東京創元社はなぜ女性翻訳者を使うのを嫌がったのか

 …ということが、この本の「資料編」に書いてありました。

東京創元社文庫解説総目録

東京創元社文庫解説総目録

東京創元社 文庫解説総目録・資料編
厚木淳インタビュー  聞き手=戸川安宣高橋良平 p70-72

戸川 僕が入社したころ、厚木さんがおっしゃったのは、女性翻訳家は三人以上使わないという方針で、人からは、三十歳以下の翻訳者は使わない方針と聞きましたが……。
厚木 なんとなくあったでしょうね、頼みに行く場合。二十代の訳者というと、読書量不足、経験不足で、語学力があってもね、とんでもないところでとんでもないミスをやられる恐れもある。だから原則として避ける。女性の翻訳家に対しては、ものすごい偏見をもってたんです(笑)。どうしてかというと、じつは悲惨な幼児体験がありまして(笑)、《クライム・クラブ》でお願いしたTさんの一件で。彼女はYWCAの先生をやっていて、誰かの紹介で翻訳もできるからと言われて頼み、一冊出したんです。それはマアマアだったのよ、出来が。それで二冊目を頼んだら、これが出来がよくない。そのころ、もちろん原稿は手書きでしょ、五、六百枚のものが、最初からここが抜けてる、あそこが抜け、ここが誤訳、ここもおかしい、ここは意味が分かりにくい。下訳を使われたにしても、僕は下訳に対しては偏見はないんですよ、ご当人が責任をもってきちんと直してくれればいいんで。とにかく、このままでは使えないし、多少の訂正で済むくらいなら、ゲラで直していただく場合もあるんだけれど、分量的にゲラにしたらおっつかない。原稿のうちに直していただかないと。弱ったな、と思いましたね。編集者の一番嫌な仕事なんですよ、原稿をつっ返すってのは。でも、頼んだからにはこっちにも責任あるしね。「この間いただいたお原稿のことでお話がある」と、御茶ノ水の駅前にあるジローって喫茶店で会って。まだ三十四、五なんですよ、なかなか品がよくてきれいな、おだやかな女性で、「じつは拝見して、いろいろ引っ掛かるところがあるんで、もういっぺん先生に目を通していただいて……念の為、そういう箇所に付箋をはっておきましたので、ひとつよろしくお願いします。お忙しいところを恐縮です」って、用件が用件だけにこちらもできるだけ下手にでて丁重に頼んだんです。相手はずっと黙ってるんですよ。黙ってるから、こちらは必要以上に喋らされちゃう(笑)、間がもたなくて。それでも一言も喋らなくて、こちらも説明が終わって腕組みをしてたら、いきなり、あの広い喫茶店じゅうに轟くような大声をあげて、テーブルの上にうっ伏してワアワア泣きだしちゃった。まわりのお客が一斉にこっちを見るわけ。こっちは二十六、七、その前で三十四、五の女性が泣いてるんだから、なんとも体裁が悪いったらありゃしない。僕も初めての経験。仕方がないから泣かすだけ泣かして、治まったところで「僕も次の用事がありますから、これで失礼しますが、ひとつご訂正のほうをよろしく」とコーヒー代を払って帰ってきちゃったんだけど、その後とうとう彼女からは何も言ってこなかった。直したから取りにこいとか、届けてくれるとかの連絡もなく、それっきりになった。つまり、彼女としては、自分の翻訳原稿に自分の全人格を賭けているわけ。それを、この翻訳は駄目ですと言われた、今の言葉で言うと、アイデンティティーを否定された、それで号泣した。男の翻訳者だとね、例えば、よその出版社で盛んに出していたIさんにも頼んだけれど、これが駄目だった。で、お宅に伺って、玄関先で説明すると、「僕はね、今まで出版社から原稿を直してくれと言われたことがないんだ。きみが気に入らないなら、出してくれなくていいから。置いていってくれたまえ」と言われたので、「ああ、そうですか」と置いて帰ったことがある(笑)。男のほうはいいんだよ、いろいろあるにしてもそれで済むから。それで、もう女の訳者はこりごりだ、金輪際頼まんぞ、と思ったのも分かるだろ(笑)。そういう偏見をもたされた幼児体験なんです。それからしばらく、女性に頼まなかった。

 …この女性のTさんに興味を持ちました…が、調べないほうがいいんだろうな…調べがついても日記には書きません。