SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?

 まず、「SFマガジンの覆面座談会事件」って何? というところからはじめます。
 ウィキペディアに書いてあるので、それをざっくりお読みください。
覆面座談会事件 - Wikipedia

覆面座談会事件(ふくめんざだんかいじけん)とは、1968年年末、『SFマガジン』誌上の匿名座談会によって日本SF作家クラブの内部に亀裂が生じた事件。

 この5人のうち、「B」が稲葉明雄であることはなんかその他の情報でもそうみたいなんですが、他の4人に関しては分からない。一応ウィキペディアでは、A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)となっていましたが、果たしてどうかな。一応それに従います。
 
 作家・芦辺拓氏のツイートから。
 
http://twitter.com/ashibetaku/status/162956830518149120

古本屋で見つけたSFマガジン1969年2月号座談会で、福島正実『ロマンチスト』と石川喬司『魔法使いの夏』が異様に絶賛されていて、特に競馬ネタだらけの後者の内容を思い浮かべて変だなと思ったあと、実はこの二人だけが座談会に出席していたと知ったときの驚きと不信といったら。

 誰が石川喬司福島正実を褒めていたのか気になってきました。
 結論から言うと「B」(稲葉明雄)みたいですな。
 覆面座談会はもう40年以上も昔で、関係作家も物故されたり状況が変わったりしたんで、とりあえず、随時関係テキストを引用していこうかな、と。
 まずSFマガジン1969年2月号、石川喬司福島正実に関する段。p177-179

うわさの二人
 
B そろそろ問題の二人に移ろう。ぼくは今年一番の話題作は石川喬司の『魔法使いの夏』だと思うんだ。
D 石川喬司の作品の好さは、SF的なところじゃない。
B ぼくはあれがSF的だと思う。
A 朝日新聞の書評はなかなか鋭どかったんじゃないの[要出典]。現実をこういうふうにフレキシブルに捕える手法がSFならば、SFにも文学的魅力がある、という……。
B SFという形で小説を書く必然性を一番持ってる、ということだね。彼の日常生活がSF的現実で支えられてて、本人もそれを持てあましてるんじゃないかという気味がある。だから逆に彼はそういう自分の内面に遠慮して、すごく手際のいいショート・ショートを書く。ところが少し長いものになるとそれを御し切れない。『魔法使い』にしても、昔からの幻想文学の主流のようなものが出てくる。そこをSF的というんだ。彼と、あとで問題にする福島正実とは、これまで作家活動よりも縁の下の力持ち的な仕事をしていた。彼らがこういう作品集を出したということは、それ自体、プロ作家たちの仕事への批判という意味を持っている。その意味でも、たしかに意義がある。
A 他のSF作家たちが関心を持っていなかった分野に積極的に乗りだすというところはいい。
E ショート・ショートに典型的なSFが多くて長いものに自分の生活に近いものが出てくるということは、本格的なSFが書けないということとはちがうのかい。
A いや、ショート・ショートにプロパーSFが多いのは、つまり彼の大人ぶりだよ

 Aさん、本当に石川喬司? まあBさんの強引かつ趣味的な褒め具合も意味分からないですが。

B 『魔法使いの夏』についての書評で、これはSFの世界をうら返しにして見せた作品だというのがあったが[要出典]、あれはちょっと、うがっていて面白かった。戦争中というのはみんなが神がかった、SFの時代だったというわけだ。評論家のSFだからそういうことはあったかもしれない。
A 石川喬司が本当に書きたいのは、SFもミステリも純文学もみんな出てくる源の部分ね、それが書きたいんだと思うね。SFとして発想されたんじゃなく。
C しかし、これはSFかね。そこまで拡大解釈していいのか。矢野徹がいった、SFがあまりにも意味ありげにシリアスめかしてくるのはぎもんだという[要出典]、これは重大な問題提起で、その意味からいっても----。
B その点、ぼくが前から非常に気にしてることなんだが、SFというものを、どうしても自然科学の発展を踏まえたものととるか、それとも、現実に対する切りこみをする小説の一種と考えるか。これは石川喬司自身よくいうけど、SFは日常性への衝撃だということで[要出典]、いい。芸術はみんなこうだよ。だからSFをこの時代のものだと限定してしまうことの得失は、じっくり考えてみなきゃならない。
A それは確かに大きな問題だけど、それはこういうふうに考えてみたほうが具体的になるんじゃないかな。つまり、これがSFでこれはSFじゃないと制限するよりは、これもSF的だしあれもSF的だと拡大して考えるほうが、現実の実りが多くなる、というふうに。おまけに制限する場合にも、神様がやるんじゃなくて誰かがやってしまうんだ。ぼくが面白いと思ったのは、あの頑固一徹ガーンズバックが〈アメージング〉を創ったとき、あれほどサイエンス主義を振りかざしていながら、ただ一つだけ特例をつくった。メリットの作品は純粋なファンタジーだし冒険小説だ。それをなぜ許したか。好き不好きだといってしまえばそれまでだけど、これを、創造的な意味を持ったファンタジーの必要性を認めた、というように解釈すれば立派なものだと思うんだ。ぼくはそこに智恵を感じた。ぼくは現代SFにはそういう智恵がほしいんだ。
B SFというのは幻想が芯で、サイエンスがあとだと思う。その順序が重大なんだ。
C 福島正実も、SFというのは幻想文学の現代におけるフェーズだといっている[要出典]。
B だからぼくは『魔法使い』なんかは、第一番に入るといいたいんだ。
E うん……必ずしも入らないんじゃないけどちょっと入れにくいんじゃないの。一般には。
D たしかに石川喬司は、いわゆるSFを意識しないときの方が傑作が書けるね。
C それは本人もそういってる。ただ、彼の作品は、時間というものを、ふつうの形でなく捉えようと努力している。その点は、SFを小説形式として使う必然性があるといっていいんじゃないかな。
E 今後の長いものを見たいな。
A 『魔法使いの夏』の後編が見たい。

