「民族浄化」という言葉について考える

これはなかなか面白いテキストでした。
「民族浄化」という言葉について

(前略)
ともかく二〇世紀半ば頃までの歴史においては、他のエスニック集団を「劣等」「汚れたもの」「人間ではない」などとして、彼らへの大量暴力を正当化する例はそれほど珍しいものではなかった(戦前から戦中にかけての日本もまた、中国人・朝鮮人などに対してそのような態度をとったのは周知の通りである)。しかし、ホロコーストの経験があまりにも巨大な衝撃を全世界に与えたため、それ以後の世界において、少なくとも責任ある地位の政治家がこのようなイデオロギーを公然と鼓吹することはできなくなった(大衆意識レヴェルではそうした発想がしばしば残り、いわば中間レヴェルの政治家たちがそれをこっそりと利用するというようなことはあるにしても)。それ以後の時期についてこのような捉え方が提出されるのは、暴行を加える側が自ら公然と宣伝するイデオロギーとしてではなく、暴行された側が「あいつらは、こんなひどい差別的イデオロギーをもっているのだ」という宣伝の文脈においてであることが多い。民族浄化」の語が情報戦の一環をなすということは先にも触れたが、そこに込められたイデオロギーについても、当事者が自ら語るイデオロギー(「われわれはこのように考え、だからこのように行動する」)なのか、それとも他者が誰かに帰しているもの(「あいつらはこんな考えをもち、だからこんなことをしているのだ」)なのかという点の区別は決定的に重要である。
(後略)

「え、ジェノサイド? 俺たちはやらないけどね。ていうか被害者。あいつら本当にひどいことしたんだよ」と言う側が正義。

リンカーンとプロレス

こんなところから。
さよならテリー・ザ・キッド - 今週のキン肉マンII世

プラモマンはどんなプラモにも変身できるようで、「次はどんな乗り物になるのかな」とか「どうせ戦車とかそういう強そうなのだろ」とか「何にでも変身できる能力ってイリューヒンとかレゴックスと被ってる上にタッグじゃないとダメなのかよ」とか思ってたんですが、次にプラモマンが変身したのは…。

デーク「コカコカ… 浅才無学のお前らは知らないだろうから教えてやろう!リンカーンは大統領になる前、アメリカ屈指の強豪レスラーだったのよーっ
リンカーン「プレジデント・スープレックスー!」

バレバレとか思っててすみませんでした。僕らがゆで先生の思考を読めるようになる日は来るんだろうか。

プロレス世界史年表アメリカーナ・公認サポーター・サイト)

1831年
リンカーンが、イリノイ州ニューセーラムの雑貨屋“デントン・オファッツ・ゼネラル・ストア”でジャック・アームストロングという男を相手にレスリング=賞金マッチを闘う。この試合がリンカーンの“プロレス体験”のいちばん有名な試合。勝ち負けがつかず引き分け、というのが定説になっている。
 
1832年
イリノイ州ビアーズタウンの地方紙(4月11日付)が「ロレンゾ・ダウ・トンプソンがエイブラハム・リンカーンを2−0のストレートで下す」と試合結果を掲載。

アメリカ屈指の強豪レスラー」だったのかどうかはともかく、レスラーだったのは本当みたいです。
ゲーリー・オブライト/レスラーノート

1963年5月18日 ネブラスカ州リンカーン出身
192cm 160kg
殺人スープレックスが売り物。

これは多分関係ない。
ドラゴン・スープレックス(殺人スープレックス)の画像