誰が漫画の責任を取るのか

 現時点であまり成功していない(曲がり角に来ている)モデル・ケースとして「漫画」というメディアを考えると、いろいろ曲がり角に来ているもの全体を考える参考になるかと思って、ちょっと書いてみる。
 というより、なぜ成功したか(過去の栄光があったのか)、について書くことになるのかな。
 まず、漫画(雑誌・コミックス)というメディアが、他の娯楽よりも単価が安くて楽しめる(安い時間で長時間楽しめる)、という誤解を与えていたのが、過去の成功理由の一つとしてあると思う。雑誌の値段はともかく、コミックス(漫画単行本)の値段は、確かに400〜500円なので、他のどの娯楽商品よりも安い。匹敵するのはレンタルCD・DVDぐらいですかね。ただ、漫画単行本1冊読むのに30分以上かかることは稀なので(そのかわり割と何度でも読み返すことができる)、レンタルDVDと同じぐらいの時間を費やすには、1500〜2000円ぐらいの費用がかかるんじゃないだろうか。さらに、ネットで何かを見ることは、回線使用料を考えるとすごく安い。要するに、「漫画よりも安くて長時間楽しめる娯楽商品」が、ネットやケータイといったメディアでどんどん伸びている、という事実。ゲームだって、遊ぶ時間と値段を考えると漫画より安いし。
 次に、漫画という表現方法が、かつては「わかりやすい文学」だったり「安価な映画」だったりした時代がありまして、文学に限らず、面白い小説とか映画の話法・手法を参考にしていたり、真似していたりしていた、要するに「下流の表現方法」だった時代があったわけで、そういう時代には「漫画で何かを表現しよう」と考える漫画家・編集者がけっこういたと思う。文学コンプレックス持ってる編集者とか。ところが、収益的にも社会的影響的にも、漫画という商品が出版社の看板になって、表現方法も「漫画を見て漫画描いてる・描かせてる人」が目立つようになってて、視野の狭さを逆に感じることになる。
 さらに、それと関連していることとして、漫画のテクニック(技術)が高度なモノになりすぎてしまって、アシスタントを何人も使わないと週刊・月刊レベルでの漫画連載が不可能になってきている、という現状。別に漫画なんて「きょうの猫村さん」ぐらいの画力(絵的クオリティ)でも、全然読者がいるわけで、そこらへんの敷居の高さ(投稿者とプロとの境界)が、漫画投稿者の数が以前より減っているのではないか、という類推になる(あと、いろいろな事情で漫画家が昔ほど儲かる商売でなくなった、というのもあるのかな。まぁこれに関しては別考)。
 要するに、昔の漫画は、
1・安さで勝っていた
2・他の表現テクニックを参考にして、ミックスさせることで勝っていた
3・描くためのテクニックが、安価だったり誰でも参加できるレベルだったりしたことで勝っていた
 ということになりますか。
 じゃあどうすれば漫画が挽回できるかというと、
1・ケータイで読ませる
2・漫画読んで漫画描いている人(漫画家・編集者)に、他ジャンルのものをもっと勉強させる
3・漫画のテクニック(技術)に高度なものを求めない(読者も編集者も)
 みたいなことをちょっと考えてみる。
 漫画家は、もっと映画や小説を見たり読んだりして欲しいと思うのだった。
 暇な時間があったら、他誌の競合作家の作品読むより、昔の映画を見たほうがいいと思うよ。ロスト・テクノロジー(昔は普通だったのに、今は滅多に使われない技術)がけっこうあったりして、参考になりそうな気がする。