SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):はじめに

lovelovedog2012-02-27

 これは以下の日記の続きです。
SFマガジン覆面座談会(1969年2月号)で石川喬司・福島正実を褒めていたのは誰?
 
 今回の画像はSFマガジン覆面座談会に使用されたイラスト・その1。右上から時計回りで、眉村卓小松左京石川喬司星新一筒井康隆光瀬龍? ちょっと小松左京石川喬司の区別がつかないです。
 SFマガジン1969年2月号『覆面座談会 日本のSF'68〜'69』の引用を続けます。今回は最初のところ。
 A〜E=石川喬司稲葉明雄福島正実伊藤典夫・森優(南山宏)という仮説を提示しておきます。

高度成長の裏に貧困あり

A それじゃ、まず総論からいこうか。ざっくばらんにいって、この一年間(一九六七年末から現時点まで)に、SFは前年度とくらべて成長したかどうかという点はどうかな。
B 株のダウ平均に似てる感じだな。今年あたりは、いままで直線的に成長してきて、ここで少し落ち着いたという感じだ。つまり内面的な掘りさげの時期に来ている。
C なるほど。新高価を突破したけれどもそれは出版点数であって実質的な平均株価はあがってないというわけか。
A 出版点数からいうと、驚くべき増えかただ。少くとも去年の三倍は出てる。とくに日本作家のものの本になりかたがね。つまりこれは、SFMなんかもそうだが、それよりほかの一般の雑誌がSFをより多く掲載しはじめた結果だといえるわけだ。
C SFMのでてくたぁ欄で石川喬司が書いてたけど、あの欄を始めたころの五倍になったそうだね[要出典]。
B 石川さんも大変だ。

 B(稲葉明雄)さん、石川喬司さんと仲いい感じです。

C 去年目立ったことといえば、筒井康隆が二回直木賞の候補になったことがまずあげられるね。
A あれはどういうことなのかな。筒井康隆の作品がそれほど面白かったからアピールしたのか、世の中がそういった気運にあったからなのか。
C SFがそれだけ一般に普及したということの証拠でもあるな。
A 筒井康隆の場合は、彼自身も書いてるけど、中間小説たらんとして、彼の方から、時代の要請に歩みよった、というところがある[要出典]。
C それは時代の風潮が----たとえばサイケデリック好みが、彼の資質とぴったり合ったというふうにもいえるんじゃないか。
B もうひとつ目立ったのは、小松左京がまた小説の方へ戻ってきた。
C 思想状況としては、未来論、未来学がますます盛んになって、そのなかでSFを見直そうという人がだいぶ出てきた。そういう面からSFにアプローチしてきた人もいるし。
A それにしても、成長したにしては話題が乏しい感じだな。なぜだろう?
C SF的発想が日本の社会の内部に相当ふかく浸透していった、その結果逆にSFがアウトサイダー的役割りを果さなくなりつつあるんじゃないかな。これはSF側からいえば危惧すべき状況だと思うよ。
B それは至言だ。そのとおりだ。
C 体制の中の一つの楽しみとして受けとられちゃってね。だからこのまま、SF作家が注文があるからといって受けに入ってると、足もとにぽっかり穴があいて……。
B SFというものの中に本質的にそういう体質が含まれているからじゃないのかね。
A それは、大衆化していくものすべての運命ともいえるな。
C うん、なにしろ、SFという言葉はすごく一般化しちゃったし、百科事典には必ずSFの項目があるし、コンサイスにだって書いてある。また、いままで普通週刊誌にはぜったいに連載などされなかったSFだが、小松左京筒井康隆がやりはじめた。SFはいまやかなり大衆化しつつあるわけだ。

 SFの項目がなかった時代があったんですか。ていうかもう、百科事典なんて、少なくとも紙の事典としてはあまり使われていない時代になってる…。

A うん。でもぼくはどうも、SFの場合は、その大衆化がね、むこうからお迎えにこられての動き、という感じがしてしょうがない。だから、なんとなく、ほんとの話題にならないんじゃないかという気がするんだ。ただ小松左京の場合はちょっとちがって、彼は彼自身の個人技の冴えで点数とってるとは思うけど……まあ、去年の総論はこんなところかな。
C 日本経済と同じで、二重構造になってる。高度成長の裏に、貧困あり、とね。個人所得では増えてる人があるけれども、それでいい気になってるといかんというわけだ。
(ここでD、E氏出席)

 今日はここまでです。あんまりまだみんな悪口言ってない。
 
 これは以下の日記に続きます。
SFマガジン覆面座談会(1969年2月号):星新一に対する評価