張作霖爆殺事件はコミンテルンの陰謀、と言っている歴史作家ドミトリー・プロホロフはロシアの八切止夫か

 今さらですが、タモ神(田母神俊雄)氏の「論文」を読んで。
日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄(pdfファイル)

1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている

 昔だったら、元テキスト(本)に当たって原文を確認してから言及してみたいような話ですが、ちょっと最近はそこまでできるかどうか。できるようならまたこの話をします。
 で、とりあえず「コミンテルンの陰謀論」がどこから出ているのか、をネットで少し調べた結果だけメモしておきます。
田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ - ホドロフスキの記録帳

少し前の週刊朝日*1に掲載された秦郁彦さんと田岡俊次さんによる田母神論文論評をコピっときました。
(中略)

田岡 むかし、左翼はどんな事件もすべてCIAの陰謀だ、と言っていましたが、それに近い。
秦 上杉謙信は実は女だった」というのと同じくらいの珍説です。
(中略)
田岡 間違いといえばこれもそうですよ。

一九二八年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、(中略) 最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている

秦 そうです。このソ連情報機関の資料というのは、KGB職員だったプロホロフという若い作家が書いた本を指しているのだと思いますが、彼は文書資料によって書いたわけではない。メディアの取材にも「そういう話を聞いたことがある、というだけだ」と語っています。泡みたいな話ですよ。
(後略)

上杉謙信女性説」というのは、ウィキペディアの記述を参考に。
上杉謙信女性説 - Wikipedia

上杉謙信女性説(うえすぎけんしんじょせいせつ)は、越後国戦国大名上杉謙信が実は女性であったとする説である。上杉謙信にまつわる逸話、伝説、俗説は数多く存在し、女性説もその俗説のひとつである。

歴史小説家である八切止夫は、スペイン革命時には城砦として使用されていたトレドの修道院[1]から、15世紀から16世紀の舟乗りや宣教師による日本についての報告書を発見した。その中にあったゴンザレスという船乗りが国王に提出した、1571年から1580年にかけて[2]の佐渡金山に関する報告書に上杉景勝の叔母(tia)という言葉を見つけた。八切はこの叔母を上杉謙信と解釈し、上杉謙信の女性説を唱えた。八切は同説に基づき1968年の読売新聞夕刊に小説『上杉謙信は男か女か』の連載を開始した。
女性説は日本史学桑田忠親などによって厳しく批判されている。八切説は史料批判の甘さや当該時代背景の解釈での問題点が指摘されており、現在では八切の提言のいくつかは実証主義に基づいた女性説の根拠となりえない

 とりあえずその「説」の起源はともかく、ネタ(フィクション? 史実?)として広く伝わることになったのは八切止夫のせいみたいです。
 話を「プロホロフという若い作家」に戻します。
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「反中国歴史講座」?張作霖爆殺「ソ連が実行」

 張作霖を乗せた北京発奉天行き特別列車が同年6月4日、奉天郊外に差し掛かった時、大爆発が起き、重傷を負った張作霖は十数時間後に死亡。事件は、極東国際軍事裁判東京裁判)で関東軍元幹部が犯行を認める証言を行ない、「日本の犯行」となった。
 しかし、プロホロフ氏は「その幹部は戦後、ソ連に抑留され、ソ連国家保安省が準備した内容の証言をさせられた。日本が張作霖を暗殺しなければならない理由はなく、ソ連が実行した」と指摘した。インタビューの詳報は3月1日発売の雑誌『正論』に掲載される。(産経新聞

