメリカでパンクロックが流行るとき、それはやっぱりアメリカ的なセンスによく出来上がったものである。The Replacements というパンクロックのバンドが80年代にアメリカではわりと流通していたのだが、このバンドは日本には殆ど入ってこなかったし、日本では殆ど知られていない。アメリカ人でもアメリカ人的なパンクがありうるのだという事実を日本人は受け入れがたかったのだろう。そんなものがあるなんて、日本人は別に知りたくもなかったというわけだ。