ブックマーク・RSSから(2006年8月)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。


久保マムシ:ゴボウのルサンチマン


ゴボウは哀れに思われる。遺伝子操作によって生まれた最強便秘撲滅集団としか考えられないヒロイックなまでの繊維質。ボディービルダーの血と汗の結晶たる筋骨がオイルで美しく輝くように、地面を掘り進むことに特化したロング・アンド・マッスル・バディは泥でいつも黒褐色を帯びているのであるが、ボディービルダーが一般人に「気持ち悪い…」と虚仮にされるのと同じく、ゴボウは根菜界隈の中であまりにも異色を示しすぎてどうにも人気が無い。
↑ゴボウの愁嘆が聞こえるか、という話。

ロリコンファル:なんじゃこりゃ…。ハードボイルドは世渡りベタだし金に執着しないよ…。 −マッチョとハードボイルドは相容れない−


ハードボイルドは金や世渡りに執着しない、彼らは金や世渡りよりも自らの美意識(ダンディズム)を優先する。ゆえにマッチョのような自己の欲望(打算)のために他人を押し退けて自分の利益を求めるような拝金主義的輩は、ハードボイルドとは決して相容れない。それは、ハードボイルドの持つ美学、金のような外的にある権力に屈従して、自らのconscience(良心)を犠牲にすることは決してしないという鉄則に反するから…。ハードボイルドの探偵のカッコイイところは、金持ちの悪党が百万ドルの仕事を持ってきたってそれを平然と蹴って、貧しい人が必死に貯めたボロボロの百ドルを受け取って、「じゃあ、あなたの仕事にとりかかりましょうか」って貧しい人の方に向かってクールな笑みを浮かべるところにあるんだよ…。こういった良心が、マッチョに期待できますか?
↑マッチョに対する漠然とした嫌悪感が少しはっきりしたような気になった。

東川端参丁目の備忘録:都内で文芸書を買うなら


昨日付けの日記で、山田稔特別な一日』を東京で売っているのは……と書いてしまったけれど、「空想書店 書肆紅屋」さんによれば、丸善丸の内本店に10冊平積みされていたとのこと。ああ、そうだ。あそこは、文芸書が結構充実しているんだ。うっかりしていた。都内で文芸書買うなら、丸善丸の内本店と芳林堂高田馬場店がいい。ただ単に書店員の好みだけで棚つくっていないように感じる。
丸善丸の内本店と芳林堂高田馬場店がいいそうです。

ロリコンファル:東浩紀×宇野常寛決断主義トークラジオ」について −悪魔の誘惑−


いったい、こういうものを、どのように楽しめるのか、分からない。その場にいない人間をやり玉に挙げて、笑いものにするようなやり口は、とても卑怯だと思いますし、私はこういうものは、どうしても好きになれません…。ユーモア、優しみがなにもない…。ただ、ひたすら暴力的なだけの笑い…。こういう笑いは、いつか、必ず、自分に報いが来る、自分自身が、己の裡なるものとして、苦しみを受けるときが来ると思います。私も、こういった過ち(人を傷つけた過ち)はあり、そのことを後悔して、でも、もう、決して取り返しがつかないこととしてある…。
東浩紀×宇野常寛トークスタイルに怒りを感じるブログ主。

bee & flesh:and


たぶんみなさんも中学校の英語の授業で、“bread and butter”という表現は「パンとバター」ではなく、「バターを塗ったパン」という意味だと習ったのではないだろうか*1。ほーう、なんか英語っぽい……(英語だよ)。中学生が英語的な思考の一端に触れる瞬間として、わりとみんなおぼえてるみたいですね、これ。
↑コーヒーと本に合うものは何か、という話など。

