スタニスワフ・レム=インタビュー(1)

 
 毎日「読みたい本」ばかり記述していても心が折れるとはいえ、代わりにネタにしたいようなこともないので、昔集めたテキストを電子テキスト化してみることにします。できる時間でできるだけ。
 とりあえず、スタニスワフ・レムのインタビューなんてどうよ。
 
 これは1978年3月、別冊奇想天外4・SFの評論大全集に掲載されたテキストです。
 ダニエル・セイ、野口幸夫・訳
 

REG記:このインタビューは1973年12月、レム氏の校正を受け、内容も新たなものになっている。
ダニエル・セイ記:このインタビューは1972年に何回か手紙のやりとりをして行なわれた。すべて英語でなされた。「レムの回答は全文、彼の書いた英語のままである」。翻訳ではない。編集し、註をつけた。編註は〔 〕に入れ、頭文字を付した。
 
レム:わたしにインタビューするって? 質問なら自分でやれるよ。まずは手はじめにいくつか。
 わたしは28冊の本を書き、うち23冊はSFで、26か国語に翻訳され、560万部売れた。SFオペラが1作ある。『宇宙創世記』Cyberiad(ポーランドの若いポンポニスト、K・マイヤーと共作)という題で、その一部は一般大衆向けの第一チャンネルのテレビでも放映された----人間は一人も出てこず、ロボットとアンドロイドとコンピューターだけが登場する。
 近作----一番新しい本は『不眠』Insomniaで、長い短篇『未来学会』Futurological Congressと、もっと短いのが数篇ある。
 1972年にはもう一冊、『完全な真空』Perfect Vacuumが出版された。これは不在の書物(SFあり、「普通」小説や「反」小説(アンチ・ノヴェル)あり、哲学書あり、「新しい宇宙論」ありetc)に関する架空の評論の集成である。*1現在(1972年。REG)は何もしていない。8月まで働きづめに働いたからだ。
 この分野で傑出した人物を知っているか?
 そうだね、オーストリアフランツ・ロッテンシュタイナー博士がいる。ファンジン「Quarber Merkur」を出している。彼のためにドイツ語で何篇か評論を書いた。彼はそれを英語に訳してブルース・ガレスピーのオーストラリアのファンジン「Science Fiction Commentary」に載せている。
 しかしわたしはたぶんSF人よりも科学者のほうを大勢知っている。
 英訳ウォーカー版『ソラリスSolaris(邦題『ソラリスの陽のもとに』)についている高級な「レムとソラリス」論についてどう思うか?
 さあ、わからないね。論文の著者スーヴィン教授はわたしのことを、第一級の思想でいっぱいの「現代の文豪」だと思っている(わたしの全作品を読んでいないわけだ)。
 とてもよく書けているので、わたしは一言一句まで本当だと信じこんでしまった。だからわたしは文豪になってしまったわけで、ばかなことを書かないよう慎重にならなくてはならない。
 SF界では誰が好きか?
 うん、実をいうと誰も好きじゃない。自分のことぐらいは好きにならなきゃいけないんだろうが、気にいらない。
 では誰の作品が魅力があり、面白く読めるか?
 ベスター、ル・グィン(『闇の左手』)、ウォルター・ミラー、オールディス、ディレイニー……D・ナイト、J・ブリッシュ(の短篇)、J・ウグロン(フランスの作家)、フランスからはもう一人、キャプーレ-ジュナック、ヘルベルト・フランケ(ドイツの作家)。もちろんこのほかにも大勢いる。
 だが大半のものは恐るべき駄作だ。
 さて、このほかに質問があればお答えしよう。
 