「3月1日発売の雑誌『正論』」に関する、もう少し詳しいテキストは以下のところなど。これも確認できればしてみたいと思います。
張作霖爆殺事件2

 この記述をフォローする形での企画を組んだのが、『正論』2006年4、5月号、そして、『諸君』2006年6月号です。
 『正論』2006年4月号は、「ソ連陰謀説」のもととなる資料を発見したと主張するロシアの歴史家、プロホロフ氏へのインタビューです。ただし氏は、ソ連情報機関の内部資料に依拠してこの記述を行ったと述べるのみで、前コンテンツで挙げた日本側資料への言及は全く見られません。おそらく氏は日本語が読めず、日本における研究水準を知ることができなかったのではないか、と推察されます。
 続く『正論』2006年5月号には、瀧澤一郎氏の『張作霖を「殺った」ロシア工作員たち』と題する論稿が掲載されました。続いて『諸君』2006年6月号には、瀧澤一郎氏、中西輝政氏らによる『あの戦争の仕掛人は誰だったのか!?』と題する座談会で、『張作霖爆殺の犯人はソ連諜報員か』のテーマが取り上げられました。
 いずれも、「ソ連犯行説」を断定しないまでも、これで「事件」の真相はわからなくなった、「歴史の見直し」が必要である、と読者に印象づける内容となっています。ここでは、主として瀧澤氏の論稿を材料に、果たして「ソ連犯行説」の成立余地があるのかを探っていくことにしましょう。

中西 しかし、日本側の史料として特に重要なのは、田中隆吉証言です。彼は東京裁判で「河本大佐の計画で実行された」などと検察側証人として証言していますが、その根拠はすべて伝聞で、特にこの人物の背景をもう一度掘り下げて調べる必要があります。またそれ以降に出た数々の「河本大佐供述書」も、二十数年後に中共が作成したもので信憑性はずいぶん低い

↑これは懐疑派の意見。

伊藤 私はやはり日本の軍部がやったと考えています。というのは田中義一内閣の鉄道大臣だった小川平吉氏の手記によると、現地から詳細な報告とともに事後処理に関する相談を受けていることがわかるからです。「国民党便衣隊員の仕業に見せかけるために用意していた中国人の一人に逃げられてしまった。この用意をした中国人を逃がすための費用が必要だ」という生々しいやり取りが出てくるんですよ。私はエイティンゴンが自分の手柄にするために、報告書でもデッチ上げて書いたんじゃないかという印象を受けましたね。

↑これは陰謀論否定派の意見。

 『GRU帝国?』が出版されて間もない頃、筆者はたまたまモスクワの本屋で見つけ、おもしろいので一気に読み終えた。とりわけ張作霖爆殺の「ソ連犯行説」は興味深く読んだが、情報の出所が明示されていないのが気になり、他の裏付け情報が現れるのを待っていた。

 まぁ、とかいろいろ。
 くわしいことは「張作霖爆殺事件2」と、それについてもっと検証している「張作霖爆殺事件」をご覧ください。
 ところで、もう一度この引用に戻りますが、
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「反中国歴史講座」?張作霖爆殺「ソ連が実行」

 張作霖を乗せた北京発奉天行き特別列車が同年6月4日、奉天郊外に差し掛かった時、大爆発が起き、重傷を負った張作霖は十数時間後に死亡。事件は、極東国際軍事裁判東京裁判)で関東軍元幹部が犯行を認める証言を行ない、「日本の犯行」となった。
 しかし、プロホロフ氏は「その幹部は戦後、ソ連に抑留され、ソ連国家保安省が準備した内容の証言をさせられた。日本が張作霖を暗殺しなければならない理由はなく、ソ連が実行した」と指摘した。インタビューの詳報は3月1日発売の雑誌『正論』に掲載される。(産経新聞

「戦後、ソ連に抑留」され、「極東国際軍事裁判」で「犯行を認める証言を行な」った「関東軍元幹部」は確認できませんでした。
 こんな人はいることはいますが、別にソ連に抑留されていたわけではないみたいなので。
田中隆吉 - Wikipedia

東京裁判において、田中は数人の軍人に責任を押し付け、昭和天皇の戦争責任を回避させるために検事側に協力した。

張作霖爆殺事件 - Wikipedia

ソ連崩壊後に公開されたGRU公文書などを分析し、2006年、ロシアの歴史研究家ドミトリー・プロホロフが唱えた説。
プロホロフは「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイチンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだ」[6]としている。また極東国際軍事裁判東京裁判)で関東軍元幹部が犯行を認める証言をしたことから日本軍の犯行とする定説について「その幹部は戦後、ソ連に抑留され、ソ連国家保安省が準備した内容の証言をさせられた。日本が張作霖を暗殺しなければならない理由はなく、ソ連が実行した」と主張している[7]。