 Aさん、本当に石川喬司 ガーンズバックに関する言及などを読むと、福島正実さんかも?

D 福島正実の『ロマンチスト』に移ろう。この作家の作品を読んで一番感じることは、非常に計算されているんだが、その計算のみごとさが、かえって作品の魅力を殺いでいるように思うな。
E 手法的には、前の二つの短篇集よりも格段にうまくなってる
A 最初の二つは、SFの見本を見せたいという気があったみたいだな。それがだんだん自分のものが書きたくなってきた。
B それが非常にいい形で出たのが、HMMに最近書いた『過去への電話』だな。
D あの作品は意識的にああいう古風な文体を使って書いてる、ああいう計算は、いつも巧みなんだ。そしてあの場合それが成功している。
B 一部では、最近流行してる野坂調を意識して書いたんじゃないかなんていってるけど[要出典]、そうじゃないな。彼にはああいうものがいくらでも書けると----。
A すると福島正実というのは、けっきょくのところよりSFノンのほうがいいか。
B いや、石川喬司の場合と同じで、やはりあれもSFだな。ああいうものが根幹にないと、ほんとのSFは書けない。
C 石川喬司がいってたけど、福島の場合は本音と立て前とがいつも微妙に交錯していて、SFの第一線にいるということで、本音がなかなか吐けない[要出典]。本人自身が本音を制約してるというところがある。

 Cさん、本当に福島正実? なんか、A=福島、C=石川でもいいような気がしてきた。

A いや、彼自身の中に本音と立て前の交錯がある。
B それが、あの作品の場合、軽く書いてるんで交錯自体の面白さが出た。
E 彼の場合、いつも肩に力が入りすぎて、余韻というものがなかった。そこへ、余裕が出たから----。
B 彼は私小説というものが不当に軽蔑されていた時代に文学づいたんだ。だからそういうものを書くのを恥じていたんだ。
A 彼の中には、本音がSFと水と油じゃないかという意識があったんだな。
C むしろ、ぼくにいわせると、本音こそSFを肥やすものだったんだ。それをなぜ抑えてきたのか。彼には今まで異次元ものが多かったのも、そうした抑圧された本音が吹き出ようとする現象だったんだ。今度の作品集では、その本音が現実的な発想になって、武器になって未来SFの欠落部分を埋めるという見事な成果をあげつつある。
A うん、彼の作品からは、未来が当然持つであろうひずみね、社会や技術に圧しまくられる人間の要求不満ね、それを個人サイドで、つまり私小説に書いていきたいという意欲は感じられる。ただね、さっきD氏が、彼は計算が行きとどいてるっていったけど、それは計算が素朴な計算だからなんで、だから余韻もないわけだ。そしてもし計算がもっと複雑になってサイン、コサインが入ってきたりすると、行きとどくなんてことはできなくなるんじゃないかと思うんだ。
C 彼は覚めたロマンチストだよ。夢の限界も知ってるし、現実の改変可能な部分がどこまでかということも知ってる。そういうはっきりした認識の上に立って物語をつくってるから、大丈夫だと思うな。
B 『過去からの電話』では、彼は、現在のちまちましたSFの状況にイヤ気がさして、ヤケになって書いたという感じがするな。
D 石川喬司もロマンチストだけど、彼の場合ははっきり後ろを向いている。自分の体験した挫折をいとおしんでいるところがある。でも福島正実の場合は前を向いている。挫折を乗りこえようという姿勢がある。
A 覚めたロマンチストっていってるけどリアリストとロマンチストの二重人格だともいえる。
C それにしても『ロマンチスト』の中の作品は、現実の持ってるしたたかな苦味、こわさを読者につきつけるところがある。そういうSFの本来持ってる効果を発揮することのできる作家だな。

 すげえオチだな。
 ということで、アマゾンにリンクしておきますけど…今読んだらどんな感じですかね?

 
 これは以下の日記に続きます。
SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに