ブックマーク・RSSから(2006/09/27)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。
ミラーサイトとのアクセスバランスがあまりよくないので、元ネタリンクしていただけるようなら以下のところにお願いします。
愛・蔵太の少し調べて書くblog(今のところ、あちらのほうをこちらより少し早く更新するようにしています)


女子リベ  安原宏美--編集者のブログ:注目判決の日の小さな事件


父 「おもろいのがな、昔は通学路は車にひかれたらいかんからって、住宅街やら田んぼのなかの車が通られへん細い道を通るように言われてたんやで。それが、今は公団とか市営住宅とかが廃墟化してたりするやんか、車の通らへん商店街とかな。シャッター商店街やから、まあうらさびしいわけや。そしたら、車びゅんびゅん通る幹線道路にせーやゆうねんな。車は減ってへんやろって、変やと思うんねんけど。どこ通れいうねんなー」
↑安原宏美さんの、スクールガードやっているというお父さんの話。安全ガード服着ている画像があります。

550 miles to the Future:■ポケットに名作を■


熱狂的『エヴァ』ファンだったメグロくんが「新作映画が決定したのに、意外にみんな大騒ぎしないんだね」と怪訝な顔をしていたけど、そういうお前も、やけに冷静じゃん、と。つまり、歴史的・記念碑的アニメをみんな求めなくなったのかも知れない。
↑紹介のためにフィギュアやアニメを消化する。雑食・生理だから量は多いほうがいい。でも名作は生まれない。

時代伝奇夢中道 主水血笑録:「剣法奥儀」 宝石箱のような名品集


世に剣豪小説家は数あれど、こと短編小説の切れ味については、五味康祐先生が、没後四半世紀を過ぎてなお、最高峰に位置するのではないかと時々思います。達人同士が己の命と矜恃をかけてぶつかり合う一瞬に向け、潮が満ちていくように静かに彼ら剣士の半生・境遇を描き、緊張が頂点に達したとき一気呵成にクライマックスを描ききる、その品格すら漂う業前には、読む度毎に唸らされます。本書も、そんな剣豪小説を集めた宝石箱のような短編集。
↑文春文庫で出ている五味康祐の剣豪小説短編集の紹介。

嘘くさいぞ、私は:大庭みな子「抱いて頂戴」


夕刊の文化欄を読んでいたら、大庭みな子とかいう人が小島信夫にどうしても抱かれたかったって『群像』の何十周年か忘れたけど記念号に書いてあるよって加藤テンヨウが書いていて、大庭みな子の写真も載っていた。
↑大庭みな子の恋愛小説。安部公房平野啓一郎も蒼ざめる美青年だったって言っても誰も信用しないだろうな。

HODGE’S PARROT:モサド、勧誘工作の手口


ビクター・オストロフスキー&クレア・ホイ著『モサド情報員の告白』(By way of deception、TBSブリタニカ)。イスラエルの情報機関モサド*1の元オフィサーが書いたノンフィクションで、1991年の発売当時、イスラエル当局がこの本の出版差止請求を起こし、それがいったん認められた後、出版社側の逆提訴によってニューヨーク州最高裁判所が先の判決が憲法違反に当たるとして逆転判決を下した経緯を持つ。その騒ぎもあって、その騒ぎゆえに、この本は(当然)ベストセラーになった。
TBSブリタニカモサド情報員の告白』の紹介。情報員の実態について、かなり知識が得られるようです。

楽観的に絶望する:たいこどんどん


舞台版の初演は1975年.小説の発表が1972年なので小説執筆当初から舞台バージョンの構想はあったのかもしれない.話の大枠は原作と変わらないが,主筋から外れたエピソードを省略することで展開にスピードを与える一方で,原作にないディテイルを付け加えて話を膨らませたり,原作にないエピソードを付け加えた部分もある.ミュージカル仕立てになっていて,原作では狂言回しの役柄の太鼓持ち桃八が舞台ではフィーチャーされていて,道楽息子の清之助はむしろ脇.桃八役は舞台に出ずっぱりで膨大な科白をしゃべり通しであるだけでなく,歌ったり踊ったり,様々な幇間芸を舞台上で披露しなくてはならない.
井上ひさしの中編『江戸の夕立ち』を舞台化した『たいこどんどん』を見た感想。

北村癇癪の脛:はじまりの物語


私がそうなったのは、ある一人の小説家のおかげである。確か小学校5年のころ、父の本棚にあった「陸奥爆沈」を手に取ったのがその作家との出会いであった。昭和18年に瀬戸内海で爆発沈没事故を起こした戦艦「陸奥」の事件を追っていくうち、筆者は日本海軍の歴史に潜む数々の軍艦の爆発事故と、そこに埋もれた人間模様を描き出していくのである。抑制され、飾り気のない重厚な文体。人間の生と死を見つめる冷静な視点。事実に迫るための途方もない労力。そのすべてが私をひきつけた。
吉村昭氏(「陸奥爆沈」)が最初の小説・小説家だったという追悼文。

北村癇癪の脛:NHKスペシャル「チャウシェスク政権の崩壊〜市民が撮った革命の7日間〜」


この番組は平成2年に放送されたものの再放送である。ブカレストでの政変を現場で撮影し続けた2人のカメラマンのテープを、ほぼそのまんま編集してつなげたものである。「あるがままに」というのが編集の方針だと言っていた。その割には、ナレーションで途中からチャウシェスク派のことを堂々と「テロリスト」と呼んでいたりして、ちょっとどうかと思ったが、民主化を求める人々の表情は印象的だった。並んで行進しながら自由と民主化を謳い、カメラにピースサインを向ける民衆や兵士たちの顔は誇りに満ち溢れている。
ゴルバチョフが世界にもたらした新しい革命に関するドキュメントの感想。

POP2*0(ポップにーてんぜろ) :クレーマーの行動パターンに関する悲喜こもごも。


これは余談だが、私がSNSがあまり好きではないのにも同じ理由がある。以前、友人からSNSに入らないかと招待された時に、こういうエピソードを披瀝してくれた。それまでその友人は、ある相手(著名な音楽評論家)のことを発言内容や仕事ぶりから嫌っていたのだが、たまたま同じSNSにその人物が参加しており、ミクシィのマイ・ミクに誘われたことがきっかけで、「実はいい人でさ」とコロっと評価が変わってしまったのだ。論理的に対立していたはずの相手と、直接の関係が生まれると繋がってしまうという安直さって何? これもすべて「自分を褒めてくれたら許す」っていう、自己愛から来るものなのか。そういう付和雷同ぶりが、日本人のウンザリする特質だと日頃から思っている私は、SNSがその増幅器になっているようなキモチワルサを感じてしまった。そこには、先のクレーマーの「誠実に対応してくれたから問題は帳消しにする」という行動と同質な、ただあるのは「自己愛のみ」という様が見て取れる。
↑DVDの欠陥とクレーマーに関する一般論。

rentoの日記:新内閣誕生


安部晋三自民党総裁が首相に指名されて組閣が行われた。新内閣の誕生のたびに、私は亡き母のことを思い出す。
↑自分で政治のことを考え、選挙に行った母の思い出について。

 

沖縄の「赤ん坊を殺した話」コメント欄まとめ

だいぶ長くなってしまったので、以下のコメント欄をまとめてみました。
愛・蔵太の少し調べて書く日記 - ネットで「沖縄戦における赤ん坊虐殺」のテキストを探してみましたが

# サンダー 『>沖縄の人は「邪魔に成るから肉親を殺すこと」が少ない、という、何か統計的資料はありますか』

私が暗示的に主張したかったのは正にこの点なのです。
満蒙や樺太の記録で解るのは、戦場で放置された民間人は他者に強要されずとも自殺する例は珍しくは無いという事です。 これは第二次大戦末期の東部戦線でのドイツ民間人でも同じで普遍的傾向と思われます。
しかし沖縄のみ軍による自殺強要や虐殺が多発したと主張されても信じる事は出来ません。特に出所不明の伝聞が証拠だと主張されていれば、そこに何らかのバイアスを感じるのは当然です。
ここに書き込まれている沖縄の方には、沖縄人はどんな過酷な状況でも希望を失わずベストを尽くし、血族は決して見捨てない文化を保持している事を証明、または明示するエピソードなどを披露して頂ける事を期待いたします。』 (2006/09/19 23:17)

# イッセイ 『日本人は強制されなくとも、我が子を殺す者もいるが、沖縄人は支配者による強制がなければ、肉親を殺すことは無いと云う事だ。

出所不明の伝聞?
沖縄戦研究者によって、それは定説に成っている事である。
沖縄戦における集団自決と言われるものは、すべて傍らに日本軍が居て、住民に投稿を許さなかった事態がある場合に限られる。日本軍が、すぐ近くから去っていた地域は、ほとんどアッサリと投降して居る。日本軍が居た地域で、投降しようとしたも者、投降勧告に使わされた者は日本軍によって処刑されている。それは渡嘉敷でもそうだ。

渡嘉敷では、事前に手榴弾が渡されて「捕虜になるな、その前に自決せよ」と、軍の兵器管理者から指示されていた。これは軍による強制以外の何物でもない。

>沖縄人はどんな過酷な状況でも希望を失わずベストを尽くし…

軍によって投降は許されず、米軍の攻撃に追い詰められて、希望を失って、愛情故に肉親を殺し、自分も自殺したのが、沖縄戦の住民集団自決と言われる事の真相だ。どこにベストの尽くしようがある?』 (2006/09/19 23:56)

# サンダー 『>日本人は強制されなくとも、我が子を殺す者もいるが、沖縄人は支配者による強制がなければ、肉親を殺すことは無いと云う事だ。

上記の主張であなたが十二分にデンパ、かつ差別主義者である事が理解出来ました。
対話など不可能と判断し、あなたに対する以後の書き込みはご遠慮させて頂きます。』 (2006/09/20 00:33)

# ar 『サイトいつも楽しみに読んでおりますが、今回のテーマは「少し調べて」というスタンスで語るには重過ぎるように感じています。ネットや書籍の情報だけで答えが出ない事象に対して、いささかヒートアップしすぎではないかと。ローマ法王の件などは「どう報道されたか」という話なのでなるほどと思いますが。』 (2006/09/20 02:12)

# 江洲 『イッセイ氏

同じく沖繩で生まれ育つた者として、氏が身内の擁護をするのは道理であるとは思ひます。

ですが、氏の「擁護」では擁護にならないではないですか。愛・蔵太氏が求めてゐるのは確信に足る證據證言であつて、「研究者の定説」ではなくそれを裏付ける根據であります。しかしイッセイ氏、これまで氏が擧げたものが根據足り得ますか?兔に角「定説」を信じろと強辯してゐるやうにしか思へません。

かつて伊波普猷が沖繩の人間が爲政者に薄情であることを嘆く趣旨の文章を拵へました。氏の「擁護」を讀むと、その氣質は明治から平成の世に至るまで、どうやら變らないやうです。』 (2006/09/20 08:02)

# lovelovedog 『「沖縄戦研究者によって、それは定説に成っている事」という話は、ぼくもまぁ聞かないことはありませんが、それによってわかることは、沖縄戦の研究者と沖縄の「新しい民話収集者」の区別、「定説」と「民話」の区別をするのは、素人には難しいなぁ、ということぐらいでした。要するに、「伝聞情報・伝聞証言以外の、「自分の家族がそういう目にあった・そういうことをした(特に、赤ん坊を日本兵に殺された・赤ん坊を自分の手で殺した)」という実体験者の証言テキスト」というのはうまく確認できない、というぼくの判断でよろしいですか』 (2006/09/20 09:35)

# イッセイ 『>(特に、赤ん坊を日本兵に殺された・赤ん坊を自分の手で殺した)」という実体験者の証言テキスト」というのはうまく確認できない、というぼくの判断でよろしいですか
>沖縄の人と大和の人を比べて、沖縄の人は「邪魔に成るから肉親を殺すこと」が少ない、という、何か統計的資料はありますか

日本兵に脅されても、「赤ん坊を母の手で殺した」という実例はあると思うが、そうは多くないものと思う。沖縄人の母親の気質からして一般的にそう言える。
統計的資料などが在る可能性は少ないのでないか?私は自分の生活経験からそう言っているのである。また、前項のコメントでも、樺太・満蒙の逃避行で、足枷になった身内を殺していたという資料を誰かが報告しているではないか。もちろんその中に沖縄出身者が含まれていた可能性もあるが、大部分は日本(大和)人である。ただし、ソ連兵は実際に、婦女・難民を強姦・殺害したそうだが。
「赤ん坊を自分の手で殺した」という明確な証言は、私も確認できない。そんな事実は無い方がいいが、あったとしても、当事者や目撃者は具体的な証言はしたくないはずである。故に、明確な記録が無いのかもしれない。
だが、「赤ん坊を日本兵に殺された」というのは、多くの戦記・体験談に書かれていることである。私は体験者から、壕の中で咳の止まらなかった自分の祖父の頭を日本兵が棒で殴り、死に至らしめたという話を聞いたことがある。
手元にはないが、沖縄県の県史・各市町村の史で、日本兵の幼児殺害について、戦時中の住民の証言が記録としてたくさん載っている。
アナタは「赤ん坊を自分の手で殺した」という明確なテキスト資料が見つからないからといって、それ以外のすべての日本兵の残虐行為までも、沖縄人は大袈裟に言っている、と言いたいのだろう。

「定説」に成っていると云う事は、この30年ほどに、沖縄内外の学者の実証的研究の積み重ねによって、『集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている』という事が証明されている事だ。ここの管理人はネットや本で少し調べただけで、その「定説」を「民話」・「講談」のレベルまで一気に引き下げてしまうのか? 恐れ入りやの鬼子…。』 (2006/09/20 15:03)

# イッセイ 『>江洲

二人称で人を呼ぶ場合、「氏」という呼び方は如何なものか? 「さん」か「どの」が常識じゃないのか。「氏」などと、同じ沖縄人に呼びかけるのは大和かぶれしている様で、あまり気分良いものではない。呼び捨てにされる方がよっぽど良い。
同じ沖縄人として、私にクレームつけるなら、「日本兵による赤ん坊虐殺」、あるいは「日本軍による沖縄住民虐殺」について、自分の見解を述べてからするべきではないのか? 単に、人の議論のし方に文句を付けるだけでは、高見の見物をしながら日本の国家権力に寄り添う事だ。』 (2006/09/20 15:05)

