慰安婦米軍命令の誤記事について
→6日付け産経新聞記事の訂正(pdf)
【訂正】
6日付産経新聞の「占領時、米軍も『慰安婦』調達を命令」の見出しと記事中、AP通
信の報道の引用で「占領米軍(から)の命令」「米軍が命じた」とあるのは「米軍の許可」
「米軍が許可した」の誤りでした。
産経WEB に掲載の同記事はすでに訂正されております。
2007年5月6日の、訂正ずみ記事。
→占領時、米軍も「慰安婦」調達を許可 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明(産経新聞)
占領時、米軍も「慰安婦」調達を許可 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の許可により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。
AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの許可で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。
同議員は自らが追及している戦時中の日本軍用の慰安婦と戦後の米軍用の慰安婦の比較について「日本軍の慰安婦は日本帝国軍隊の政策として性的奴隷という目的のために少女や女性を拘束し、強制し、拉致したのだから、米軍のそれとは異なる」と語った。
AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を許可した一連の日本語書類が発見されたと報じ、その内容として(1)1945年8月末から9月にかけ、米軍の許可を受けて日本政府の内務省などが東京はじめ茨城県などの地方自治体に「慰安婦」集めを指示し、合計7万人以上の女性が売春に従事した(2)米軍当局はそれら女性の一部は強制徴用されたという報告があることを知りながら、慰安所開設を認め、連日連夜、米軍将兵が詰めかけることを許した−と報道した。同報道はこの米軍慰安所にかかわって当時の日本側関係者数人を実名で紹介し、その談話をも引用した。
しかしこれら日本の米軍用慰安所は連合軍最高司令官のマッカーサー元帥の命令で1946年3月末には閉鎖されたという。
日本側でも終戦直後に米軍から売春施設開設を許可されたことについては旧日本軍が米軍進駐受け入れの準備組織として結成した「有末機関」のメンバーたちの証言が残っている。このように軍隊に売春という組み合わせは旧日本軍に限らず、米軍も同様だったわけだが、ホンダ議員らは旧日本軍の慰安婦はみな「帝国の軍隊の政策として」強制徴用された点が日本側一般とは異なると言明している。(2007/05/05 21:43)
元記事は、たとえば以下のようなところなどで見られます。
→今日のiza トップデマニュース 古森の自作自演記事 木田貴常
【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。
(以下略)
↑の掲示板の、AP記事に関するテキストも面白いです。
↓記事に対するトラックバックにも注目したいところ。
→米軍も「慰安婦調達」 それを知ったホンダ議員「旧日本軍は強制」と強調-ブログ一覧:イザ!
ただ最近は「ソースを見ないと何とも言えない」という人も少しずつ(本当に少しずつ)増えているようなので、その点は安心しました。
→stay alive for a moment of the death なんだかなぁ:古森さんの戦時売春宿報道に関する記事
朝毎は信用できない、テレ朝、TBS,NHKも信用できないと日頃喚き散らす人達が一体なにを根拠に古森さん、あるいは産経新聞だけ信頼できるんだろうか?
僕はそのことが不思議だし、この記事のiza版にはほぼ中韓やホンダ議員を非難するTBなんですが、なんと65も飛んでいることに薄ら寒さを感じるんですよ。
少なくとも流し読みをした範囲ではAPの元記事も読んだ上で書いている人が見あたらないんです。
古森さんには失礼な言い草になることをお詫びしますが、なぜ産経、古森さんの記事だとソースを確認しないで信用できるんだろうか?
そこでこれですよ。
→メディアリテラシーとは - はてなダイアリー
報道に対する十箇条
1.情報を流して得する人を考えてみましょう。
2.可能な限り情報のソースを確認しましょう。
3.コメントはその人の意見であって事実ではありません。
4.片寄った意見はなんらかの裏があるはずです。情報だけを見るようにしましょう。
5.2つの意見があるとき、マスコミの誘導に載らない決断力を持ちましょう。
6.雑誌や番組のタイトルや見出しに惑わされず、中身を見るようにしましょう。
7.意見の偏りやその人の専門を見極めるために、情報提供者の名前を覚えるようにしましょう。
8.メディアの人間がアクシデントに対しどんな対応をするか見極めましょう。
9.メディアは知っていることすべてを報道するわけではないことを覚えておきましょう。
10.大勢が判明するまでなにかを語ることは避けましょう。
しかし、ちゃんと見ないで何かを言う人は、いつまでたってもちゃんと見るようにはならないような気もしてしまうのです。ネットのブログでは、なおさら。ぼくも気をつけなくては。
なお、ぼくの日記の中では繰り返しのようなことになりますが、一次情報に当たるのが時間的その他的にも難しい一般の人が、誤報に基づいて何かを言ったりするのは、ある程度は仕方ないとも思っています。
問題は、その後のフォローです。
元エントリーのテキストを消さないで「追記」する、というのは、元エントリーのテキストを消して「なかったこと」にするより、ちょっと見にはカッコワルイんですが、自分のテキストに関する誠実さを示す、という点において、中・長期的にはブログの読み手の信頼を回復するんじゃないかと思います。
あと、どうも、新聞やテレビといった二次情報に基づいて、「何かを言う」という、自分の意見・感想をメインテキストにした「コメンテイター」になりたがるブロガーが多すぎるように見えるのが、ぼくの気になるところです。
本とか映画の感想でもそうですが、「こんな風に感じた」という感想よりも、「こんな本・映画があった」という部分での情報提供のほうが、ぼく自身は役に立つ場合が多いんですが、みんなはどうなんでしょうか。