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問:あなたご自身について少しお話しいただけませんか? ダーコ・スーヴィンの著書にあるわずかなことしか存じませんので。
レム:わたしの父も叔父も医者だったので、わたしも医者になるはずだった。
 ところが、まず戦争が来て、わたしは機械工と溶接工としてドイツの企業で働いた(労せずしてささやかなサボタージュをした。というのは、非常に下手くそな溶接工「だった」からだ)。
 次に、わたしは医師という職業があまり好きではなかった。そこで、理論生物学を学ぶことにした。戦後、1946年にわたしの一家がルブフからクラクフへ移ったとき、すでにこの意向は定まっていた。
 1947年にわたしはいくつかの詩と短篇小説を書いた。
 1948年には、ヤギエウォ大学で組織された「科学の科学」サークルの研究員になり、科学雑誌「科学の生命」にいくつか短いエッセイを書き、大学の学生たちに試験問題を出した。また、そのサークルは外国の科学文献を国内のすべての大学のために輸入していたので(戦後はどの分野でも最新の文献が払底していたのだ)、わたしはそれを各大学に送る前に面白そうだと思えるものを手あたり次第にむさぼり読んだ。
 そのとき、はじめてサイバネティックスのことを知った……。
 それからルイセンコ騒動があった。わたしは生物学についてはさほど知らなかったが、それでも正しいことと間違っていることとの区別がつくくらいには知っていたので、計画を変更したほうが賢明だと判断した。
 わたしがすでに書いてあった長篇『失われざるもの』Not Lost(スーヴィンは『保たれた時間』Time Savedと訳している)は政治的な理由で出版できなかった。
 わたしはもう一篇、長篇を書いた。純真なSF小説『宇宙航行者たち』Astronauts(邦題『金星応答なし』)である。これがはじまりだった。
 
問:なぜ医者になるのをやめられたのですか?
レム:先に述べたように、わたしは医師になることを夢見てはいなかったのだ。医学教育は好きだが、それは純粋に認識のよろこびのためだ。
 わたしは何をなすべきか決心がつかなかった。ただ、診療医になりたく「ない」ことだけははっきりしていた。たぶんわたしは人間よりも書物のほうが好きなのだろう。しかし当時は----1948年から50年ごろは、作家になろうと真剣に考えてはいなかった。
 
問:どういう趣味やリクレーションをお持ちですか?
レム:さあ、ほとんどないといっていい。以前はテニスをしたり、山登りをしたり、冬には毎年スキーをしたが、いまはやらない。
 幼い子供(1973年現在で5歳半)と遊んでいる。それだけだね。
 写真のトリックをこしらえたり自動車をいじったり、やりたいことはあるんだが、趣味に向ける時間がない。わが国では秘書を傭うことは不可能に近いので、手紙の整理などの雑用もすべてわたし一人でやらなくてはならない。そういうことに費す時間が毎年、少しずつ多くなってきている。
 朝、6時から8時までは手紙の返事を書く。それから、車で妻を町まで送る(妻は医師で、わたしたちは郊外に住んでいる)、そのあとは昼食をとらなくてはならないし、手紙の新しい山ができている、本が届く、電話はかかってくる(テレビ、映画、ジャーナリスト、etc)。夕方、毎度のようにくりごとをいう。きょうもまた一日が過ぎてしまった、ほとんど何も新しいことをしていない----つまり、新しいものを書けなかった----ファンの手紙に返事が書けない、よほど「極端」なもの以外には……結局、何かをやるために、毎年、ザコペン(タトラ山中)に逃げこんで、一か月、外部との連絡を絶って過ごすことになる。
 だから趣味はなし、仕事一筋、それと講演、これがまた大変なものでね。
 
問:どのようにして、また、なぜ、SFを書きはじめられたのですか?
レム:どのようにして、また、なぜ、SFに入ったのか、まるでわからない。最初は真剣な問題ではなかった。いまはこれが職業になっている。まあ、なりゆきとでもいうしかない。
 
