「みんながやっておりますので…」と集団自決する人にも朝鮮人虐殺する人にもなって欲しくない

 もうこういうこと考えると、皇民教育とかじゃなくて日本人の基本的な考えになっちゃうんだけど、誰かえらい人が「みんなが決めたことだから」とか「みんながやっているんだから」ということで、何かをやっちゃダメなんじゃないかと思う。思うけど、自分で考えることを教える、というのは難しいね。たとえば何かを書いてみること、とか人に言われなくてもできるようなことを自己の中に持つことだろうか。それも、人と違ったことを書く。そのために、何がどう違っているか、ちゃんと説明・説得できるだけのモノを集める。それができないと、ただの「ヘンなことを言っているだけの、ヘンな人」、以上のものにはなれない。みんなが殺したり殺されたり、自殺したりしているときにそれを止めるのはぼくには無理だ。そんなことができるような人を、なるべく多く作ることが正しい社会というものだろうけど、どの世界でも、人はエライと思われている人の意見を聞いて行動するような教育しか選べない。エライ人が間違ってしまった場合はあきらめるしかないんだよなこれが。関東大震災の時は、民間人より軍人・警官のほうが虐殺した数は多いんじゃないかと思ってるし。結局はこれなんだ。
長崎の「平和市民団体」と被爆者の関係について考える(結び)・「知らないもの」の量を減らす - 愛・蔵太の少し調べて書く日記

戦争を避けるために必要なことは「知らないもの」の量を減らすことです。より具体的に言うなら、「相手の言葉(英語・中国語その他)」で自分の考えを伝え、相手の考えを理解する、ということです。

 オースン・スコット・カードポール・アンダースンも多分似たようなことを言っている。ヴォネガットは多分あきらめている。ぼくは、死ななかったり殺さなかったりした人がいたことに、少しだけ希望を持っている。テレビでどこかの誰かが、あるいは近所でよく知っている人が「殺せ」と言っても、決して殺さないでください。誰かに対して憎しみを持つことは間違っています*1。ネットで「あいつ(あいつら)を憎め」と言っている人間は、その対象がどのようなものであろうと、間違っています。多分。
 

*1:嘲笑の対象とすることは、シニシズム指向のぼくとしては微妙