関東大震災の時期なので

これから2005年の9月はじめまで、以下のテキストへのリンクを「日記」の冒頭に記します。
関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?
「本当のこととは何か」について考える(=知る努力をする)ための参考にでもしてみてください。
※ブックマーク登録は、このテキストにではなく「http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20020901」のほうにお願いします。新しい日記を書いたら、これは書き換えます。

バスラの病院統計によると、日本はイラクよりガンのリスク高いです

こういうテキストがあるわけですが、
イラクレポート 2002〜2003 #2 森住 卓

1998年にバスラの厚生省の支部がガンの発生率の調査結果を発表した。その結果によると88年1万人に15人だった。98年の調査では75人で5倍化。昨年は116人。年々増加している。しかし、この数は実際の45%ぐらいではないかと思われている。イラク全土のガン死亡率の12から14%はバスラに集中している。これは人口に比べるとすごく高い率だ。イラク全土では18エリアがあり、全土で5000人がガンで死んでいる。バスラだけで603人(2001年)の死亡数。

そこで、イラクとバスラの人口を調べます。
世界の国々 / アジア / イラク

人口 2400万1816人(2002/7推計)

ジョン・ピルジャー Six Days of Shame日本語訳(2003年3月26日)

今日この日は英国軍にとって恥の日である。英国軍は,60万もの人口を抱えるイラクの都市バスラを,「軍事標的」としたのである。

オンライン・イラク辞書・事典 #3

ペルシャ湾とイラン国境の近くシャトルアラブ川沿いに在るバスラは人口140万人イラク第二の都会で
(最終更新:04/07/05)

Basra. The Columbia Encyclopedia, Sixth Edition. 2001-05

city (1987 pop. 406,296),

イラクの人口はまぁ「2400万人」でいいような気がするんですが、バスラの人口は幅がありすぎてよくわかりません。140万と60万の間をとって「100万人」ぐらいにしておきましょうか。
日本の人口はここのところずっと「1億2千万人」ぐらいで、
人口推計月報・平成17年3月確定値,平成17年7月概算値
2004年の、ガンによる死亡者数は「309,465人」。10万人あたりだと「242.5人」です。
いろいろな事項についての10万人あたりの年間死亡数 2004年度版
日本の人口がイラクなみ(2400万人)だとすると、
2400÷12000×309465=61893で、約6万2千人
「全土で5000人がガンで死んでいる」というイラクのほうが、日本より全然ガン死亡率少ないんですが。
で、「バスラだけで603人(2001年)の死亡数」とのことですが、バスラの人口が「100万人」で計算すると、人口10万人あたり「60.3人」。
日本の死亡率の4分の1しかないんですが。
バスラの死亡数(603人)を24倍(100万人×24=2400万人=イラクの人口)してやると、14472人。
これでもまだ、人口比を同じにして計算すると日本のほうが4.3倍ほど多いんですが。
バスラの人口が60万人ぐらいだとすると、イラク全土のガン患者が2万5千人ぐらいになるんですが、それでもバスラのガン患者の数は、人口10万人あたり100人ぐらいで、日本の4割ぐらい
バスラの人口を25万人ぐらいにすると、バスラのガン発生率は日本と同じぐらいになりますが、イラクの人口が2400万人だとすると、ガン患者の数は「全土で2万5千人」ぐらいいないと、数が合わないです。
イラクの全人口を「206万人」(バスラが25万人)と考えればいいんでしょうが、
1・それだけの人間しか住んでいない、というデータは、あちこち探しても見つからなかった
2・その場合でも、イラクでのガンによる死亡率が、日本以上にはならない
ということで。
その他、イラクのガンの人について。
8・6ヒロシマ平和へのつどい2003

1988年にはガン発症は10万にたいして11人だったのが、2002年には123人も発症している。死亡も1988年には 340人が、2002年には6044人死亡している。

この「死亡」は「イラク全土」の死亡者でしょうか。ちょっと不明です。それにしても対日本比で少なすぎます
あと、森住さんのテキストでは、ガンの発生率は「88年1万人に15人だった。98年の調査では75人で5倍化。昨年は116人」と、ケタが違っています。
話している人が「ジュワード医師」と「イラクからきた医師のアル・アリさん」という違いはあるんですが、同じ国の統計なので、どちらかのイラクの人が嘘を言っているか、森住さんとそれ以外の日本の人とのどちらかが聞き間違えたんじゃないか、と思います(追記:すみません、「ジュワード・アル・アリ」という名前の、一人の人でした)。
ちなみに日本の大阪府ではこんな感じです。
大阪府がん登録:がんの罹患と予後

人口10万人当たりの罹患率(粗罹患率)は男434.3、女290.4でした。

10万人に対して発症率が「123人(2002年)」というのは、日本の場合の「ガンで死ぬ人(242.5人)」より少ない率になってしまいますが(いくらイラクでも、そこまで住み心地よくないと思います)、「1万人に対して116人(10万人に対して1160人)」という森住さんの数字は少し多すぎるような気がします。
以下のテキストは意味不明です。
イラク医師来広スケジュール

