『Kanon』(京アニ版)----これは感動せざるを得ない

 ということで、京アニ版の『Kanon』を見ました。
Kanon (ゲーム) - Wikipedia
 もうこれは実にいい話だとしか言いようがない。10年前の世界を舞台にしたギャルゲーなので、今とはいろいろ違っている。まず、家に車がない(これは時代の問題ではないと思うが)ため、主人公は商店街まで行って10キロの米をかついで帰らなければならない。さらに、シャッター商店街がない(正確には、昔ながらの商店街が「ある」)ため、ゲーセンその他足を使って歩いても楽しい街(北の街)である。ていうか、登場人物みんな歩いてる。オトナも高校生も。自転車やバイクなど存在しないように、みんな歩いてあちこち行ってる。自動車を使う人は話の中では最後のほうに一人出てくるだけ。さらに重要なことに、携帯電話がない(1999年あたりはそんなもんだったかなぁ)。ゆえに登場人物たちは、しばしば待ったり、待っても会えないことがある。待ち合わせはできるが、緊急の連絡は無理。物語の中の人がいろいろな目に会っても、今より周りの人がしてあげられることが少ない。だから、今より多分一生懸命に、人のことをしてあげているように思える。
 話の根本テーマは速球ストレートに「奇跡はあるのか」で、7年以上の昔のことをすっかり忘れている主人公のために、ヒロインたちがけっこう痛い目を見る(それによって過去が明らかになる)という、かなりひどいっちゃひどい内容だ。病弱の子もいるし、どうしてこう、人は放っておくと弱ったり死んでしまったり(死にそうになったり)するんだろうか、と考えてしまう。
 とはいえこの物語、今までぼくが読んだり見たりした本・漫画・アニメ・映画・演劇すべての「物語」をひっくるめて、オールタイムベスト10に入れても何ら恥じるところはない、と断言したくなる名作。物語を作る人・作りたがってる人、物語に興味のある人だったら、もっと分析的に見るだろうけど、それでも楽しめる。
 まぁ、京アニ版に限定しての評価なので、他のメディア(ゲームを含めて)のものはどうかは知りませんが。
 1.5倍速で見たあと、2倍速でもう一度見直してしまったぐらいの傑作。もう、19話以降は怒涛の涙展開。
 10年ぐらいしたらもう一度見よう。
 ちなみに、どうでもいいことですが、1999年と2009年は「○月○日」と「○曜日」がまったく同じになっている(ただし「成人の日」はオトナの事情で異なっている)。つまり、10年前の「3月3日」は、今年(2009年)と同じ「火曜日」。(追記:間違ってました。コメント欄参照)
 で、『Kanon』のように、毎朝の食事がほぼ必ず出されて、夕方や夜は同じようなことをしている(まさにカノンな)話だと、以下のようなものが作れる。
『Kanon』(京アニ版)のタイムテーブル(日付表)を作ってみる