1時間のアニメを35分で見ることによって得られる一番大事なものは、他のアニメを見る時間だな

 以下のところから。
劇場型娯楽は制作者にとって幸せだなあ、という話 - noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言った

うん。これは技術の勝利だな。そのように自分は感じました。もちろん、このような高速再生でアニメを見るようなことは(アニメに限らず)自分はしませんし、したいとも思いません。そのようにして見ても、何も良いことはないと思います。しかし、技術的に、しかも容易にそのような視聴方法で視聴できる環境を万人が持てる以上、そのように視聴する権利が視聴者にはあるのです。自分たちにできることは、そのような人を横目で見ながら「貧しいな……」なんてひとりごちることくらいです。

 時間と連動している娯楽形式は、ぼく個人はクリエイターのなすがままでいいのかと思う。昔のクラシック音楽はもっとゆっくり演奏されたんだろうけど、フルトヴェングラーのベートーベンの演奏は1.5倍ぐらいで聴きたくなる(そういう誘惑にかられるぐらいぼくのココロは弱い)。本を書く人間はたとえば、3ヶ月(あるいはそれ以上、またはそれ以下)かけて、3時間で読める本を作るだろうし、それを1時間で読む人間も、10日で読む人間も、想定してはいるわけで、「この本は○時間で読みなさい」という指定をする作家はいない。たいていの長編は、よほど面白いものでなければ断片的に読まれ、短編は1日に1つとか2つとか、まぁそんな読まれかたがされる。小説の作者が制御できるのは、物語の中での時間の流れで、それに読者は合わせる必要はない。
 そもそも、DVDで通しで、劇場版を除くあるアニメ作品を見ることが正しいのかどうか。深夜アニメは放映されるその時間に、毎週1本のペースで見るように作られているのではないか、と考えると、DVDで見るという時点ですでにアニメ鑑賞としては邪道のようにも思えるのだが、そういう問題はみんなはどのように自分を納得させているのだろうか。DVDでまとめ視聴する人の心は貧しいか。貧しくないとするならその理由は何だろう。深夜枠での放送が邪道で、DVD鑑賞が正道なのか。
 アニメの演出における「間」や画面の流しかたは、演出家の意図しない見方で鑑賞されても、面白いものは十分に面白い、と思う(少なくともぼくはそうだった)。
 今、『ゼーガペイン』を見ているわけですが、これは平日の夕方〜夜、毎週ちゃんと1本ずつ見ていないといけないアニメのように思えてしまったのでした。鬱設定に鬱展開(ヒロインの扱いはあんまりだと思う)。主人公が勝ち組っぽいのも視聴者的に鬱。だがそれがよい。主人公の設定でカルトになりそこなっている惜しいアニメだな。