主な点は、アリさんによると、バスラでは、前回湾岸戦争前のがん発生率は10万人あたり11人(88年)だったのが、98年75人、2001年116人と激増していることを指摘。
死亡したこどもも、34人から603人に激増したことを報告しました。

「死亡したこども」なんて誰も言ってないみたいですが。空耳コンテストか何かですか。
結論。
なんか日本のほうが、「全土が劣化ウラン弾で汚染されている」らしいイラクより、はるかにガンのリスクは高いみたいなんですけど、イラク劣化ウラン弾が使われたことに抗議している人は、これでいいんでしょうか。
真面目にこのデータを考えると、イラクの「過去のデータ」はそもそもとてもちゃんとしたものではなかった(最近になってようやく信頼できる数値に近づいてきた。それもバスラのような都市部のほうが先行して)ということだと思います。
で、多分「ガンによるバスラの人の死亡者数・死亡率」は、今後数年で2001年の数字(603人)より4倍ぐらい上昇しても、それは絶対に劣化ウラン弾のせいではありません。統計データの収集が、正確なものに近づいた、というだけのことです。
バスラの人口が100万ぐらいだったとしたら、バスラで毎年2000〜3000人ぐらいガンで死んでも、それは普通です
イラクの人口が2400万ぐらいだったとしたら、イラク全土で毎年4万〜5万人ぐらいガンで死んでも、それは普通です。
ハンガリー国民のガンによる死亡率は、もっと高いです。
いろいろな事項についての10万人あたりの年間死亡数 2004年度版
ガンになる人は、ガンで死ぬ人より1.5倍ぐらい多いみたいなので、イラク全土で毎年6〜7万人ぐらいがガンになっても、それは普通です。

ボーイズ・ビー・キュリアス・アンド・サスピシャス、と朝日の社説にツッコミ入れてみる

久々に俺を燃やす社説があったので、ツッコミを入れてみます。
朝日新聞今日の朝刊-社説:61年目の出発 ホリエモンの予言

戦後を告げたのはラジオである。60年前の8月、昭和天皇の声で国民は敗戦を知った。
ラジオの役割はテレビの登場で小さくなった。広告費で見ると、テレビ、新聞、雑誌に次ぐ4位という時代が続いた。
昨年、この順位に異変が起きる。8年間で113倍に急増したネットの広告費に、ラジオは抜かれたのだ。
今年2月、新興ネット企業のライブドアが、ラジオ局のニッポン放送の株を大量に取得したことは、ネットの急成長ぶりを多くの人に印象づけた。
ホリエモンこと堀江貴文ライブドア社長は、海外特派員協会でこう語った。「ネットと放送の融合を加速させる」
この予言は現実味を増しつつある。
大量の情報を流せるブロードバンドが普及し、映画やスポーツ中継などをネットで流せる時代である。テレビニュースの動画はすでに無料で流れている。来春には携帯電話向けの地上デジタル放送も実現する。
放送局の強みは、魅力ある番組をつくる能力だ。これを独占的に持ち続ける限り、ネットとは共存できるだろう。
しかし、実際の番組づくりのノウハウを蓄積しているのは外部の制作会社だ。人気の高い国際スポーツの放映権も、ネット企業が獲得に動き出している。
これでは、放送はネットにのみ込まれてしまうのではないか。
堀江社長は、もうひとつ予言した。「市民が情報を発信する時代になる」というのだ。
巨大メディアの時代は記者の資質が重視されるが、今後は違う。役所の発表などは通信社から買えばいい。スクープは不要だ。ネット社会では個人がブログなどで発信する。インターネットは世界最大の口コミ網だ。そんな内容である。 市民からの発信が盛んになるのは悪いことではない。しかし、である。報道の専門集団のいない社会では、だれが情報を発掘し、真偽を見分けるのだろう。
米国で話題になった物語「EPIC 2014」は、こんな近未来を描く。
米国の情報検索会社とネット通販会社が、登録した個人の好みや職業などに合わせて情報を送る会社をつくった。
同社のコンピューターは、新聞のニュースサイトやブログなどから情報を抜き出し、個人に合わせて書き換えた記事を送るようになる。便利かもしれないが、悪くすると、真偽も定かでない、扇情的な内容になる。
これは空恐ろしい未来ではないか。判断のよりどころとする「羅針盤がないまま、情報の海だけが広がる。物語の筆者は結末を書いていないが、そんな社会はごめんだ。
私たちは、何としても人々から信頼されるメディアを目指していきたい。

