(8)関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(8回目)(2003年9月11日)
今日は、いわゆる「金承学調査書」に掲載されてます虐殺された朝鮮人の数(最終的な数字は「6641名」になっている奴)を細かく見ていきたいと思います。通説としての「6000名」というのはご存じの人は多いと思いますが、その数字の出どころがいささか、資料・史料(証拠)と呼ぶにはもう少し調査した人に頑張ってもらいたかったな、と思うようなものであることは前にも述べた通りです。
そもそも、誰かが何か、犯罪を犯したということでその対象者を責める、あるいは法によって裁かせるためには、「被害者・犯人・証拠(証人)・犯罪がおこなわれた具体的な日時」の4つがなければ無理です。この虐殺事件に関して、その4つが完全に揃っているデータは、どうも存在しないみたいです。比較的ましなのは、司法省の「死者233名」というデータ(被害者の具体名が一部欠如)と、金健氏によるプロパガンダのアジビラ「虐殺」に掲載された「死者3684名」というデータ(匿名ではありますが、証人の名前が明記)のほうでしょうか。後者についてはあまり語られている資料は多くないみたいですが、この中の「羽田付近2000名」という、「国民新聞社の実地調査公表」を除くと2000名に満たない数字になるので、かなり信用してもいいようなデータなんじゃないかと個人的には思えてきます。
今日はめちゃくちゃ大変だったんですが、「金承学調査書」中のデータを、3つの資料を基にテキスト化してみました。数字の「A」は、『現代史資料・6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房)掲載の元資料、「B」は同じ資料の中の「虐殺」(金健)を引用している部分に添付してあった資料、「C」は『新版・関東大震災・虐殺の記録』(姜徳相・青丘文化社)に掲載された資料を基にしています。データそのものは3つに分かれています。まず、「死体未発見数」から。
いきなり計算あわないんですが。各資料のデータは、たとえば「大島8丁目」が105名だったり150名だったり微妙に違ってるんですけど(違いのある数字は「※」で分かるようにしてみました)、合計はどれも「3240名」。正確な計算では150名ぐらいの差が出てます。朝鮮の人は総計の出し方を知らなかったのでしょうか。たとえそうだとしても、資料をまとめた人は注釈で「ちゃんと計算すると○○名」ぐらいのことを言っておけばいいと思います。
1・死体未発見数
被殺地 被殺人数A 被殺人数B 被殺人数C 亀戸 100 100 100 小松区内 27 1※ 亀戸停車場前 2 2 2 大島6丁目 26 26 26 大島7丁目 6 6 6 大島8丁目 105 150※ 150※ 小松川付近 2 2 20※ 小松川区域内 1※ 小松川区域内 26※ 三戸地 27 27 27 三戸地付近 32 32 32 亀戸警察署演武場 36 86※ 亀戸警察署練兵場にて
騎兵十三連隊少尉田村将校86※ 白鳥 43 向島 43※ 43 寺島請地 14 14 14 平井 7 7 7(元テキストは「平川」) 清水飛行場郊外 27 27 27 八千代 3 2※ 2※ 寺島署内 14 14 14 月島 11 11 深川 4 4 4 埼玉県北葛飾郡早稲田村幸房 17 17 17 品川停車場 2 2 2 栃木県東那須野 1 1 1 宇都宮 3 3 3 芝公園 2 2 2(元テキストは「埼玉県芝公園」) 埼玉県熊谷 60 60 60 埼玉県本庄 63 63 63 千葉県船橋 37 37 37 千葉県法典村、塚田村 60 60 60 千葉県南行徳 3 3 3 千葉県流山 1 1 1 千葉県佐原 7 7 7 千葉県馬橋 3 43※ 3 群馬県藤岡警察署 17 17 17 埼玉県寄居 13 13 13 埼玉県妻沼 13 14※ 14※(元テキストは「妻治」) 東京府下管内中野 1 1 1(元テキストは「東京府下」のみ) 東京府下世田谷 3 3 3 東京府中 2 2 2 千葉市 37 37 37 成田 27 27 27 浅草区吾妻橋付近 80 80 80(元テキストは「浅草」のみ) 埼玉県神保原 25 25 25 赤羽岩淵(工兵による) 1 1 1 埼玉県大宮 1 1 1 波川 2 2 2 我孫子 3 3 3 長野県と埼玉県の県境 2 2 2 荒川区域内 100 100 100 荒川付近 17 17 17 馬橋 3 3 3 東京市内千住 1 1 1 千住区域内 26※ 神奈川県 1795 1795 1795 合計 3240 3240 3240 正確な計算による合計 2885 3023 2990