あんとに庵◆備忘録:秋葉の店員のオタク度について


なんか昨日書きそびれたけんど、ヨドバシの店員さんのオタク臭は230.545ppmくらいありそうだ。デジカメを買おうとしていたら、店員さんが親切に寄って来て説明してくれるんだがそのしゃべりのスピードと感じがオタクだった。「感じ」を説明するのは難しいが、とにかく、ちょいとそこんとこでブレスしたほうがいいんではないか?とアドバイスしたくなるぐらい説明してくれるんだが、こちらの脳のスペックが悪いので処理落ちしてしまい結局ナニを説明してもらったか判らない。
コンタックスのデジカメはもう存在しないそうです。

新・読前読後:駅前食堂の思想


川本三郎さんの新著『東京暮らし』*1(潮出版社)を読み終えた。同じ版元から出た『旅先でビール』*2(2005/11/13条)とつくりが似て(カバーイラスト小林愛美、装幀鈴木成一デザイン室)、内容的にも似た感じの文章が収められているから、姉妹編的なエッセイ集となっている。しばらく前新刊案内サイトで本書の刊行を知ったはずで、それから時々版元潮出版社のサイトにアクセスしては出ていないかチェックしていたものの、何の音沙汰もなかった。それではあの新刊情報は幻だったのかしらんとそのまま忘れかけていたところ、たまたま帰途自宅最寄駅前の新刊書店に立ち寄ったら本書を見つけ、即購入したのである。以前ここでは『映画を見ればわかること2』も購っている(→2007/10/25条)。この本屋で川本さんの本を買う人間は、ひょっとしたら私だけかもしれない。
↑「駅前の大衆食堂で飲む一本のビール」という川本三郎の思想。

食品安全情報blog:科学か信仰か


私がこの番組で本当に面白いと思ったのは、議論が科学か信仰かに移っていく様子であった。どちらかが間違っていてどちらかが正しいというように。実際には我々には科学も信仰も必要である。スーパーフードとか有機食品の表示を見るときには科学的態度でどれが栄養価や安全性が高いかを判断して理性的に選択することもできるし、単純にある種の食品が自分をより健康にしてくれるはずだと信じて選ぶこともできる。Tottenham Hotspur(ロンドンのサッカーチーム)のサポーターとしての私は時々理性的ではない信仰システムを信奉するが(日曜日のCarling Cupに勝ったことはまだ嬉しい)、だからといって私が科学的理性的思考を行うことができないということはない。しかし私は科学が商業目的で使われている方法については非常に心配しており、普通の食品が安全なのに両親が子どもにオーガニック食品を食べさせていないことに罪悪感を持っているなどという話を聞くと本当にイライラする。本当に大切なのは、オーガニックか通常栽培かではなく、果物や野菜をたくさん含むバランスの取れた食生活なのに。
↑Science or belief(Andrew Wadge)という、食に関する番組から。

うっくつさん本を読む。:世紀末


RPGに限らず「勇者が魔王を倒してハッピーエンド」という形式の話は多い。もちろん類型的な話であるということは同時に定番であるわけで、下手に奇をてらった話よりは余程良いのではないかと思う。しかし、魔王を倒した勇者を止められる者などいないのだから、勇者が暴君になったら少しもハッピーではないのではないか。
↑ゲーム世界の魔王殺し・神殺しについて。

愚智提衡而立治之至也:シェーンベルク浄夜


1973年12月の録音.カラヤン最高の遺産のひとつである,新ヴィーン楽派管絃楽曲集の1枚ですが,しかしそのカラヤンを以ってしても,僕にはシェーンベルクはいまひとつピンと来ない作曲家なのですね(^^;).何しろ好きなのは室内交響曲第1番と「モーゼとアロン」という,随分と両極端な方向の2作品くらいで,初期の「浄夜」「ペレアスとメリザンド」「グレの歌」など,どうもよくわからない.ましてや「ピエロ・リュネール」や「管絃楽のための変奏曲」はさっぱり,ということになります.
カラヤンシェーンベルクのこの曲をどう指揮したかについて。