# かぼす 『同じ事を書き込むのも気が引けますが「日本兵が殺した」という話が事実だとしても、その日本兵、もしくは軍属の中には沖縄出身者が万を超える数で所属していたのです。赤ん坊を含む住民たちを殺すような兵の中には沖縄人がまったくいなかったというのでしょうか。それとも沖縄人は身内は殺さないけど血縁がなければ同じ国の人(沖縄人)を殺すということでしょうか。』 (2006/09/20 18:27)

# ダート 『私の母が沖縄県出身なので、昔のことを聞いたことがあります。

「避難所に避難したら大人達から『子供はこっちに来るな』と
追い出された。子供が来ると敵に見つかると思ったんだろうね」
と話してくれました。

日本兵については
「よく畑から盗んでいったね。ものが無いから」と同情的でした。

アメリカ軍による占領については
「当時の日本には沖縄の面倒を見る力がないから、アメリカ軍の
食糧配給とか無かったら北朝鮮みたいに、大勢の人達が餓死して
いただろうね」とのこと。

「兄がシンガポールかマレーシアに出兵して、帰ってきたら女を
作って家から出て行っちゃった」という笑い話もしてくれました。

私が母から聞いた話はこれだけです。』 (2006/09/20 18:57)

# イッセイ 『
>かぼす
日本兵、もしくは軍属の中には沖縄出身者が万を超える数で所属していたのです。

日本軍は、通常の召集令状で従軍した兵のほかに、根こそぎ現地召集で15・6才から上は50才以上まで、足腰立つ者はすべて戦場に狩り出した。
言う通り、その数は二万数千である。
その中に、住民を殺害した兵隊が全然居ないとは言えない。実際、仲間と一緒に住民を殺したとの、他の住民の証言もある。だが、私が見聞き下かぎりでは、それは極めて少数だ。少数は居た事が考えられるにしても、それが日本軍の罪業を免罪する材料になろうか?そもそも、日本軍は日本人が日本国と天皇のために作ったものであり、沖縄人が創設運営した組織ではないのである。

日本軍を沖縄に集結させたのも沖縄人を守る為にしたのではない。飽くまで本土決戦を遅らせて、終戦を有利な情況でまとめる為、そして天皇制を守り、その国体を護持しようとしたのである。』 (2006/09/20 19:46)

# ダート 『何だかイッセイ“さん”のコメントを見ていると
「自分は悪くない。全て彼らが悪いんだ」
と主張して、沖縄人同士による殺害を本土人に責任転嫁している
だけですね。「命令があろうがなかろうが」沖縄人の兵士が同じ
沖縄人を殺害したことに変わりはないです。
沖縄人は戦争の被害者ではなく、加害者の立場にあるのです。』 (2006/09/20 20:16)

# サンダー  『足手まといの子供を自らの意志で殺しながら、戦後になって軍に強要されたと言い訳をした可能性は濃厚です。
ええ、これはもちろん本土人が沖縄人の常日頃の言動を観察した結果の心証であって、証拠など何もありませんが。
同じ理屈で本土人を貶めてる沖縄人がいますから、こんな暴論もOKですよね?皆さん。』 (2006/09/20 20:33)

# イッセイ 『
>サンダー  足手まといの子供を自らの意志で殺しながら、戦後になって軍に強要されたと言い訳をした可能性は濃厚です。

沖縄の住民は日本軍から強制されて、肉親を殺した後、自分も自殺しているのだよ。これは証言も何も、確かに記録されている事だ。
満蒙や樺太の難民が逃避行の中、足手まといの子供を殺して自分らは逃げたと云う事は、アンタが言った事ではないのか?その確かな証言があるのだろう?

沖縄を捨石にして、15万人もの住民の死を招いておいて、その後60年以上も涼しい顔をして、豊かな文化生活を送っている日本人が、沖縄人はは自分で勝手に死んだのだ、兵隊の悪行を大袈裟に言い立ててカネをせびっているのだと、どの面下げて言えるのだ。』 (2006/09/20 21:23)

# lovelovedog 『要するに、「壕の中で、赤子の泣き声が敵に聞こえると、わが子を殺した母親の話があるがそれも兵隊から強要されたからである。なかには、それができず、兵隊が赤子の首をしめた。そして、母親は気が変になったという話もある」は、事実確認ができない伝聞情報を、あたかも実際にあったかのように太田良博さんが言っている話、ということでよろしいですか。ぼくは、太田良博さんが「事実」と「伝聞」を区別して語れる能力があるのか(あるいは、そういう能力に乏しい受け手に対して誠実であるか否か)に興味はありますが、「「赤ん坊を自分の手で殺した」という明確なテキスト資料が見つからないからといって、それ以外のすべての日本兵の残虐行為までも、沖縄人は大袈裟に言っている」とは言う気はありません。あくまでも太田良博さんに関しての問題です。イッセイさんも太田良博さんも、「沖縄の人の一人」であって、「沖縄人」と一般化されるような存在ではないと思うのですが。
>集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている
えー!? 起きた場所は「米軍が攻撃した地域」なのでは。それから、そのようなことを言っているかたは、林博史さん以外は知らないんですが(http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm)他にはどの「沖縄内外の学者」がそのようなことを言っているんでしょうか。
また、ぼくが少し調べた調べた限りでは、「集団自決は、英語を話せる(理解できる)人間が住民側にいた地域では起きなかった」というのがありますが。こんなのとか。
http://www.kanagawa-kgs.ac.jp/fw/2001/okinawa/ofw01_004.htm

それと反対に、役1000人の住民が避難していたシムクガマ。ここでは自決は起きなかったのです。もちろん自決の声はあがりましたが、2人のハワイ帰りの男性が自ら先頭に立ってガマをでました。2つの明暗を分けたのは情報だったのです。自決の起きたチビチリガマでは、「米軍に投降したら殺される」という「米軍性悪説」を信じ、自決がなかったシムクガマではハワイの生活を通して知った「アメリカ人の素顔」でした。

要するに「皇民教育」「日本軍」の問題ではなく「情報」の問題なのでは、と。あと、集団パニック状態で、正確な「情報」が入手できるような状況ではなかった(あってもそれをうまく利用できなかった)、みたいな。』 (2006/09/20 22:15)

# サンダー 『私がなぜこの問題に粘着しているかと言えば、ずい分昔ですが、自身でも調べてみた事があるからです。
当時はネットなどありませんから、図書館で沖縄関連の書籍を片っ端から潰していくという雑な方法でしたが。
で、スパイ容疑者(現地住民)の処断に関してのの目撃証言はあっても、幼児の殺害または殺害強要の目撃証言など見つかりませんでした。ですから、目撃証言があるなら是非見てみたいと長年思っておりました。