それ以外にまず怪しいのは、東京・千葉・埼玉などが、具体的な地名を挙げて「○名」としているのに、神奈川県だけは一からげで「1795名」としてあるところでしょうか。次に挙げる「死体発見数」における神奈川県の(神奈川県の、それも横浜周辺のみと言ってもいい)正確さとはうらはらです。俺はこのデータにおける「神奈川県」部分のデータは無視してもかまわない(無視されてもしかたない)と思えるぐらいの曖昧・大雑把すぎるデータだと思います。
では次に、実際に調査員が死体を見た数。
ご覧の通り、ここでも「正確な計算による合計」は100名程度の差があります。ですが資料部分の総計の誤差は2名。違いが出た原因は、ほとんど「久良岐郡金沢村」の数字にあります。
2・死体発見数
以下に記録するのは死体を発見した同胞であるがその数は1500人に達する。特派員が実地で見たのは1167人で、その余の333人は現在調査中。
被殺地 被殺人数A 被殺人数B 被殺人数C 神奈川県浅野造船所 48 48 48 神奈川警察署 3 3 3 土方橋より八幡橋まで 103 103 103 中村町(中村橋?) 2※ 2※ 山手本町立野派出所 2 2 2 本牧 32 32 32 若屋別荘 10 10 10(元テキストは「若尾別荘」) 根岸町 35 35 35 山手町埋地 1 1 1 御殿町付近 40 40 40 程谷(保土ヶ谷) 31 31 31 井土谷 30 30 30 新子安町 10※ 10※ 由子安町 10※(このような地名があるのかは不明) 新子安町神奈川駅 150 150 150 神奈川鉄橋 500 500 500 久良岐郡金沢村 123 12※ 12※ 川崎 4 4 4 戸部 30 30 30 水戸鴨山 30 30 30(元テキストは「水戸上鴨田」) 東海道茅ヶ崎駅前 2 2 2 鶴見 7 7 7 久保町 40 30※ 30※ 津間町 40 40 40(元テキストは「浅間町」) 習志野軍人営廠 13 13 13(元テキストは「習志野営林廠」) 以上合計 1167 2256 1165 以上累計 4407 4405 4405 正確な計算による合計 1274 1175 1165 正確な計算による累計 4159 4198 4155
この数字は、『関東大震災時の朝鮮人虐殺』(山田昭次・創史社)によると、在日本東京朝鮮基督教青年会総務の崔承万(チェ・スンマン)氏によるものらしいです。おまけに当時の川崎・横浜に関する虐殺のデータはどうもこれしかないみたいです。このデータを信用するかどうかは微妙ですが、俺は「神奈川鉄橋」の500名という数字を除いては、信じるに値するデータだと思います。俺には500名の死体と、誤差プラスマイナス200名の死体(700〜300名の死体)との区別がつきそうにないからです。たとえば軍人として、それなりの訓練をしている人なら別でしょうが…。
最後に、「各県からの報告」。
これはもう、こんなの載せてもしかたないのでは、と思えるようなデータです。情報提供者も不明で、具体的にどこで何人ぐらい虐殺されているかも、県名以外は不明という。これをプラスして(2000名以上!)、「総計6661名というのが、虐殺された朝鮮人の数として正しい数字」と言われても、人のいい日本人、あるいは元資料をあたろうとしない日本人・韓国&朝鮮人以外の誰が信じるでしょうか。
3・各県よりの報告
左記の第一次調査を終了した11月25日に再度各県から寄せられた報告は左(下)のようである。
被殺地 被殺人数A 被殺人数B 被殺人数C 東京府 752 752 752 神奈川県 1052 1052 1052 群馬県 17 17 17 茨城県 5 5 5 千葉県 133 133 133 埼玉県 293 293 293 栃木県 4 4 4 以上合計 2256 2256 2256 被殺者総合計 6661 (記載なし) 6661 正確な計算による合計 2256 2256 2256 正確な計算による累計 6415 6454 6411
俺は、資料のデータ的な不備を大目に見て、極力人数を多めに見ても、「1」のデータから「神奈川県」に相当する部分を抜き、「2」のデータから「神奈川鉄橋」を除いたものをプラスして、1200+700で、2000名程度が虐殺の正確な人数に近いと思います。
従って、たとえば教科書に記述する場合は、
というような表現が妥当かと思われます。
関東大震災では朝鮮人が、日本人の自警団により300名以上虐殺された。また警察・軍隊などによりその数倍にも及ぶ犠牲者が出たという目撃者の証言などもある。
今まで読み続けてこられたかたは飽きたかもしれませんが、気が向いたらまた続けます(一応終了)。