  ◇     ◇

敗戦から60年。人も、社会も、大きな節目を迎える。ここから日本はどこへ向かうのか、シリーズで考える。

ということで、「EPIC 2014」はどんな物語なのか、を調べてみました。
最初に見つけたのは、これ。
ネットは新聞を殺すのかblog:「EPIC 2014」

2014年3月9日、グーグルゾンは「EPIC」を公開。
我々の世界へようこそ。
 この”進化型パーソナライズ情報構築網(EPIC)”は、雑多で混沌としたメディア空間を選別し、秩序立て、そして情報配信するためのシステムである。ブログの書き込みから携帯カメラの画像、映像レポート、そして完全取材にいたるまで、誰もが貢献するようになり、その多くが対価を得るようになる。記事の人気度により、グーグルゾンの巨額の広告収入のごく一部を得るのだ。
EPICは、消費行動、趣味、属性情報、人間関係などをベースに、各ユーザー向けにカスタマイズされたコンテンツを作成する。
新世代のフリーランス編集者が次々と生まれ、人々はEPICのコンテンツを選別し優先順位をつけるという能力を売るようになる。
私たちのすべては多くの編集者を購読するようになる:EPICでは、彼らが選んだ記事を好きなように組み合わせることができる。最高の状態では、EPICは、見識のある読者に向けて編集された、より深く、より幅広く、より詳細にこだわった世界の要約といえる。
しかし、最悪の場合、多くの人にとって、EPICはささいな情報の単なる寄せ集めになる。
その多くが真実ではなく、狭く浅く、そして扇情的な内容となる。

しかし、EPICは、私たちが求めたものであり、選んだものである。そして、その商業的な成功は、報道倫理のためのメディアと民主主義をめぐる議論が起こる前に実現した。

「個人に合わせて書き換えた記事を送るようになる」というのと「各ユーザー向けにカスタマイズされたコンテンツを作成する」とでは、微妙に意味が違うような気もします。
朝日新聞のテキストだと「事実と異なる記事」みたいな感じですが、元テキストだと「ユーザーが求めている(が、事実とは異なっていない)方向の記事(=テキスト)」という感じでしょうか。
そして、EPICが提供する情報の問題は「ささいな情報の単なる寄せ集め」であることが最悪で、それは朝日新聞のテキストが言うような「悪くすると、真偽も定かでない、扇情的な内容」ではなく「多くが真実ではなく、狭く浅く、そして扇情的な内容」、ということになります。
要するに、「ささいな情報」と、その「狭さ・浅さ」が重要な問題となる、ということですが、これについては朝日新聞は何も触れていません。
さてここで、そもそも「EPIC 2014」の元テキストでは何と言っているのか、という、例によってキュリアスなおいらの探索がはじまるわけですよ。
→「ネットは新聞を殺すのかblog:「EPIC 2014」」の中では、この元テキストは以下のところからの引用だ、と言ってます。
dSb :: digi-squad*blog: 「EPIC 2014」日本語訳
そこでは、英語のテキストは、以下のところにあると言ってます。
Summary Of The World: Googlezon And The Newsmasters EPIC
フラッシュ画像は以下のところにあると言ってます。
EPIC 2014
ところが、「Summary Of The World: Googlezon And The Newsmasters EPIC」では、ラストのほうが

EPIC produces a custom contents package for each user, using his choices, his consumption habits, his interests, his demographics, his social network - to shape the product.
A new generation of freelance editors has sprung up, people who sell their ability to connect, filter and prioritize the contents of EPIC.
We all subscribe to many Editors; EPIC allows us to mix and match their choices however we like. At its best, edited for the savviest readers, EPIC is a summary of the world - deeper, broader and more nuanced than anything ever available before.

となっていて、「最悪の場合」のテキストまでは掲載されてません。
ヒアリングがちゃんとできる人なら、「EPIC 2014」からテキスト起こしができるんでしょうが、俺はちょっと自信がないので、元テキストを探してみたら、こんなところにありました。
Media online in 2014: Google Grid, GoogleZon, EPIC

But at its worst, and for too many, EPIC is merely a collection of trivia, much of it untrue, all of it narrow, shallow stand sensational. But EPIC is what we wanted, is what we chose and its commercial success preempted any discussions of media and democracy or of journalistic ethics

ということで、朝日新聞の社説が示した問題提起は、こんな答で返すことができそうです。

報道の専門集団のいない社会では、だれが情報を発掘し、真偽を見分けるのだろう。

答。
発掘する人=キュリアスな(好奇心の強い)人。
真偽を見分ける人=サスピシャスな(疑り深い)人。
要するに、俺みたいな人

これは空恐ろしい未来ではないか。判断のよりどころとする「羅針盤」がないまま、情報の海だけが広がる。

答。
→「google先生」←その他の検索サイトがあれば、それが「羅針盤」(その情報はどこにあり、それは信じるに足りる情報か、というナビをしてくれるツール)になるので、そんなに空恐ろしい未来ではないと思います。