>沖縄を捨石にして、15万人もの住民の死を招いておいて、その後60年以上も涼しい顔をして、豊かな文化生活を送っている日本人が、
→長年文化的恩恵を受けながら、40年も植民地支配をしておいて、その後60年以上も賠償をせず涼しい顔ををして、豊かな生活を送っている日本人が、
単語を少し入れ替えると、どこかの半島の住人とそっくりな非論理かつ没道義な主張である事がよく理解出来ます。
これが沖縄人のスタンダードではない事を願ってやみません。』 (2006/09/20 23:07)

# yagi 『 議論が拡散しているようですが、とりあえず田村洋三「沖縄の島守−内務官僚かく戦えり」(中公文庫)p436-437から、山里和枝さんの証言を引用しておきます。
「兵隊が再びやってきて『いくら言っても分からんのかッ。なぜ泣かすのだッ』と言い、理由がわかるとオバアの黒砂糖を取り上げました。その時、下の子が『これは僕らのだ』と言って兵隊に飛びかかったのです。兵隊はこの子を銃で撃ち殺しました。(中略)それからは赤ちゃんが泣いても、周囲の人たちが『子供を泣かすなッ』と母親をしかるのです。泣かすなと言われても、赤子は泣きます。よく泣いていた赤ちゃんが急に静かになったな、と不思議に思っていたら、『たまりかねた母親が口におしめを押し込んだ』というヒソヒソ話が伝わってきました。この時から私たちは敵は米軍ではなく、友軍だと思うようになりました。県民はありったけの協力をした揚げ句、土壇場で裏切られたのです」
場所は現糸満市の「轟の壕」、時期は1945年の6月18日から24日の間、とはっきりしています。「轟の壕」からは約600人の避難民が米軍により救出されたといいますから、他にも証言者がいると思われます。細かな点に違いはあるかもしれませんが、「都市伝説」扱いはあんまりです。』 (2006/09/20 23:24)

# lovelovedog 『その「口におしめを押し込んだ母親」の話は、『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕』にも出て来るんですが、あまりにも「戦争神話」のパターンすぎて判断に困ってしまったのです。ただ、「子供を銃で殺した」のほうは、割と信憑性が高いように思っています。あと、餓死で子供を亡くしたお母さん、というのも、轟の壕に出てきますが、これもまぁ信用度が高い感じです。「おしめを押し込まれた赤ん坊」の話は、その子が埋葬されるのを見た、ぐらいの目撃者の情報がないとちょっとぼくには判断しにくいのです』 (2006/09/20 23:30)

# イッセイ 『>>集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている えー!? 起きた場所は「米軍が攻撃した地域」なのでは。

とぼけているのか? 住民がいて、日本軍もいたら、当然米軍は攻撃する。そんな地域で「集団自決」は起きているのだ。日本軍は住民に投降を許さなかった。投降しようとする者や捕虜に成った者はスパイだとして、処刑した。
住民だけがいて、米軍から攻撃された地域は、少数の例外はあるが、容易に投降を決断して捕虜になったのだ。

前に言ったように、「我が子を自分の手で殺した親」は数は少ないが、実際にいたと想像されるね。だが、それは確かな記録としてはオレも見た事ない。おそらく、実在する当事者の姓名を公表する事が憚られたからではなかろうか。

>「おしめを押し込まれた赤ん坊」の話
これはオヌシの早とちりではないか?上に紹介されてるおしめ押し込み話は殺したようにも受け取れるが、オレは体験者からそんな事を聞いたことある。だが、それは声を出させないようにしたまでで、殺したという話ではなかった。別の押し込み話も、もう一度よく読んでみることだ。

それにしても、何ゆえに管理人は太田良博の一言を取り上げて、しつこく追求しているのだろうか?重箱の隅ではないか。
曽野綾子がやったごとく、赤松隊長の口頭での自決命令が無かった事を突いて、あたかも集団自決が軍の強制ではなかったように強弁し、それに乗じて住民処刑までも正当化しようとする詭弁性を、この管理人も持っているように感じさせられる。
ここに登場している別の連中も含めて、「ミニ曽野綾子チルドレン」と言うべきものだ。

http://www.fukkan.com/bbs.php3?act=topic&t_no=20251』 (2006/09/21 00:22)

# 江洲 『敬稱については本筋ではないので述べません。

それから私がどのやうな感情を沖繩戰に抱いてゐたとしても、事實が變ることはありません。あへて述べるとしても、それほど愉快には感じてをりませんが、それが愛・蔵太氏の疑問を解決する助けになるかといへば、ならないでせう。

申しわけないがイッセイ氏、氏の説明では誰も納得しませんよ。氏がどう感じてゐるかどうかは事實認定には何等影響を與へないのですから。集團自決や住民殺しに疑問を持つだけで根據なく他者を罵る態度を取るのならイッセイ氏、誰が氏の言葉に眞實を讀み取れるといへますか。

私は氏の言葉が集團自決や住民殺しの事實認定に有效であると判斷しません。むしろ強辯することによつて事實があつたかどうか疑問を深めてゐると考へます。だから根據を示せと、私は指摘してゐるのです。

が、正直「ミニ曾野綾子チルドレン」なるスローガンが出てきた段階でどうでも良くなりました。それは「鬼畜米英」なるスローガンと、何が變るのです?結局、氏がやつてゐることは敵に「鬼畜」のレツテルを貼つて罵つてゐるだけで、戰前に軍や住民が陷つてゐた視野狭窄のメンタリティと同じぢやありませんか。

昔は米英で、今は日本軍。世が世ならイッセイ氏、貴方のやうな人が率先して他人を非國民と罵つてゐたのではないでせうかね。』 (2006/09/21 08:31)

# lovelovedog 『まぁあんまり、お互い煽ったり煽られたりしないことを望みます。ぼく個人はイッセイさんは、ぼくが知らないようなことを知っていそうな人として、その知識を伺えれば、と素朴に思っています』 (2006/09/21 09:46)

# lovelovedog 『で、「林博史さん以外の学者」で「集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている」という説をとなえている人には、他には誰がいるんでしょうか。「定説」としてそれを理解するには、その説の「ほとんど」の部分(例外もある、という部分)、およびそう言っている人たちの数その他が気になります』 (2006/09/21 09:49)

# 梅 『赤ん坊の泣く声と銃声と米兵はどっちに敏感に反応する?
泣く赤ん坊がうるさいと兵隊子供に向かって銃をぶっぱなす
兵隊はホントにバカか話がウソかどっちかだな。』 (2006/09/21 13:33)

# あqwせgyふじこ 『テーマがテーマだけに、常連の粘着がわんさか食いついてくるだろうとワクテカしてたんだが、コメント0が続くんでガッカリしてたら、強烈な電波が食らい付いてきたんでヨカッタ〜w

>ぼく個人はイッセイさんは、ぼくが知らないようなことを知っていそうな人として、その知識を伺えれば、と素朴に思っています

心にもないことを言って「ミニ太田良博&大江健三郎チルドレン」を煽る蔵太タソって………ダイスキw』 (2006/09/21 15:16)

# 猫 『ぶっちゃけ「○○屋の牛丼を10杯食べたが、ぼくの舌ではプリオンは感じ取れなかった。プリオンの存在自体疑わしいと考えてよろしいか? 反論のある人はぼくがプリオンを感じ取れる牛丼を持ってきてほしい」と言ってるようなもんだろ』 (2006/09/21 16:16)

