ブックマーク・RSSから(2008/01/29)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。


かさぶた。 :評判のきわめて高い、良質のジュブナイル 『ジョン平とぼくと』


少年少女向けの良質な成長物語として、各方面でやたらと評判が高いと聞く『ジョン平とぼくと』。派手さには欠けるものの、たぶんハリーポッターの読者なら、この本も楽しめるんじゃないでしょうか。 科学のかわりに魔法が発展した社会で、どういうわけか魔法が不得意な少年、「ぼく」こと北見重。彼の使い魔はジョン平という呑気な犬。落ちこぼれ少年とゆる〜い犬のコンビは、誰もが魔法を使える社会で、あんまり目立たないように、居心地が悪そうに、自分たちのペースで毎日を過ごしています。
大西科学ソフトバンク クリエイティブライトノベル。ゆる〜い日常系魔法世界らしいです。

Mint Julep:『犬神家の一族(横溝 正史)』


物語は、現在のミステリ小説に慣れている人からすれば随分と単純だったり強引な動機付けだったりするのではないか。突然金田一が「はっ、そうか!」と死角に気付いたりするのだけれど、大体は勘だったり大胆な推理だったり。まあ、普通の警察ではこんな無鉄砲な推理は立てられないでしょう。しかし、そこはシリーズものの主役として活躍する金田一耕助だからこその魅力が助けているのだろう。その推理に警察が易々と乗ってしまうのはなかなかにおかしい。というか、警察署長自体が「あ、分かった。つまりは××だな!」と早合点しちゃうし。短絡的過ぎます、署長。
横溝正史初体験の人による『犬神家の一族』に関する感想。現代のミステリと比較するとアレですか。

Shinya talk:「新風舎」の体験談続編


忙しいため途中で「新風舎」に関するブログを中断していた。論評の類は大変な数にのぼっているが、経験談のみを無作為に抽出して掲載する。なお今回はイニシャルはなしにさせていただいた。かりにイニシャルであろうと、内容によっては本人の特定に繋がる可能性があるからだ。
新風舎の出版ビジネスに関する伝聞情報。

債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら  微妙なライン:微妙なライン


さて、その中国もいよいよチャレンジが始まります。先富論から30年。豊かになるものは先に豊になって国を引っ張れ、といってきたものが先の全人代では遂に「社会公平、正義の維持」と来ました。これよりは、「豊かになったものはその富を配れ」、というメッセージが歌われています。実はアメリカはこれに失敗しており、全消費の90%以上をトップの数パーセントの所得層が賄うという国になっています。これに(富の分配に)成功したのは戦後日本だけ。中国は実は共産主義ですからイデオロギー的にはこの分配システムに最も適している筈です。なにせ「社会主義市場経済」で、土地すら私有できないのですから資本主義といわれても笑うしかありませんが、本当に富の分配がなされ、5億人の消費者が生まれるならこれは革命的出来事である事は間違いありません。そういう目で見ると中国経済の底力もまたわかろうと言う物です。日本ではなぜか過小評価する方が多いのですが、中国が単なる「世界の工場」から「世界の消費国」に転換できるかどうか、これはアメリカ経済の趨勢に勝るとも劣らない大命題であるということも忘れないで下さい。
↑米国新築住宅販売件数(一戸建て)で米国のバブルについて考える。

はてな匿名ダイアリー:お馬鹿な女達。


昔「クリスマスがキリストの誕生日」だということを知らないという女の子に出くわしたことがあります。まあ諸説があるでしょうし、本当にキリストが生まれた日じゃないかもしれませんが、一応そういう説があり、それが一般的であるということは誰しも認めるのではないかと思います。少なくともここ日本では。その女の子はそのとき丁度二十歳、もしくはもう少し上くらいだったのですが、「この子はこの二十年間、一体クリスマスを何だと思って過ごしてきたんだろう」と強く疑問に思いました。
↑クリスマスは何の日か知ろうともしない人たち。ドルイド教徒の冬至の祭り、という説も一般的ですが。

半熟三昧:辻仁成『ピアニシモ』


うーん。人生の中で特定の時期の人間には、激しく共感を呼び起こすかもしれないんですけれども、僕にはあんまり。読んだ時期もちょっと時期を外れていたし(僕もうおっさん)。それに、僕ねえ、こういう子供じゃなかったからなあ。
↑のっけから「ざらついた空気が」って、それはないだろう、というご意見。

俺はセンチメンタルカンガルー:新宿歌舞伎町


新宿でいろいろなミーティング。有意義な会合でした。昼のランチ時に「歌舞伎町が恐くなくなった」という話をして、ディープ歌舞伎町を歩いたのだが、確かに全然ふいんきが変わっていた。一緒に歩いていた人は「歌舞伎町は学生の頃から来ていたから全然恐くない」と行ってた。俺は池袋が地元だったので池袋の北口やらロマンス通りやら文芸座のあたりも全然恐くないのだが、その人は池袋のそのあたりは恐いそうで。池袋恐いって人多いよね。都市というのは本当に接する肌の感覚で全然違うのだな、と思う。
↑新宿歌舞伎町が、ディープなところでも恐くなくなった、という話、と池袋。

他山の石書評雑記:ありがとう早稲田の論点


早稲田大学を代表する学内議論系サイト「早稲田の論点」が、3月27日を持って終了した。このサイトにも時々いらしてくださる秋葉丈志さんが1999年から運営していた。1999年は、ちょうど私が早稲田大学に入学した年だ。同期入学には、広末涼子教育学部国語国文学科、中退)・村井美樹教育学部教育学科社会教育専修)・村主章枝教育学部社会科社会科学専修)・及川健二(社会科学部)がいた。もうそんな前の話だ。
ヒロスエ入学の時期に作られた学内議論系サイト「早稲田の論点」が終了した、という話。

少女漫画的日常:読者論についてメモ


かつての文学研究では、作品を書いたのは作者であるという前提のもとに、作家が書き上げた作品から作者の意図と文学作品の意味を解き明かすための文学研究、「作家論」「作品論」という方法論が代表的なものであった。研究の中心は、なによりも作者の伝記的事実であり、作者の実生活の細部を探り出し、蓄積された伝記的事実の中で作品が解き明かされるという視点である。こうしたやり方はおもに「実証主義的文学研究」と呼ばれていた。関心がテクストと読者に向く以前の主流を占めていた方法論である。
↑文学研究における流れについて、過去半世紀ぐらい前から分析。

ネコプロトコル:ロボの涙が好きである。


攻殻フチコマが泣くシーンの欄外コメントや、サモンナイトのロボットランドルさんを例に挙げるまでもなく《ロボットの泣く絵》には決まって「(泣いてませんよ)ただのレンズの洗浄液です」というセリフが続くわけで、あろうことか(あろうことか?)おれはこのセリフが大好きなのである。
↑「泣いてませんよ。ただのレンズの洗浄液ですよ」というロボットのセリフに泣ける。