ブックマーク・RSSから(2008年2月)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。


mm(ミリメートル):信田さよ子『依存症』


信田さよ子著『依存症』(文春新著)読了。味も素っ気もないタイトルといい、生真面目な内容といい、文春新書というより昔の岩波新書みたいな本(馬鹿にしているように聞こえるかもしれないが、ほめているのだ)。これは、意外な拾いもの。堅すぎず柔らかすぎない明晰な文章で、ていねいに綴られた良書だ。依存症の手際よい概説書であると同時に、依存症問題を「窓」として日本社会を考察した書でもある。(私のようなシロウトにとっては)目からウロコの知見や卓見が多数ちりばめられている。
↑文春新書の1冊。日本人のアルコール依存症についてとかいろいろ。

TOMOSATO-BLOG:「ゲーテ 4月号」 山本益博氏批判 1


もはやミシュラン憎しというよりも、「マスヒロ潰し」ではないかと思うほどの過激な批判を展開している「ゲーテ 4月号」。山本益博氏の品性下劣さを示すためなのか、業界関係者には公然の秘密だった彼の問題点を実名挙げて暴露してきました。見城社長は「おねだり益博」、宇田川悟氏は「小判ザメ」と揶揄したマスヒロさんの「タダ飯要求」問題です。ミシュランの掲載を拒否したと堂々と発言した麻布十番の「かどわき」の主人が、またまた以下のような爆弾発言をしています。マスヒロさんが店へ予約の電話をしてきて「私が食べるということは、いろいろなところで批評して紹介することですからタダにしてくれ」と言うので断ったと。
↑「その3」まである、記事の紹介。それに対して山本益博氏も反論している様子。

Mint Julep:『 聖少女 改版 (新潮文庫 く 4-9)(倉橋 由美子)』


それにしてもこの文章の力は素晴らしい。たとえ感性が違っていたとしても、倉橋さんの比喩はそれで酔わせるほどの毒性を持っていて、その物語の中で翻弄させてしまう力がある。そして、冷静さと知性が貫かれていること。著者は、この物語とこの世界を徹底して突き放していて、しかし愛情を持って書いているのだ。特に、未紀の部分にはそれが見られ、多分読者はそこに惹かれるのではないだろうか。桜庭一樹『私の男』がベストセラーになる時代だからこそ、読める作品かも知れない。倉橋さんは、世に出るのが早すぎた作家だと常々思う。
↑40年以上前に書かれた小説ですが、普通に面白かったとのこと。

Life is beautiful:法律の勉強:著作権法で保護されるのは「特定の表現」であり「情報そのもの」ではない


先日、著作権に関するとても興味深い話を弁護士の人から聞くことができた。実際にあった法廷闘争に基づく話だが、トピックは、「他の人が書いた料理の本に乗っているレシピを参考に、似たような料理の本を出版した場合、どんな法律を破っていることになるか」という話である。適用できる法律は、著作権、特許、登録商標の三つ。それぞれについて考察を加えるとこうなる。
↑レシピや音楽のコード進行は著作権で保護される対象にならないそうです。

忘却界抄:クズばかり見ている


ある程度歳をとって(具体的には20歳超えて)オタクであり続けるのは基本的には無理である。なぜなら、たいていのアニメ(マンガ、ゲーム、小説、プロレス、映画、なんでもいいが)はクズだからだ。スタージョンの法則でも言うではないか、「…しかし、すべてのものの90%はクズなのだ」と。20歳こえればそんなことにはイヤでも気が付くはずだ。早いやつは中学、高校くらいでそんなことには気が付いているはずである。
↑クズをどのように愛したらいいかという問題。

daily-sumus:大観堂


坂口安吾研究I』(冬樹社、一九七四年二刷)を読んでいる。なかなか面白い。驚いたのは坂口三千代の回想で安吾の通夜に来た石川淳がさめざめと泣いたというくだり。
↑大観堂という古本屋兼出版屋の主人と坂口安吾の話とか。

Parsleyの「添え物は添え物らしく」:IT企業とWebメディアの距離感


WebメディアとIT企業は、取材者と取材対象者との年齢が近いケースが多いせいか、取材者に寄り添うような記事が目立つ。その典型が岡田有花女史のはてな関連の記事のように個人的には感じてしまう。いやぁ、「はてなアメリカへ」と読み比べる限り、日本語的な表現で「転進」という言葉を使うのが相応しいと思うんだけどなぁ。京都へ戻る記事を読む限りは批判的なトーンは極力抑えて取材対象の意図をアナウンスするという役割の濃い内容になっている。ま、ありていに言って、ジャーナルじゃないよね。
↑プレスリリース以上のものを期待したい、というブログ主。

レジデント初期研修用資料:技術の先に見えてくるもの


「技術を極める」という言葉から、武芸的な何かを想像する人は多いのだろうか?「武士の魂」日本刀は、極める道具。それを極めてしまえば、もしかしたら「斬ろう」なんて思った瞬間、相手の胴が落ちている域にまで極め尽くせるけれど、武器としての日本刀は無力。鉄砲には勝てない。技術を極めていないのに技術のことを語る、自分みたいな輩は、「手段を目的として混同している」なんて、たぶんベテランに叱られる。技術語ってる暇あったなら、もっと技術極めろなんて。自分が想定していた「技術」というのは、それが日本刀なら、目標を「殺すこと」におく考えかた。「日本刀」という技術を極めていった先には、もっと扱いが簡単な「槍」が来て、さらにそれを延長していくと、鉄砲に行きあたる。日本刀の技術を極めて、たとえば名刀持った宮本武蔵を10人作れば、その集団は接近戦では無敵だろうけれど、現代のライフル銃を持った素人が100人集まって、宮本武蔵の集団と戦ったなら、たぶん勝ててしまう。名刀の値段はものすごく高いけれど、 AK47 あたりのライフルならば、安いところで買うと5万円もしない。
↑「問題を「系」として考えて、解決すべき目標を運用、改良しつつ、要素の技術を大衆化、一般化していくこと」が重要、という話。

天漢日乗小村雪岱日本橋檜物町』平凡社ライブラリー


挿絵と装幀で名を成し、舞台美術でも活躍した小村雪岱の絵を初めて見たのはいつだったろうか。わたしが記憶しているのは、たぶん、泉鏡花の書物の挿絵と装幀でだと思う。平凡社ライブラリーに収められた本書では、口絵に16ページを割き、小村雪岱の生涯の仕事が、一目で分かる構成になっている。題名になった日本橋檜物町は、雪岱が暮らした町の名である。
小村雪岱の生涯と作品について語る。

吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草朝日新聞、あんまりですよ


当時、朝日新聞はPKO法にどういう姿勢・態度で報道していたか、胸に手をあててじゃなく、縮刷版でも見てほしい。日本政府は60人の選挙監視要員を派遣すべく、NGOに協力を求めた。私は難民を助ける会の責任者として5人を推薦し、全員受け入れられた。しかし、朝日の記者たちは、この60人に対し、あの手この手で、参加を取りやめるように説得したではないですか。「政府の手先になるな」「アジア再侵略の下心が見えないのか」「NGOは政府とは別のものではないか」とわれわれ幹部には「取材」し、参加予定者には個別に、「危険だ」「危ない」「キミはなんの手先だ」と迫った。けっさくだったのは、5人の一人はその直前まで朝日新聞の記者だったことだ。また、「取材」だか「説得」だかをしている記者(複数)はカンボジアに行ったことがなく、当方の5人は、その直前、長期短期は別として、カンボジア経験者なのである。
朝日新聞の、昔の姿勢と今の記事との落差に愕然とするブログ主。