# サンダー 『私は「子供を銃で殺した」との証言関して、数々の疑問があります。
まず第一に、上で他の方も指摘していますが、赤ん坊の声にも神経質になっているにも関わらず、無神経にも発砲した事。
第二に至近距離で掴み掛かった相手に、銃剣術で対応せずに発砲した事、これは兵隊の常識とはかけ離れています。それにこれは第一の疑問と関連していますが、銃剣術で対応すれば大きな音を立てる事など無いのです。
第三に文章から考えて発砲した場は豪内と考えられますが、密閉された場所での発砲とは、少しでも銃の取り扱いを教育された者がする行為ではありません。兵隊という記述から銃とは歩兵用ライフルと推測されますが、ライフルの弾薬とは馬を打ち倒す事を基準に作られる物で、人間を貫通した後は豪内を飛び回るのはまず確実です。』 (2006/09/21 18:01)

# はりぼで 『>サンダーさん
私はそんなことがあってもおかしくは無いと思います。
戦争末期の日本軍兵士の錬度はあまり高くなかったでしょうし、
あのような極限状態で泣き声より銃声のほうが大きいなんて、テンぱってたら考えもしないでしょう。なにより、私がそういう状況下に置かれたら、同じことをしない自信はありません。
ただ少なくとも赤松さんの事例では冤罪の疑いが濃厚なのですから、彼の名誉回復はなされるべきでしょう。』 (2006/09/21 23:15)

# サンダー  『>はりぼで様
私はありえないと完全否定している訳ではありません。すべての事象には例外がありますので。ですが近代的軍隊や兵士の行動に関しては、世界的な基準または相場とでも言うべきものが存在するのは事実です。
部隊の錬度に関してですが、沖縄戦に参加した24師団は現役兵のみより編成され、当時としては最良の部隊でした。また62師団は再召集の兵で編成され、中国で実戦を経験し、この部隊の素質も劣等とは言えません。戦争末期だから錬度が低下していたと判断するのは根拠がありません。』 (2006/09/22 00:18)

# lovelovedog 『こういう情報の少ない事件に関してはどうしても「思う」「思わない」の部分が多くなってしまいますね。ぼくは「直接それを見た、という人の証言内容」を、個人的な判断で(恣意的に)検討しているつもりですが、それが事実なのかは不明なのです。「殺されたという子供の骨」を実地検分すればいいんでしょうが、それでも昔のことなのではっきりわかるかどうか(弾とかが出て来るとかなら別です)』 (2006/09/22 00:50)

# はりぼで 『>サンダーさま
なるほど、虎の子部隊を温存していたわけですね。戦争末期は新兵ばかり、というパイロットの話と混同していました。

>愛・蔵太さま
思ったのですが、平和祈念館に直接問い合わせるというのはどうでしょうか。展示がある以上、何かしらの証言・原本に基づいて作成されたはずです。』 (2006/09/22 08:01)

# イッセイ 『>江洲

人を「氏」、「氏」と呼ぶな。気色悪い。妙な仮名使い。大和右翼かぶれが、明らさまだぜ。オマエのような沖縄人が、かつて「帝国臣民の証しとして、ウチナーンチュは陛下へ命を捧げよ」と、煽ったのではないか?

「ミニ曾野綾子チルドレン」と言ってやったら、その「ミニ曾野綾子チルドレン」が又どっとやって来たね。言ってる事の愚劣さに嘔吐しそうだ。

>lovelovedog
>、「林博史さん以外の学者」で…日本軍と住民が混在した地域で、起きている」という説をとなえている人…

大和人の研究者は挙げて、肝心の沖縄の研究者は知らないというのか?
少しも調べてないのか?それともすっトボケテ人をからかうのか?
安仁屋政昭、石原昌家、嶋津代志(大城将保)、目取真俊、金城重明(自決生き残り)等などを知らないのか?又もや恐れ入りやの鬼子…だね。

日本兵による沖縄人虐殺が細かく記録されているのは、それがよく起こった地域、南部などの市町村史に詳しく載っている。それから沖縄県史9・10巻。どこかで見てみるがよい。』 (2006/09/22 11:05)

# イッセイ 『>あqwせgyふじこ さん

「常連の粘着」とはどんな連中ですか?
愛・蔵太ことlovelovedog は、やはり、いつも「心にもない事」を言ってるオトボケ野郎ですか?


>猫さん
>「ぼくがプリオンを感じ取れる牛丼を持ってきてほしい」

という、手前勝手を言っているのは、lovelovedog の事ですよね。』 (2006/09/22 11:28)

# lovelovedog 『いやだから、「安仁屋政昭、石原昌家、嶋津代志(大城将保)、目取真俊、金城重明(自決生き残り)等」のかたがたのお名前と著作は存じておりますが、そのかたがたの著作のどこに「集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている」という記述があるかは知りません。そこらへんの無知をご指摘いただくのはありがたいのですが、もし可能でしたら、それらのかたがたの「何」という著作の、「何ページ」に、「集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている」という記述があるのか、イッセイさんはご存知なのでしょうか。「そんなことも知らないのか」とか「オトボケ野郎」とかではなく具体的に、書物名と書いてあるページをご指摘ください。
日本兵による沖縄人虐殺」は、これは個々に事例を見ていると大変な量になるので時間をかけないと難しいのですが、イッセイさんはそれらの「それがよく起こった地域、南部などの市町村史」「沖縄県史9・10巻」にはすべて目を通されたんでしょうか。
あと、「米軍(米兵)による虐殺」ということで、このようなテキストも見たんですが、これはどの程度まで本当のことなんでしょうか。まぁ所詮は「伝聞情報」部分が多いものではありますが。
http://blog.goo.ne.jp/323f-2cv/e/726b133140a4e2da98a48ebf7eef25bf沖縄戦における米軍の残虐行為)
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/okinawakyarabanzadankai.htm沖縄戦の欺瞞を打ち破る)

 B 沖縄戦における米軍の蛮行は相当なもので、北谷町の方では子どもでも全部撃ち殺して股をさいて海に捨てていたと泣きながら逃げてきたことがいわれ、読谷村への米軍上陸のときも友軍と思って大喜びで出て行ったら皆殺しにされたという。艦砲でも相当殺されている。

 編集部 アメリカはきわめて計画的に沖縄戦をやった。基地にするところははじめから決め、その地域の住民は収容所に入れ、そうでない住民は入れないとか決めていた。上陸後は沖縄のだれをリーダーにするかという親米派のリストもつくっており、上陸した後に指名手配して捜し出し実際にそのようにした。基地を奪うという周到な計画を実現するための沖縄戦だった。だから、破壊し、殺し尽くし屈服させなければならなかった。けっしてメドのない狂気の血みどろのたたかいというものではなかった。米軍にたちむかう力のない日本の兵隊は、11万人のうちの7000人しか捕虜はおらず、ほぼ皆殺しだった。米軍はそれだけではなく住民を殺さなければならなかった。親兄弟は殺され、食うや食わずでさまよい歩き、家も畑も破壊され、絶望的状態に追いこむことが、抵抗なく基地をつくるための綿密な計画であった。