森本敏の張作霖爆殺に反論・反日左翼の森本敏が産経新聞【正論】欄で田母神論文を批判・真相は河本大佐らソ連特務機関GRUの工作員が暗殺を実行し敢えて自分らの犯行示す物証や証言 - 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 - Yahoo!ブログ

ソ連特務機関GRUの犯行とする説は、主に、ドミトリー・プロホロフとアレクサンドル・コルパキジの共著『GRU帝国』及び、イワン・ヴィナロフ著『秘密戦の戦士』による。

東京裁判では、元陸軍省兵務局長の田中隆吉が、「河本大佐の計画で実行された」「爆破を行ったのは、京城工兵第20連隊の一部の将校と下士官十数名」「使った爆薬は、工兵隊のダイナマイト200個」などと証言した。
しかし、日本では、東京裁判後、日本には張作霖を暗殺する理由がまったくなく、暗殺には関与していないという声があがった。
1990年代初め、ソ連の最高機密資料に接しうる立場の元特務機関幹部で歴史家のドミトリー・ボルゴヌフ氏は、ロシア紙のインタビューの中で、ロシア革命の指導者の一人、トロツキーの死因を調べている際に、偶然、張作霖ソ連軍諜報局によって暗殺された資料を見つけたという

 最後に「陰謀」説に乗っている人のテキストとか。
コミンテルンの残滓掃討を:イザ!(普通の国にしたいだけなのだ)

張作霖爆殺、満鉄爆破(柳条湖事件)、盧溝橋事件などもコミンテルンの暗躍があったと小生は思っている。張作霖爆殺については我が国の関東軍の仕業とされていたが、ロシアの歴史作家ドミトリー・プロホロフ氏によれば「ソ連特務機関が手を下し、関東軍の仕業に見せかけた」という。盧溝橋事件も日中を全面的衝突にもちこもうというコミンテルンの明白な意図があった。

嵌められた日本〜張作霖爆殺事件3 - ほそかわ・かずひこの BLOG

 東京裁判では、元陸軍省兵務局長の田中隆吉が証言した。「河本大佐の計画で実行された」「爆破を行ったのは、京城工兵第20連隊の一部の将校と下士官十数名」「使った爆薬は、工兵隊のダイナマイト200個」などと証言した。
 しかし、日本では、東京裁判後の1940年代後半、日本には張作霖を暗殺する理由がまったくなく、暗殺には関与していないという声があがった。田中隆吉は、敗戦後、ソ連に抑留されていた際、ソ連国家保安省に取り込まれ、裁判ではソ連側に都合のいいように準備され、翻訳された文書をそのまま証言させられていた。

 こんなテキストも見つかった。
オピニオン●田中上奏文・ゾルゲ

 ところが、『マオ』は、次のように記しています。
 「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」と。
 一瞬、「トンでも本」「際物」の類かと思われる人が多いでしょうしかし、本書の凄いところは、細部まで徹底的な資料研究に基づいて記述している点にあるのです。
 
スターリンの指令で日本の仕業に見せかける
 
『マオ』には、膨大な「注」と「参考文献」がついていますが、日本語版ではこれらが省かれています。希望者は、インターネット・サイトからダウンロードできるという方式になっています。
 本書は、張作霖爆殺事件は、スターリンの命令にもとづいて、GRUのナウム・エイティンゴンが計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだと書いています(上巻 P301)。この記述に注目した中西輝政教授は、この件(くだり)の注釈に注意を促しています。資料をダウンロードしてみると、注釈には次のように書かれています。
 「Kolpakidi & Prokhorov 2000,vol.1, pp.182-3(from GRU sources); key role also played by Sorge’s predecessor, Salnin. indirect confirmation of this is a photograph of the Old Marshal’s bombed train in Vinarov’s book (opposite P.337)captioned: ‘photograph by the author’」
 よほど時間がなかったのか、和訳する意思がないのか、英文のままです。
 中西氏は、この張作霖事件の注釈の重要性を感得し、次のように書いています。
 「該当の注を見ると、その典拠として、アレクサンドル・コリパキディとドミトリー・プロコロフの『GRU帝国』(未邦訳)第1巻182−3頁、が挙げられており、同時にエイティンゴンと共に張作霖の爆殺に『主要な役割を果たしたのは、ゾルゲの前任者であったサルーニンであった』と書かれている。つまり典拠は2000年に刊行されたロシア語の2次資料であるが、それはGRUの公文書に依拠して書かれた本だということである。
 そして従来ごく一部で噂されていたことだが、イワン・ヴィナロフのブルガリア語の本(『秘密戦の戦士』)に掲げられている張作霖爆殺直後の破壊された列車の写真のキャプションに、『著者自らが撮影』とあるのが、爆殺の手を下したのは日本軍ではなくGRUだという、もう一つの間接的根拠だというチアンとハリディによる詳しい記述もある」と。(月刊『諸君!』平成18年3月号)