問:若い頃どういうものをお読みでしたか、最初に影響をうけたSFは何ですか? ポーランドおよび西欧のどういう文学の傾向、作品がお好きでしたか、何かがあなたの初期の作品のどれかの手本になっているようなことがありますか?
レム:子供の頃は本が大好きだった。父の書棚にある本は何でも読んだ。解剖学の便覧まで。もちろんヴェルヌやウェルズも読んだし、ポーランドの作家のものもいくつか、年相応とはいえないようなものも読んだ----たとえば、そう、グラビンスキー、この作家は幽霊や妖怪ものを書いている。
 しかしわたしが当時の現代SFと最初に接触したのは、ずっとのちのことだ----自分で何冊かSFを書いてから(1951年以降)のことだ。
「科学サークル」の主任からステープルドン(『オッド・ジョン』、『最初にして最後の人間』)を手に入れた。ステープルドンはわたしに大きな印象を与えた。
 だが、それは他の本、SFとはまったく無関係の本にもあったことだ(たとえば、R.M.リルケ、J.コンラッドサン・テグジュペリ*2
 論文を書こうと予定している場合は、系統的にSFだけを読んでいる。何人かの作家、何冊かの本が気にいっていたが、その影響は適切な科学書からうける影響とは比較にならない、と思う。
 バートランド・ラッセル、N.ウィーナー、シャノン、マッケイらを読みながら、わたしは英語を学んだ。単語表を片手に「解読」したのだ。ドイツの占領時代には本が買えなかったが、それでも、たまたま手に入ることがあり、わたしのテーブルの上には本があった。その頃、決してポピュラーなものではないがエディントンの『恒星の内部構造』Der Innere Aufbau der Sternを読んだのを憶えている。わたしがこのドイツ語版を読んだのは、それがそこにあったからだ。わたしは恒星の内部構造がとても気にいった----彼の提示してみせたそれが。そして数学書を読み、偉大な科学者、とりわけ数学者の伝記を読んだ。
 ただ一つ例外はあるが、わたしは手に入る本はすべて読んでいる。歴史書にだけは、どうしても魅力を感じない。わたしは科学書の内容にのみ惹かれる。また、文体の質もわたしにとっては非常に重要なものだ。
 わたしはそれとなく皮肉な感じで書く人が好きだ。たとえば、バートランド・ラッセル(彼のみごとな『西洋哲学史』)や物理学者のファインマン。それにルードウィッヒ・ヴィトゲンシュタインら数人も。
 これらを読んだときに、実用的な意図、たとえばSFを書くための手がかりをえようなどという考えはいっさいなかったことを言っておかなくてはならない。わたしはただ、第一級の科学的な事柄を----これはわたしにとっては重要なことだ----「直接(じか)に」読みたいだけなのだ。内容が難しいときには、意味をつかもうとして一生懸命努力する。この態度はいまも変わらない。
 たとえば、1965年まで構造言語学はわたしにとって白紙だったが、『偶然性の哲学』----文学の実証的理論に立つエッセイ----を書くときは、自分の無知がよくわかっていたので、一年間、ありとあらゆる種類の構成主義的文学と数学的言語学の研究以外何もしなかった。
 わたしはこれらの書物がフィクションよりも深くわたしの心を形づくっていると思う。フィクションに関しては私はきわめて選択的である。何冊かは、たのしみのためでなく義務的に読む。(主流文学で何がなされているか、連中が何をやっているのかを知るためだ。)

「アルフレッド・ツェルマン著『集団指揮官ルイ16世』シュールカムフフ出版社刊」(「「親衛隊少将ルイ十六世」Gruppenfuhrer Louis XVI アルフレート・シェラーマン(Alfred Zellerman) 」)という短編が入っているレムの著作『完全な真空』はまだアマゾンで入手可能みたいです。

完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

 これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20110227/lemb
  

*1:訳注1 このうちの1篇、「アルフレッド・ツェルマン著『集団指揮官ルイ16世』シュールカムフフ出版社刊」は邦訳がある。深見弾・訳(SFM1976年3月号)

*2:訳注2 本文中にあるオーストリアのファンジン「Quarber Mercur」(主宰者ロッテンシュタイナーはレムの友人で、エージェントでもある)のインタビューで、レムは少年期のポー体験と青年期のリルケ体験を強調している。所期の詩や小説でリルケの実験的な言語技法を応用している、とも語っている。