どうもぼくには、現在でも直接の利害関係が存在している「米軍」の虐殺行為と比べると、すでに存在しない「旧日本軍」の残虐行為のほうが、語られる量や記録が多いのでは、という気もするのですが、そこらへんはいかがでしょうか。
ネットで読める「村史」はそんなに多くないのですが、実際に集団自決が起きていると確認されている「読谷村」の村史だと、このような記録がありました。
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05b/chap06/content/docu102.html読谷村民の戦争体験の特徴)
「砲爆撃他」による死者が半数以上になっているわけですが…。』 (2006/09/22 22:49)

# イッセイ 『>いやだから、「安仁屋政昭、石原昌家、嶋津代志(大城将保)、目取真俊、金城重明(自決生き残り)等」のかたがたのお名前と著作は存じてお

いやいや、はやはや、ようやくオトボケ野郎の本性を吐露したね。
オマエは「ミニ曽野綾子チルドレン」ではなく、曽野綾子にうり二つだよ。
『そのかたがたの著作のどこに「集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている」という記述があるかは知りません。などと、

ホントは知ってるくせに、オレに言わせておいて、またすっトボケて、あれやこれや、隠しダマを持ち出してくるのだろう。本当の曽野綾子の子供じゃないのか?(笑)
その記述を指摘してやるのはお易い御用だけど、又あれやこれや、裏技を繰り出してくるのだろう。もう、オマエのネチネチ遊びにつきあうのは時間もったいないから、遠慮させてもらう。

沖縄戦で、敵のアメリカに殺された沖縄人の数が、友軍である日本軍に殺されたそれよりも多いのは至極当然でなないのか?いくら残虐日本兵でも、十数万の沖縄人を殺すこと無いだろう。
もちろん、アメリカ軍の住民への無差別攻撃も許しがたい残虐行為である事には違いない。だが、それは日本帝国の予定の事だったのだ。日本軍は住民にも投降を許さなかった。それがアメリカ軍の無差別攻撃を招いたのだ。

>日本の兵隊は、11万人のうちの7000人しか捕虜はおらず、ほぼ皆殺しだった。

本土決戦を遅らせる為に、兵隊にも住民にも捕虜になる事を許さず、末期の南部戦線で、敗残兵化した日本兵は住民の中に紛れ込んだから、米軍の無差別攻撃を招いたのだ。
それにしても、そんな事まで持ち出して、日本軍の残虐行為を正当化しようとするド根性は見上げたものだ。

この管理人の小汚いやり口は、日本人の性質のある部分を象徴しているように思う。』 (2006/09/23 04:23)

# のぅ 『>イッセイさん

愛氏のやり口が小汚いかどうかは知りませんが、口汚いのは間違いなく貴方の方ですね。』 (2006/09/23 08:26)

# カレン 『容易いのなら、無駄な長文書く前に書けばいいのに。』 (2006/09/23 08:49)

# 江洲 『沖繩ナシヨナリズム丸出しの方に大和右翼かぶれと呼ばれるのは不思議な氣がします。

反論は意味を成さないでせうから、いくつか情報だけ。

母方の祖父は沖繩戰當時、部落の取り纏め役をしてゐたのですが、軍に兵役に就いてゐないことをあやしまれて取り調べを受けたさうです。尤も誤解であつたのでしばらくして解放されたさうですが。話を聞いた當初は軍は實に恐い組織だと子供ながらに思つたのですが、考へてみれば不審なものを調査確認するのは當然のことで、むしろ小役人の業であるやうに感じます。母方の田舎は本島南部でありますが、幸ひにして祖父の一家は大部分が戰火から免れてをります。このことからも軍が積極的に住民を殺してまはるやうには、私には思へないのですよね。資材や人員が餘つてゐた筈もないのですから。

伊波が沖繩人の氣質を論じてゐるのは論文「沖縄人の最大欠点」で岩波文庫「古琉球」に收められてゐます。その最大缺點とは「忘恩」で、主權者の更迭が頻繁であつたが爲にそのやうな氣質となつたのだらうと推測してゐます。「世のこういふ種類の人ほど恐ろしい者はない。彼らは自分らの利益のためには友も賣る、師も賣る、場合によつては國も賣る。かういふ所に志士の出ないのは無理もない。沖繩近代史に赤穂義士的の記事の、一頁だに見えない理由もこれで能くわかる」と伊波が記したのが明治の世ですが、現代に至るまで缺點を解消できたやうには思へないのです。その裏返しとして日本兵に對し不當に嚴しい評價を與へる風潮があるのではないかと、私は考へてをります。さういふ血が、きつと私にも流れてゐるのでせう。

話が逸れたついでに沖繩の文字の話もしておきませう。沖繩では固有の文字が發展することがありませんでした。文字は外國から輸入して使つてゐたわけです。それは關係の強い支那大和から輸入され、「おもろさうし」も大和の漢字假名交じり文で記されてをります。私は傳統を大事に考へてをりますので表記も傳統的なものを使つてをります。これは大和の傳統であると同時に沖繩の傳統でもあるわけなのです。ですので假名遣ひだけでレツテルを貼られると、私も困るのです。

關係のない事ばかり長々と書いてしまひました。愛・蔵太氏の一連の沖繩關連エントリーは大變興味深く讀んでをります。頑張つてください。』 (2006/09/23 11:00)

# イッセイ 『>江洲
>不審なものを調査確認するのは當然のことで、むしろ小役人の業であるやうに感じます。
>祖父の一家は大部分が戰火から免れてをります。このことからも軍が積極的に住民を殺してまはるやうには、私には思へないのですよね。

スパイ容疑で多くの住民を殺害し、乳飲み子を連れた一家を戦火の中へ、壕から追い出したやうな所業も、「小役人の業であるやうに」感じるか?
日本兵が「殺人鬼」のごとく、積極的に住民を殺してまはったやうに、オレが言ってると言うのか?温厚な日本兵が居たことは戦記でも判る。オレの両親の一家それぞれも戦死者は無く、虐殺された者も居ない。だから、日兵の悪口は家族からは聞いたこと無い。自分の家族に犠牲が無かったからと言って、日本兵全般が善良だったと言える事なのか?

伊波普猷は、沖縄人が日本人として生きる事が、琉球民族の幸福になる、と考えて、沖縄人の拠り所を、「日琉同祖論」に求め、明治琉球処分を「奴隷解放」として評価した。そして、明治天皇の御厚恩を忘れて成らぬ、と言っている。
だが、これは彼の、日本帝国に対する事大主義であったのだ。日本に同化する意思を見せなければ、沖縄人は何時までも差別・抑圧されると彼は考えたし、彼自身の学問も迫害されかねなかったのである。しかし、明治から敗戦までの、そして、それから現在までの、大和民族の沖縄に対してとった施策はどんな物だったか。戦争での捨石作戦も含めて、搾取・収奪の連続ではなかったか?オマエはそれを非難することが忘恩行為だと言いたいのか?

