ブックマーク・RSSから(2006年8月)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。


【世界のCM・映像アーカイブ】Galliano's TVC Review!: 「太陽」を見る。


ロシアのスタジオで、監督自らがキャメラを回したという静謐な映像美には圧倒させられる。タルコフスキーを彷彿とさせる端正なカメラワーク、そして昭和天皇に扮したイッセー尾形侍従長を演じた佐野史郎、脇を固める名優達のきめ細やかな演技が、重厚なタペストリーのように歴史の一頁を織り上げ、皇后役である桃井かおりのカジュアルな演技の中に突如現れる凄みのあるワンカットが映画を締めくくる。映画全体を通して、もったいぶった演出も派手な高揚感もなく一定のリズムで淡々と描かれているが、それは天皇人間性を描くための伏線でしかない。この映画を鑑賞して地味だとしか思わなかった観客は、監督のメッセージの本質を見落としてしまっているのだ。
↑人間天皇としての昭和天皇を描いた映画『太陽』に関する感想。

wms up-to-date: miscellaneous logs:10cc「I'm Not In Love」の秘密


Music Thing経由で、音楽録音専門誌「Sound On Sound」によるWeb公開記事「CLASSIC TRACKS: 10cc 'I'm Not In Love'」を読む。後期ビートルズのスタジオレコーディングにまつわる話も色々と有名だけれど、この10ccの話も半端じゃない。コアなファンには有名なトリビアなのかもしれないけれど、オレは全然知らなかったのでかなり驚いた。
↑ラブソングの名曲「I'm Not In Love」にかんするトリビア

プロデューサー日記:続・懐古主義


あれからあんまりにも昔見たアニメのことが気になって仕方がなかったので、ここで色々調べてみたら以下の事実が発覚しました。
↑昔見たアニメの記憶を補完するブログ主。

BLUE ON BLUE(XPD SIDE):観鈴ちんエンドレスエイト


先日クロノス(日常時間)とカイロス(イベント的時間)という時間性質の区分けでエロゲを語ってみたわけなのですが、延々とクロノスに身を任せていたいゲームとか、カイロスのひたすらな積み重ねでエキサイトメントを持続させているゲームとかも結構あるので、クロノスの積み重ねの上にカイロスを置く、という方法論が一般的であるにせよ絶対ではないとは思います。ぼくにとっては(某所ですでに論じられているので、「ぼくにとっても」というべきかもしれませんが)、AIRなんて前者ですね。観鈴ちんと一緒に夏の空気のなかにちにゃーと溶けていけるならそれはそれでいいか、という気分になるわけで。
↑終わらないゲームという可能性について。

名称なんかどもでもいい:気狂いエントリー


2006年4月17日に青心社から発行された浅尾典彦著作の『アニメ・特撮・SF・映画メディア読本―ジャンルムービーへの招待』で、一人の人間が廃人になったことをここに記し、このサイトを終わりにしたいとおもう。
浅尾典彦著作の『アニメ・特撮・SF・映画メディア読本―ジャンルムービーへの招待』掲載のリストの件について。

Life is beautiful:モンタナ旅行、その2


ワシントン州から、アイダホ州を抜けてモンタナ州に入ったところでそろそろ昼食の時間、最初に見つけた"10,000 Silver Dollar"という名のドライブインに入る。フリーウェイ沿いの看板に "World Famous Drive-In!"(世界でも有名なドライブイン)と自慢げに書いてあるところがいかにもアメリカの田舎町のドライブインだ。
↑何でも世界一にしたがるアメリカ人の国民性について。

Krafty:また中断


仕事面のことで色々あって、精神的に疲れてしまった。先行きは明るくならず、経済的にも豊かになることもなく、既に結果の見えた人生を何の展望も変化への期待や驚きもなく、ただ決められた道筋をなぞるだけで終わってしまいそうな、そんな気がしてきたのだ。家でぼんやりとシガー・ロスのアルバムを聴きながら、ふとこれまで何となく買い揃えたちくま文庫内田百間集成を読破したいと思って一巻にあたる『阿房列車』を手に取ってみた。
ちくま文庫内田百間集成、『阿房列車』に関する感想。

ネタばれ禁止な日々:『フランケンフィッシュ』


アメリカの「巨大生物=モンスター」ものは、本当に侮れない。普通の日本人の感覚だと、『フランケンフィッシュ』というタイトル(原題通り!)から、まともな映画であるとは想像しにくい。低予算の3流映画、いわゆるゲテモノ映画をを想像してしまうだろう。しかし、この『フランケンフィッシュ』は、本当にきちんと作られた正統派のモンスター映画なのである。
↑あなどれない巨大生物映画だった『フランケンフィッシュ』に関する感想。

空中キャンプ:音楽があまり重要ではなくなってしまった


三十代になっても、音楽がなによりすき、という人がうらやましくてたまらない。かっこいいなあ、とおもう。わたしは、そういうおとなを目指しながら、いつしか挫折してしまった。日常的に、音楽をあまり聴かなくなった。音楽を聴いて、ふるえるような感動をすることがなくなった。そして、生活の中で、音楽があまり重要ではなくなってしまった。こんな自分がなさけない。十四歳のわたしがそれを知ったら、さぞやがっかりするだろうなあ。いったい、いつからこうなってしまったのだろう。せっかく買ったiPodには、NHKフランス語講座」のテキストCDしか入っていない。しかし、三十代で、あるていど音楽から遠ざかってしまっている人なら、わかってもらえるのではないか。十代、二十代の頃とおなじように音楽と接することは、もうできないという感覚が。
↑「三十代で、あるていど音楽から遠ざかってしまっている人なら、わかってもらえるのではないか」というこの感覚。

HOGHUGの日記  :今日のお題・・・『十三人の刺客


物語は東映が時代劇から仁侠映画に向う寸前のオールスター時代劇。作品に登場される方々も流石にお亡くなりになられた方々も多いのだが、銀幕の中で閃光の様に輝くその姿は今も健在。監督はバイオレンスな大殺陣で集団群像劇を、光と闇に絡めて映し撮った工藤栄一、撮影は東映京都の相棒の鈴木重平、俺的には脚本の池上金男に尽きるんだよな。実はこの方は時代劇小説で活躍されている池宮彰一郎。この作品と『大殺陣』(1964年)でも監督の工藤栄一と組み、京都市民映画脚本賞を受賞した。で、同年に脚本を書いた『十七人の忍者』も観たい。まだDVDが出てない筈だ
↑1960年代に作られた東映オールスター時代劇の感想。