「インターネット・サイトからダウンロードできる」という場所は、ちょっと見つかりませんでしたが、『マオ』の記述もドミトリー・プロホロフ(プロコロフ)の著作に依拠している様子。
花うさぎさんの「花うさぎの「世界は腹黒い」」(2008年11月):イザ!

田中隆吉は当時、内蒙古特務機関長として北支分離工作を中心的に推進した人物ですから、符合してくるわけです。確実な証拠というのは、モスクワの文書が全面解禁にならないととても期待できませんけれども、いずれにしてもそういう疑惑もありうる人物の証言なのです。しかもその田中隆吉の張作霖爆殺事件についての証言も伝聞なんですね。もう一つは、当時中国国民党に派遣され軍事顧問をしていた佐々木到一の延言もありますが、これも問接的なものです。
さて、極めつけが河本大作白身の証言と言われているものですけれども、河本大作は、終戦後は、中国山西省で国民党軍の閻錫山(えんしゃくざん)の顧問になって、国共内戦の場で反中共の立場に立って協力していたんですね。ところが国府が敗れ共産軍に引き渡されてしまったわけですね。そして、太原戦犯管理所という所に入れられまして、中共の戦犯管理の中で、三年間過ごし、そこで亡くなっています。手記も何も書いていません
 
河本告白記は義弟の平野零児が書いた
 
じゃあ『文塾春秋』昭和二十九年十二月号に載った「私が張作霖を爆殺した」という、あの河本告白記というのは誰が書いたかというと、これは河本の義弟で作家の平野零児が書いている。彼は戦前は治安維持法で何度か警察に捕まっている人なんです。その人が河本の一人称を使って書いたわけです。その内容も当時、ほとんど誰も確認せずにそのまま活字になっているわけですね。
ですから、張作霖爆殺が関東軍の仕業だったというのは、当時の流言輩語、それから東京裁判での田中隆吉証言、そしてこの文塾春秋告白記と称するものに基づいているといえます。一番のポイントは当時の日本国内に、「張作霖爆殺は関東軍がやった」ということを信じさせるような充満した雰囲気が、事件が起こる前からあったということです。

 それに対する反論。
張作霖爆殺事件2

 これ(注:瀧澤一郎氏 『張作霖を「殺った」ロシア工作員たち』『正論』2006年5月号)を読む方はおそらく、「日本犯行説」の根拠が「河本手記」と「立野氏の小説」しかない、と誤解してしまうのではないでしょうか。前のコンテンツを読んでいただいた方にはもう説明の要もないでしょうが、もちろんそんなことはありません。河本自身が語った記録だけでも他に「森記録」があり、さらに「河本から直接犯行の告白を受けた」とする証言も、小川平吉鉄道相をはじめ多数あります。
 その他、事件の当事者の手記としては、「川越大尉手記」が知られています。爆破スイッチを押した東宮大尉も、奉天総領事代理・森島守人氏に対して、犯行を「内話」しています。「国民党便衣兵の死体」の偽装工作に携わった大陸浪人たちの証言も、揃っています。
 そして当事者の証言などをもとに、「峯報告」「特別調査委員会報告」(外務省・陸軍省・関東庁により構成)という、2つの報告が、田中首相の下に届けられています。そしてついには、天皇に対しても、河本の名を出した「上奏」が行われました。
 ところが氏がここに取り上げているのは、上の多数の資料群のうち、たったふたつだけです。しかもそのうちのひとつ、「立野氏の小説」なるものは、数々の資料をまとめた「二次資料」であるに過ぎず、私は日本の学者がこれを自分の論文に引用しているのを見たことがありません。