オレは沖縄人の気質で最も特徴的なものは、強大な他民族への「事大主義」だと思うね。薩摩侵略以来今日まで、、それは日本という国家である。日本へ従順に仕える沖縄人ほど、その分だけ施しを多く受けられていい思いが出来る。今のI県知事はその筆頭の存在である。そして、今の沖縄人の大半が事大主義者である。オマエはその確信的なスポークスマンと言えるだろう。』 (2006/09/23 12:10)

# lovelovedog 『要するに、「安仁屋政昭、石原昌家、嶋津代志(大城将保)、目取真俊、金城重明(自決生き残り)等」のかたがたの著作のどこに、「集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている」という記述があるかは、イッセイさんは知らない、ということでよろしいでしょうか。林博史さんの著作の記述だけをもって「定説」というのは無理があると思うので、「沖縄戦研究者によって、それは定説に成っている事である」というイッセイさんの前のテキストは間違いで、「林博史氏に、こういう説がある」と訂正させていただくことにします。他のかたがたの著作で、類似した記述が見つかりましたら、また「沖縄戦研究者によって、それは定説に成っている事である」と、根拠を示して主張してみてください。なお、ぼくのテキストのどこが「日本軍の残虐行為を正当化」しているようにイッセイさんには見えたのか、具体的にテキストのこの部分、と指摘して再言及していただけるとありがたいのです。』 (2006/09/23 12:31)

# イッセイ 『>記述があるかは、イッセイさんは知らない、ということでよろしいでしょうか。

馬鹿者、オレは「その記述を指摘してやるのはお易い御用だけど、又あれやこれや、裏技を繰り出してくるのだろう。もう、オマエのネチネチ遊びにつきあうのは…」と言ったはずである。
年若い林博史氏より、安仁屋政昭、石原昌家、嶋津代志、金城重明らのほうがその真実を明らかにしたはずだ。彼らの本を読めば、その主張がたやすくわかるはずだが。もう1回読んでみて分からないというのであれば言ってやろう。その場合、それぞれの根拠となるテキストを挙げて「彼らはそんな事を言ってるのではない」と説明してくれ。俺がオマエにテキストを指し示すのはそれからでいい。

逃げたなどヌカすなよ。オマエの陰湿言葉遊びに虫唾が走るから、意地でも付き合いたくないからだ。
本当にオマエは、権力により添う事を人生の喜びとしている曽野綾子のDNAを受け継いでいるようだ。』 (2006/09/23 13:14)

# lovelovedog 『いやだから、「明らかにしたはずだ」の「はずだ」とか、ぼくのDNAとかはどうでもいいんで、要するに、「安仁屋政昭、石原昌家、嶋津代志(大城将保)、目取真俊、金城重明(自決生き残り)等」のかたがたの著作のどこに、「集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている」という記述があるかは、イッセイさんは知らないんですね。
また、「集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている」というのは、定説ではないんですね。
それだけ確認できれば十分です。どうもありがとうございました。それではまた、どこかでお会いしましょう。』 (2006/09/23 16:28)

とりあえず、以下の二つが本当に「定説」になっているか、証明されているかどうか知りたいと思いました。

日本人は強制されなくとも、我が子を殺す者もいるが、沖縄人は支配者による強制がなければ、肉親を殺すことは無い

「定説」に成っていると云う事は、この30年ほどに、沖縄内外の学者の実証的研究の積み重ねによって、『集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている』という事が証明されている事だ。

つい最近でも、沖縄ではこんな事件があったみたいですが、
乳児虐待死に懲役6年/那覇地裁沖縄支部:沖縄タイムス

乳児虐待死に懲役6年/那覇地裁沖縄支部
父親に判決「酌量余地ない」
 
昨年十月、生後約十カ月の二男の顔面を殴打するなどの暴行を加えて死亡させたとして、傷害致死罪に問われた父親の池味秀基被告(35)=沖縄市高原=の判決公判が二十四日、那覇地裁沖縄支部であり、平塚浩司裁判長は懲役六年(求刑同七年)の実刑判決を言い渡した。池味被告の弁護側は「被告の親族と相談の上、控訴を検討する」と話している。
 判決理由で平塚裁判長は「被告は被害者が自分に懐かないことに腹を立て、生後六カ月ごろから繰り返し暴力を振るっていた。犯行に至る経緯や動機に酌量の余地はない」と厳しく指摘。さらに「無条件で信頼できるはずの実父から執拗に暴行を受けて死亡した。誠に痛ましく、付近住民に与えた影響も軽視できない。犯行の結果は重大だ」と述べた。
(後略)

ただ、「少ない」ということは本当みたいです。
報道から見た児童虐待死、顕著な地域差…東工大チーム : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

最近11年間に明らかになった児童虐待死の都道府県別発生率は、北関東や大阪などで顕著に高いことが、東京工業大大学院・犯罪精神医学研究チームのまとめでわかった。
一方で、虐待死ゼロの県もあるなど地域差がみられ、研究チームは、地域事情を考慮したきめ細かな虐待対策が必要としている。
研究チームの影山任佐教授、安宅勝弘講師らは、1994〜2004年に地元警察などが虐待死と発表し新聞が報じた、0〜15歳の子供が被害者の事件293件について、その動機や加害者などを新聞報道から調べた。
都道府県別の発生件数が最も多かったのは、大阪府で41件。次いで埼玉(26件)、愛知(21件)、神奈川(20件)、東京(17件)と大都市圏が上位を占めた。徳島、高知、沖縄県はゼロだった。

ただ、これも『最近11年間」のデータなので、戦前・戦中・戦後すぐ、とかはどうなのかよくわかりません。「1994〜2004年」という調査のようですが、「2004年11月」に起きた「池味秀基(被告)」のデータが入っていないも原因がよくわかりませんでした。
(2006年9月23日記述)
 

「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(5)

これは以下の日記の続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060926/oota204
 
これは、沖縄タイムス5月1日〜6日(5日は休載)に掲載されました「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子)という、渡嘉敷島・赤松隊をめぐるテキストに、太田良博氏が応えたものです。
愛・蔵太の少し調べて書く日記:「沖縄戦に“神話”はない」
愛・蔵太の少し調べて書く日記:「「沖縄戦」から未来へ向って」
オリジナルは1985年5月11〜17日(12日は休載)、沖縄タイムスに掲載されました。
連載第5回です。

現在の世情を憂う
 
面倒だから簡略に答える。
エチオピアその他の悲劇は、世界平和体制の中の局地的な悲劇である。悲劇が世界的に拡がったのが第二次大戦である。その最後の本格的地上戦闘があった沖縄で、物を考えるということは、大戦を二度とあらしめないための営みであるという意味で、今日的であり、未来的でもある。沖縄からも開発青年隊の若者たちがアフリカ各地で二年、三年と活し、彼と彼女たちは帰ってくると沖縄で静かに活している。一週間そこらのエチオピア体験で、いきなり、地球的視野から、沖縄戦が四十年過去のものとしてかすんだり、責任をもつべき自著をめぐる論議がとるに足らないものになったり、戦争賛成平和反対に反対する運動が無意味に見えたりするとは、どういうことか。現在のことなら、心配すべきは、二本の世情である。まるで末世の状態ではないか。何日か前に、京都だったか、アパートの一室で、若い母親と幼児がミイラ化したのが発見され、餓死とわかった。「ある神話の背景」の冒頭に「慶良間は見えるがマツゲは見えない」(遠くは見えても目の前は見えない)という沖縄の諺の引用があるが、その諺を思い出してほしい。
「鉄の暴風」の中で、「赤松氏が沖縄戦の極悪人、それもその罪科が明白な血も涙もない神話的な極悪人として描かれていた」と曽野さんは言うが、どこにそんなことが書かれているか。また、曽野さんが引用した私の文章のどこが、どういう理由で「講談」なのか意味がわからない。
 
