『きょうの料理』のテーマとディープ・パープルのことを思い出した

こんなところから。
外国曲に描かれた日本とは!?日本を歌った外国曲

ディープ・パープル
『ライブ・イン・ジャパン』

『レイジー

この名盤の中でバンドの(特にキーボードとギターの)技術の高さもハッキリ出ている曲だと思う。リッチー・ブラックモアのギターテクニックの柔軟性というか耳の良ところ、センスというか、ユーモアというか、とにかく彼の音楽性の広いところが良く分かる曲。R&Bやジャズ系アドリブが多いこの曲の間奏で、リッチーがNHKの『きょうの料理』のテーマをほんのワンフレーズ演奏する。この曲は冨田勲が40年前に(なんと初放送の前日に頼まれて30分で)作ったという。日本人なら知らぬ人はいないこの名曲が、今からおよそ30年前のライブで演奏されてこんなに盛り上がってるなんて。当時の日本人オーディエンスはなかなかかっこいいと思う。最近NHKで「フォーククルセダース」再結成コンサートが放送され、その中で加藤和彦&坂崎幸之助がこの曲をカバーしているのを見て、思い出しました。ただし、この曲は、調べたらアルヴェーン作曲『スウェーデン狂詩曲第1番夏の徹夜曲』に似ているとのことで(僕は残念ながら聞いたことがありません)、クラシック系のリッチーは、実はこっちの方をコピーしてたという噂があります。

そう言えば、そういうフレーズがあることを思い出した。
俺は実際にこのライブに行ったわけではないけど、ライブに行って、あまつさえジャケットに写っている、という人を知っている。
いいなぁ。30年以上にわたって自慢できるのだ。
ゴジラのエキストラで、逃げる役をやった人も、もう生涯自慢できる。
TVの映像は、放映された時にいくら人気があっても、消えてしまう。
ザ・タイガース『世界はボクらを待っている』の中では、円楽は永遠に星の王子様だ(スポンサード・バイ・明治製菓)。
きょうの料理』のテーマは、世界的に知られていた名曲だと思ってたんだが、日本オリジナルだったというのは、昔は知らなかった。
リッチー・ブラックモアは、世界中のライブ会場で、「その国の、TVで流れていて、ちょっと聞いたことがないフレーズ」を、ギターの即興でやっていたのだろうか。
少しだけ調べてみた。
CDs from Sweden (Classic)
Amazon.co.jp:Hugo Alfven: The Prodigal Son; Midsummer Vigil; Songs; Violin Sonata: 音楽(おいらアフィリエイトはありません。しかし6581円か)
ツアーリストはここにありました。しかしインターネットにはすごいものがあるね。
http://www.purple.de/dirk/purple/
うまくコピペできないんで手打ちすると、

1972年8月15日 大阪厚生年金会館ホール
1972年8月16日 大阪厚生年金会館ホール
1972年8月17日 東京武道館

ですか。しかしスケジュール見るとすげぇ。アメリカ国内がメインだけど、ヨーロッパはドイツ・フランス・イギリスの他にデンマークなどにも行っている。
本当は5月に来るはずだったのがキャンセルされたのか。
レッド・ツェッペリンの当時のツアーリストも、探してみたいところ。

【重要なお知らせ】日記の名前を変えました

今までずっとこの日記は「愛・蔵太の気ままな日記」でやってきたんですが、今回「ザ・タイガーズ」なのか「ザ・タイガース」なのか、映画の題名は「世界はぼくらを待っている」なのか「世界はボクらを待っている」なのか、調べて書かないとコメントで即ツッコミを入れられるだろう、という読者のかたがたを育ててしまったことを深く考えて、日記(あるいはブログ・サイト)名を、
愛・蔵太の少し考えて調べて書く日記
と改めることにしました。
あー、えー。その、少し遅れたエイプリル・フールとかではありませんです。
日記名変えた以外は、書くことの内容はあまり変わらないと思います。
まぁ「少し考えて調べて書けよ」と、自分自身にもシバリが厳しくなるわけですが。
あとの「気ままな」シリーズ、「気ままなアンテナ」とか「気ままなWiki」とかは変わりません。
(追記)かっこ悪い間違いをしてしまいました。

ネットのテキストはワイドショー化の方向に流れやすく、そしてそれは悪いことです

こんなところから。
煩悩是道場 - ブログは「ワイドショーが増えただけ」ではまずいのか

ある一つの事象に対して二つもしくはそれ以上の言説が出たときに「どの意見をより支持するか」は結局のところ"正しさ"を証明出来るだけの裏付け的なデータであったり文章の説得力であったりブロガー自身が持つカリスマ的な魅力?であったりするわけですが、ウエブログは自由な議論が行える上、ブロガー自身が余程カリスマ的なパワーを持っていたとしても「間違っている」意見を書けば、周囲からの「違う」という意見が提示され、読み手は周囲の反応によって頻度依存行動的に「違う」と判断する事になりますから「誰か」を貶める機会は減るという結論に達するものと思われます。

甘すぎ。ていうか甘く考えすぎ。
俺は主に「劣化ウラン弾」に関することで、「きっこの日記」のような、どこかで小耳に挟んだだけの、裏を取っていない(あるいは、裏を示すことができない)ワイドショー・ブログに対してさんざん、「あなたの言うことはこのように変です」と言い続けてきました。
約2年ぐらい
しかし、「劣化ウラン弾こわーい、奇形の子供っていやー」「アメリカ許すまじ」と言っている人の数は、劣化ウラン弾がブームでなくなってくるまでは減りませんでした。
要するに、「ネットのテキストなんて、その程度の、ワイドショー的にしか読まれてないし、普通の人間はそのテキストに対して違う・正しいなんて判断はしやしない」ということです。
「影響力のあるブログ」は、「ワイドショーみたいなブログ」です。噂と噂好きな人のエネルギー、恐るべし。