『魔法少女まどか☆マギカ』が、『新世紀エヴァンゲリオン』なみの社会現象になりそうな予感がする一つの理由
『魔法少女まどか☆マギカ』は、アニメ業界、あるいはアニメ好き以外の人間にまで話題は広がりそうにないと思っていた。
キャラに萌える(最近はブヒれる、というらしいが)要素や、物語のテーマの深刻さ・真剣さと、それ故に「パロディとして扱いやすい(キャラの性格を、物語と切り離して遊びやすい)」というのは、どう考えても「薄い本」の作りやすさであり、あるいはそれだけでしかなく、コミケ会場以上に広がるのか、と思っていたわけだったのです。
可愛い女子キャラがキャッキャウフフする薄い本の上限は、それでもまぁ「万」レベルにはなるし、サークルの数もそれなりに出るだろうけど、コミケ人気が「社会現象」になる、なんてことは、アニメ・漫画好きが思っている以上に実は敷居が高い。万越えてDVD/BDが売れても、それはアニメ業界だけの「売れている現象」にすぎない。電車の外張り広告でランカ・リーとシェリル・ノームが出ていても、「痛電車」にしか見えない。TVのCMに使われても、「笑っていいとも!」に声優が出ても、「何(誰)それ?」というのが世間だ。しかし世間が認めなくても、別の人たちが認めると、その敷居は越えられる、かもしれない。別の人、つまり「オレ(自分)語り」を半ば職業にしている、アニメ以外の(ここ重要)言語表現能力者たちに、ですね。
今猛烈に、『魔法少女まどか☆マギカ』という「作品に関連付けたオレ(自分)語り」現象が、アニメ関係者(評論家含む)以外に広がりそうな気がしている。それは、アニメの歴史よりも別の歴史に詳しい人たちだ。ただ、そういう人たちを引きつけるには、『魔法少女まどか☆マギカ』は、女子が主人公というところで難しいかと思っていた。男子によるアニメ解釈は、アムロ・レイなり碇シンジなり、「自分」を投影できる男子キャラがいないと大変だろう、と。そこに出て来つつあるんですね。
「○○について知らない人間には『魔法少女まどか☆マギカ』は語れない」と、特殊分野(思想・哲学とか社会学とか)を持っている人、あるいは映画・文学その他の評論家が。
ブヒっているだけの『魔法少女まどか☆マギカ』好きに、別の視点での楽しみ方を提供する、というのは、たとえそれが狭い俎板と包丁による料理だとしても、包丁の切れ具合、あるいは料理のデコレーションの具合で新鮮なものを与える、ということなので、ぼく自身は歓迎したいところです。
ぼくの『魔法少女まどか☆マギカ』に関する感想は、きれいなものと嫌なものがうまく混ざっている、ごく普通の、シャフト的エッジが効いた萌えアニメです。