赤松の言葉に矛盾
 
▼私が会ったのは元村長古波蔵氏だけではない。そのことを前の反論に書いてある。あわてないで人の文章をよく読んで欲しい。元村長と言う重要証言者の名を、曽野さんと会ったときに私が憶い出さなかったのはおかしい、と曽野さんは言う。終戦直後の沖縄は、なにもかも転倒し、混乱していた。集った十数名の証言者の中止、特に「元村長」をくっきり記憶していなければならない特別の理由はなかった。私達取材者は、どの証言者も、その証言も、平等に重視していた。曽野さんと会ったのは、一時間そこら、その短かい時間に、二十数年経過した事柄について、いきなり聞かれたのである。これだけは、はっきり記憶しているべきはずだと言われても、それはムリな話。それに、私は物をよく忘れるくせがありましてな。取材を専業とする新聞記者の立場からみれば、曽野さんの言い分は、泣きベソのようにおもわれる。新聞記者は、取材でたえず失敗する。と言って、取材の相手を責めるわけにはいかない。取材の手落ちを反省するだけである。
▼私が「赤松の言葉を信用しない」と言ったのは「住民玉砕」(集団自決)や「住民処刑」についての彼の言葉が信用できないとの限定した意味で使ったのであって、ほかのことで、赤松が、一市井人として正直なことを言おうが、それは私とは関係のないことである。「住民玉砕」や「住民処刑」についての赤松の言葉にはいろいろ矛盾がある。
 
的はずれの解釈
 
▼赤松を「悪人とは思えない」と言ったおぼえはないと曽野さんは反論する。では、どう思って「ある神話の背景」を書いたのか。引用はさけるが、文芸春秋発行の同書の二十八ページ末尾から二十九ページの文章は、どういう意味か。--私が赤松を完ぺきな悪人に仕立てているというが的はずれの解釈である。私が問題にしているのは、当時二十五歳の青年だった赤松君(私より二歳若い)のことではない。陸軍大尉の官職をもち、国家権力を背景に、彼が無力な住民に対してとった行動そのものである。また、なにか木に生ったものを食べたといって老婆をリンチにかけたという、その部下たちの行為である。
▼戦後二十何年もたって、曽野さんが取材した証言を、私が無視している、失礼ではないかという話だが、私はその証言を無視したおぼえはない。どの証言であれ信用すべきかどうかを判断するのは私の自由である。ただ、戦後四年、「鉄の暴風」に収録した、戦争の生々しい証言に信をおいているだけである。また、これからでも、私が取材したらどんな証言がとび出すかわからない。曽野さんは、ご自身の取材した証言に私が同意しないからと、それを失礼と言っているが、私に「分裂症」という言葉を投げたことは、失礼とは思っていないらしい。
渡嘉敷島の村や遺族会が出した二つの記録は、いずれも、「鉄の暴風」のなかの私の文章の引き写しで、著作権侵害になる、盗作だと、曽野さんは言うが、私は、それを否定する。私の文章には、創作性がみとめられるほどのものはほとんどない。また、被害者で原告であるはずの当の私が、そういうのだから問題にならない。ご主人が長官である文化庁著作権課あたりにきいたらよい。しかし、「ある神話の背景」はうかつに引用できまい。創作性ありとみとめられる部分が各ページのいたるところにあるからである。

こういう「何も経験していない人間が、戦争や沖縄のことを話すな」と言われると、何も話せなくなるのは確かですね。「その経験はどこまで本当なのか」ぐらいしか言うことはありません。
ここで言われている「開発青年隊」は「沖縄開発青年隊」のことだと思いますが、
沖縄開発青年隊
「アフリカ各地」でどのようなことをしたのか、また実際に沖縄から行った人がいるのか、は確認できませんでした。あるいは他の団体かも知れませんが…。
曽野さんが「講談」として引用した、『鉄の暴風』の箇所は以下の通りです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060919/sono02

太田氏は次のような書き方もしたのだ。
「住民は喜んで軍の指示にしたがい、その日の夕刻までに、大半は避難を終え軍陣地付近に集結した。ところが赤松大尉は、軍の壕入り口に立ちはだかって『住民はこの壕に入るべからず』と厳しく身を構え、住民たちをにらみつけていた」
こういう書き方は歴史ではない。神話でないというなら、講談である。

「講談」の定義が難しいのですが、
講談 - Wikipedia

講談は題材に注釈を付けて語る話芸である。

この定義だと曽野綾子さんの言う「講談」とは少し外れるかな。まぁ「歴史」の定義がこうなので、
歴史 - Wikipedia

歴史(れきし)とは、人間社会の出来事を、時間・空間的な分析を行い、因果関係を持って記述した史料。より広い意味では、出来事そのものを指す。

「史料」的要素の少ない(事実関係がうまく確認できない)、フィクション的要素の強いテキスト、という言いかたをぼくならするかもしれません。
「それに、私は物をよく忘れるくせがありましてな。」というのは困った告白ですが、人間なのでしょうがないことです。そういう自覚があるようなら、曽野さんが書いたテキストを「記憶とチェックして追記することがあるかもしれないので、校正段階で見せたりいろいろして欲しい」と言っておくとよかったのでは、と思いますが、それについては、したのかしないのかは未確認なのでした。
『ある神話の背景』の「文芸春秋発行の同書の二十八ページ末尾から二十九ページの文章」は、原本が手元にないため、具体的にどの箇所なのか確認できませんでした。改題の『「集団自決」の真実』のほうなら持ってるので、ちょっと調べなければならない課題なのです。
「なにか木に生ったものを食べたといって老婆をリンチにかけた」という記述は、『「集団自決」の真実』のほうでは確認できなかったので、『鉄の暴風』にある記録なのかな。これも調べなければならない課題なのです。
曽野綾子さんが太田良博さんを「失礼」と言ったのは、以下のテキストです。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060921/sono04

彼らは集団自決のことに関しても、実に正確に、理性的に、あるがままを私に語った。はっきりしないことははっきりしないこととして、その間を見てきたような話でつなげたりはしなかった。しかしそのような人々の発言を、太田氏は全く無視する。それはあまりに失礼な態度ではないのだろうか。

 
「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)リンク
1:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060923/oota201
2:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060924/oota202
3:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060925/oota203
4:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060926/oota204
5:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060927/oota205
 
なお、曽野綾子『ある神話の背景』は現在、『「集団自決」の真実』という題名で復刊され、新刊書店・ネット書店で手に入れることができます。
『「集団自決」の真実』曽野綾子・ワック)(アマゾンのアフィリエイトつき)
『「集団自決」の真実』曽野綾子・ワック)(アマゾンのアフィリエイトなし)
 
これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060928/oota206