ホロコースト否定論について、と、「保育器破壊」の嘘

 なかなか難儀なことをはじめた人が出てきたなぁ、という感じ。
negative_dialektik はてな村出張所
歴史問題と政治問題の憂鬱な関係、あるいは、歴史的修正主義について
史上最大のタブーに挑戦すること、あるいは、今世紀最大の知的冒険
粛々と虎の尾を踏み続ける……orz
 ドイツ語その他の資料(一次資料)などをどの程度読みこなして、どういう意見が出てくるか、ちょっと興味を持ちました。
 ちなみに現在の日本における「ホロコースト否定論者」のメインは、左回りで右寄りになってしまった人ユダヤ人の陰謀論)なので、そこらへんを排斥しないでちゃんと立証できたら、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
 基礎知識として、リンク先の人は以下のテキストを挙げていますが、
『試訳:ホロコースト講義 ゲルマール・ルドルフ 歴史的修正主義研究会試訳 最終修正日:2006年11月21日』
 ぼくとしては、こちらのほうをおすすめしておきます。
66qaもくじ
 あと、「イラク軍がクウェートの保育器を壊した、という嘘」については、簡単に調べられそうな気がする。
『幻の大量破壊兵器』はいかに捏造されたかイラクの脅威を誇張し続けたブッシュ政権の情報操作と戦争の大義を再検証する

先代ブッシュ大統領と保育器の赤ん坊
 
 ところで、イラク脅威論をめぐる情報操作はジョージ・W・ブッシュ現大統領の父君の先代ブッシュ政権の時代にまで遡る。
 1990年10月10日ワシントンの連邦議会でトム・ラントス(民主党カリフォルニア州)、ヘンリー・ハイド(共和党イリノイ州)らの人権派有力議員らが主催する『下院人権議員集会』が開かれていた。
この集会の主人公は15歳のクウェート人少女だった。少女は、身元を明らかにすればクウェートに住む家族がイラクからの報復を受ける恐れがあるとの理由から、「ナイラ」という名前のみが明らかにされていた。そして、「命からがらクウェートから逃げてきた」とされたナイラは、イラク占領下のクウェートで彼女がボランティアで働いていた首都クウェートシティのアルアダン病院に武装したイラク兵が押し入ってきて、保育器の中にいた未熟児の赤ん坊を保育器から冷たい床の上に放り出して皆殺しにした、と涙ながらに証言した。
 このナイラ発言以降、先代ブッシュ政権の高官たちはサダム・フセインの残虐性を、そしてイラククウェート侵攻の違法性を批判する際に、必ずといっていいほどこのエピソードを繰り返し引き合いに出した。ブッシュ大統領自身、サダム・フセインを呼ぶ時に「ベビーキラー(赤ん坊殺し)」という表現を好んで使った。
 この「赤ん坊殺し」のエピソードが、アメリカの世論にどの程度の影響を及ぼしたかを具体的に推し量ることは難しい。しかし、湾岸戦争直後のブッシュ政権の支持率が89パーセントまで急上昇したのを見ても、ナイラ発言から3ヵ月後には多くのアメリカ人が、この戦争を「大義ある戦争」と受け止めていたことは容易に推察することができる。
 ところが実はこのナイラという少女は、とんだ食わせ物だった。ナイラの正体は当時のクウェートの駐米大使サウド・ナシール・アル・サバの娘で、ナイラはアルアダン病院とは縁もゆかりもなかった。しかも、この日のナイラの証言は、クウェート政府が反イラク世論を盛り上げるためにコンサルティング契約を結んでいたアメリカのPR会社『ヒル・アンド・ノウルトン』のローリー・フィッツペガド副社長が、直々に指導した名演技だった。そして更に問題なのは、この証言の内容が恐らく、と言うよりもほぼ間違いなく、「真っ赤な嘘」だったのだ。
 湾岸戦争終結後、世界中のマスメディアがこの証言の真偽を確認するために、取材に走った。ところが、あらゆる病院関係者に取材を試みてみても、イラク軍が保育器を持ち去るところを目撃した者は誰一人として見つからなかった。また、取材の結果、当時のクウェートには全土でも数えるほどしか保育器というものは存在しなかったことも明らかになった。クウェートにはナイラの証言したような「何百もの保育器」など、最初から存在するはずがなかったのだ。

 あと、ホロコーストに関してはこことか。
ニツコー・プロジェクト - Wikipedia
Holocaust Educational Resource