関東大震災での朝鮮人虐殺、吉野作造の主張は何人?

 ということで、以下のテキストを読まねば、と思うのですが。

関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実

関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実

★『関東大震災朝鮮人虐殺」の真実』(工藤美代子/産経新聞出版/1890円)【→amazon
あれは本当に「虐殺」だったのか?彼らの狙いは、皇太子だった!震災に乗じて半島から襲来したテロ集団の実態をあばき、悲劇の真相を糾明する衝撃のノンフィクション。
 
 これ、SAPIO!に連載していたときは、はじめのほうは読んでたんですが、「震災に乗じて半島から襲来したテロ集団」という陰謀論的なものが出てくるあたりから中絶してました。
 読んだら、感想は書こうと思うんですが、ちょっと気になったことが一つ。
 吉野作造の主張している、虐殺された朝鮮人の数は何人だったのか、ということです。
 ネット内では、「2711人」説と「2613人」説が混在しているんですが、
吉野作造 2711 - Google Search
吉野作造 2613 - Google Search
 「2711人」説は、finalventさんの日記では「遺稿・朝鮮人虐殺事件」という、吉野作造の著作名を挙げて紹介しているのですが、この元資料がわからない。
 finalventさんの日記内の記述とはリンク先が違っているけど、
FAQ in War History 【質問】 関東大震災の際,

前者,吉野作造調査(「遺稿・朝鮮人虐殺事件」)では,合計2,711名.
内訳は,東京:724名,神奈川:1,327名,埼玉:551名,千葉:141名,栃木:4名,茨城:44名,群馬:18名,長野:2名.

 ていうか、これ、合計すると2811名になるんですが。
 724+1327+551+141+4+44+18+2=2811
 ほら。
 で、ウィキペディアのこれも間違っている。
関東大震災犠牲同胞慰霊碑 - Wikipedia

吉野作造の調査結果
(中略)
計 2711名

 とりあえず、ウィキペディアの数値はあまりにも影響が大きそうなので直してみました。「FAQ in War History」の人には、掲示板で疑問点を記してみました。
 で、この「遺稿・朝鮮人虐殺事件」を確認していないんですが、工藤美代子さんは、吉野作造のテキストとして、「朝鮮人虐殺事件」(『圧迫と虐殺』1924年東京大学明治新聞雑誌文庫所蔵吉野文庫)から、「2613人」という数字を挙げています。
コラム8 殺傷事件の検証(pdf注意)

朝鮮人の犠牲者数は、在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班が官憲の協力を得られないまま調査を進めた。これについては、山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺−その国家責任と民衆責任』の第6章が最新の検討を行っている。同書によれば、このうち1923(大正12)年10月末までの中間報告には、吉野作造が同時代に発表しようとして禁止された原稿「朝鮮人虐殺事件」と、吉野に情報提供したと推定される上記慰問団の崔承万が戦後になって発表したものとがある。すべて場所と人数の記載で、合計は吉野原稿が2,613余名(例えば、30余、といった「余」が5つある)、崔氏のものが2,607余名又は3,459余名(犠牲者数を48又は80のように2説挙げる例が7つある)。崔氏によれば、慰問団はこの調査を踏まえて犠牲者数を5千名と推定したという。この調査の最終報告とされるものが、11月28日付で上海の大韓民国臨時政府機関誌『独立新聞』社長に送付され、12月5日に同紙に掲載された。これは合計6,661名(現在内訳を再計算すると6,644名であると山田昭次氏が指摘している)に達するが、うち神奈川県で遺体を発見できなかった1,795名と第一次調査を終了した11月25日に各県から報告が来たとする追加分2,256名は、府県名のみでそれ以下の地名は記されていない。山田昭次氏は、埼玉県に関する数値を検証して、この追加分を算入しない方が現在までに得られる他の情報と近いことを指摘し、「追加合計数の根拠を今日解明することはできない」としている。

 吉野作造の数字は、埼玉県本庄市の虐殺数が崔承万の場合80名、吉野作造の場合が86名となっていることによる違いだけで(手書きの原稿だと「6」と「0」を読み間違える可能性は充分あると判断します)、崔承万の数字と同じです。
 また例によってまとめにくくなったけど、
吉野作造朝鮮人虐殺数を「2711名」としているのは、どう考えても誤り(困ったことにこれが今ネットでは一番流通している)。「2811名」説は、可能性としてはあるだろうが、「遺稿・朝鮮人虐殺事件」を確認していないので何とも言えない。
吉野作造の「2613名」説は、崔承万のテキスト「2607名説」を写し間違えた可能性がある(高い)。
 ということで、朝鮮人の虐殺説に関しては、吉野作造の説としては「2607名説」を、いろいろ異論はあるでしょうが取っておきたいと、個人的には思うところ。
「遺稿・朝鮮人虐殺事件」のテキストを確認したら、また違う意見になるかも知れません。