 ということで、現在知りたいことは、以下の3つです。
1・ロシアのドミトリー・ボルゴヌフ(あるいはドミトリー・プロホロフ、あるいはプロコロフ)が見つけたというロシア語の源資料(原語だと読めないと思うんですが、一応)
2・ドミトリー・プロホロフ氏の発言・記述テキスト(具体的にはドミトリー・プロホロフとアレクサンドル・コルパキジの共著『GRU帝国』及び、イワン・ヴィナロフ著『秘密戦の戦士』)以外に依拠している張作霖爆殺事件はコミンテルンの陰謀」説の存在とその根拠
3・東京裁判で証言したという、ソ連に抑留された経験のある関東軍元幹部。
 
(追記)
 こんなテキストもあったよ。
『マオ』の真贋を読む(原載、東方書店『東方』2006年5月号、28-31ページ)矢吹晋

「爆殺事件」は、こう書かれている。

張作霖爆殺事件は、一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令に基づいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」(邦訳上巻301ページ)。原文はどうか。

This assassination is generally attributed to the Japanese, but Russian intelligence sources have recently claimed that it was in fact organized, on Stalin’s orders, by the man later responsible for the death of Trotsky, Naum Etingon, and dressed up as the work of the Japanese.(アメリカ版175ページ)。

「(矢吹訳)しかしロシア諜報機関の資料は、実際にはスターリンの命令で組織され、トロツキー暗殺に責任を負うナウム・エイティンゴンによって実行され、日本軍の仕業に見せかけた、と最近主張している」。

いま私が下線を引いたように、邦訳は「最近明らかになった」と既定の事実として描いているが、原文は「(諜報機関が)主張している」だ。つまり、つまり「明らかになった」と断定するのは明らかに早計であり、スパイの手柄話、自慢話のなかに、そのような記述があるといった趣旨にすぎない。ここには二つの問題がある。一つは誤訳である。原文では「主張している」はずのものが、訳語では「明らかになった」ともはや確定的だ。

もう一つは、原文自体の誤りだ。著者の典拠は何か。

Kolpadiki & Prokhorov 2000, vol. 1 pp. 182-3 (from GRU sources); key role also played by Sorge’s predecessor, Salnin. Indirect confirmation of this is a photograph of the Old Marshal’s bombed train shattered in Vinarov’s book (opposite p.337); caption says ‘photograph by the author’. 資料はGRU=旧ソ連国防省参謀本部諜報部の本であり、カギになる役割を果たしたのは「ゾルゲの前任者サルニン」だという説明だ。もう一つの間接的証明なるものは、ヴィナロフの「本の写真」で、「本人撮影」のキャプションがつけられている由だ。

これだけの記述から、「張作霖爆殺事件はスターリンの陰謀であった」と信じ込むのは、よほど脳細胞の単純な人か、陰謀が好きなマニアか、あるいは知的水準の疑わしい知識人たちではないのか。情報は具体的に検証しなければならない。当時の満洲では、張作霖の部隊と日本の関東軍が対峙していた。その周辺には国民党の諜報員、中国共産党の諜報員がいて、その裏にはコミンテルン、すなわちスターリンの諜報員もいた。関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか。事件について、「事後に」、諜報員たちがそれぞれの報告を上司宛てに書いた可能性はあろう。写真も添えたであろう。したがって参考文献として挙げられているVinarov Ivan, Boytsi na Tikhiya Front, Izd. na BKP, Sofia, 1969.なる「ブルガリアで1969年に出た」とされる本のなかに、写真があってもおかしくはない。こうして「ゾルゲの前任者サルニン」の指揮のもとで、「トロツキー暗殺に関わったナウム・エイティンゴン」が実行し、「ブルガリア人ヴィナロフ」が写真を撮影した。これが張戎夫婦の妄想した「スターリンの陰謀」である。私はこの分野の専門家によって陰謀物語の信憑性を点検されることを期待するが、虚構につきまとう臭気がふんぷんしているのは否みがたい。この本はデタラメだらけであり、他のあまたの間違いから類推して、この部分も歴史の偽造の可能性が強く、妥当な結論とはとうてい認めがたい。

*1:2008年11月28日号 P33-35