今日の「天声人語」(朝日新聞)

↓2003年7月22日づけ
http://www.asahi.com/paper/column20030722.html


 少年、少女をめぐる事件が続くなか、ある小説の主人公の姿が脳裏を行き来してやまない。森鴎外の小品「最後の一句」(1915年)に出てくる少女、いちである。いまでいえば中学生の年頃だろう。

 江戸中期の大阪が舞台である。父親が死罪になるという前日の早朝、長女いちが妹と弟を連れて奉行所に父親の命乞(いのちご)いに行く。徹夜で書いた願書(ねがいしょ)には「お父っさんを助けて、その代りにわたくしども子供を殺して下さい」と。

 「帰れ帰れ」と門前払いされた。弱気になる妹を叱(しか)りつけながら、いちは奉行所の前にしゃがみ込んで訴えをやめない。そして奉行所の調べを受けるところまでたどりついた。奉行が問う。身代わりになるとすぐ殺されて父親の顔を見ることができないが、それでもよいか、と。「よろしゅうございます」と、いち。

 結局、父親は死罪を免れ、いちらにもとがめはなかった。孝行娘の美談風だが、それにとどまらない。現代の風景と対比させたくなる点が多々ある。たとえば母親である。ぐちばかり言って無気力な母に相談しても意味がないことを長女は見抜いている。奉行所でも「親が出てこい」と言われるが、いちは取り合わない。

 大人たちから少女はこんなふうに見られる。「しぶとい奴(やつ)」「上(かみ)を恐れん」「情の剛(こわ)い娘」「生先(おいさき)の恐ろしい」などである。このごろ聞く機会の少なくなった形容の言葉だ。

 「さらしものの上、打ち首」寸前の父親を、身代わりになって救おうとした少女の姿は、現代の少女にはどう映るのだろう。あまりに遠い話だろうか。

森鴎外最後の一句」は、青空文庫に入っているので、こちらで読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/687.html
天声人語の人は、最初と最後の段落に、いささか中学生の読書感想文を思わせるようなコメントをつけているだけで、あとはほぼその小説のあらすじでしょうか。
まぁ、普通の人は森鴎外のこの小説に、「いまでいえば中学生の年頃」という以外には昨今の「少年、少女をめぐる事件」との共通点は見いだせないと思うんですが…。「最後の一句」は、父親の罪を少女が身代わりする(身代わり申請する)、という話で、長崎の少年は罪を犯した人間、東京(稲城)の少女は犯罪の被害者なので、「罪を犯した人間」の身代わりを言うポジションではありません。
おまけに、「最後の一句」の、肝心の最後の一句天声人語の人は、どうして引用してないのか不明です。
↓これがそうなんですが

「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞屆けになると、お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顏を見ることは出來ぬが、それでも好いか。」
「よろしうございます」と、同じような、冷かな調子で答へたが、少し間を置いて、何か心に浮んだらしく、「お上の事には間違はございますまいから」と言ひ足した。
この、「お上の事には間違はございますまいから」という一句が、実は娘の「孝」の心であると同時に、体制(裁判)批判というか、当時の国家権力批判にもなっているという、森鴎外の「近代」を背負った文学作品としての意味があるわけですが、天声人語の人の「作品紹介」では、単なるすごい精神の孝行娘に見えるだけです。
また、「父親」がなぜ死罪を命じられたのか、という理由(どんな罪だったのか)も語られていないんですが、それは実は以下のような罪です。

 桂屋にかぶさつて來た厄難と云ふのはかうである。主人太郎兵衞は船乘とは云つても、自分が船に乘るのではない。北國通ひの船を持つてゐて、それに新七と云ふ男を乘せて、運送の業を營んでゐる。大阪では此太郎兵衞のやうな男を居船頭と云つてゐた。居船頭の太郎兵衞が沖船頭の新七を使つてゐるのである。
 元文元年の秋、新七の船は、出羽國秋田から米を積んで出帆した。其船が不幸にも航海中に風波の難に逢つて、半難船の姿になつて、積荷の半分以上を流出した。新七は殘つた米を賣つて金にして、大阪へ持つて歸つた。
 さて新七が太郎兵衞に言ふには、難船をしたことは港々で知つてゐる。殘つた積荷を賣つた此金は、もう米主に返すには及ぶまい。これは跡の船をしたてる費用に當てようぢやないかと云つた。
 太郎兵衞はそれまで正直に營業してゐたのだが、營業上に大きい損失を見た直後に、現金を目の前に並べられたので、ふと良心の鏡が曇つて、其金を受け取つてしまつた。
 すると、秋田の米主の方では、難船の知らせを得た後に、殘り荷のあつたことやら、それを買つた人のあつたことやらを、人傳に聞いて、わざわざ人を調べに出した。そして新七の手から太郎兵衞に渡つた金高までを探り出してしまつた。
 米主は大阪へ出て訴へた。新七は逃走した。そこで太郎兵衞が入牢してとうとう死罪に行はれることになつたのである。
これって、要するにいまでいう「詐欺罪」なんで、この物語から連想されるのはむしろ埼玉県知事の土屋義彦とその娘や、辻元清美元議員だと思います。殺人や監禁というような単純な犯罪ではありません。で、最後はどうなるかということも、天声人語の人は少しだけ曖昧にしています。

 城代も兩奉行もいちを「變な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑いてゐるのではないかと云ふ迷信さへ加はつたので、孝女に對する同情は薄かつたが、當時の行政司法の、元始的な機關が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。桂屋太郎兵衞の刑の執行は、「江戸へ伺中日延」と云ふことになつた。これは取調のあつた翌日、十一月二十五日に町年寄に達せられた。次いで元文四年三月二日に、「京都に於いて大嘗會御執行相成候てより日限も不相立儀に付、太郎兵衞事、死罪御赦免被仰出、大阪北、南組、天滿の三口御構の上追放」と云ふことになつた。桂屋の家族は、再び西奉行所に呼び出されて、父に別を告げることが出來た。大嘗會と云ふのは、貞享四年に東山天皇の盛儀があつてから、桂屋太郎兵衞の事を書いた高札の立つた元文三年十一月二十三日の直前、同じ月の十九日に、五十一年目に、櫻町天皇が擧行し給ふまで、中絶してゐたのである。
つまり、当時の天皇に関するイベントによる恩赦減刑になったということなんですが…朝日新聞的にはこんなんでもいいんですか。詐欺で身柄を拘束された人間(まぁ今だといくら大金でも詐欺で死刑にはならんでしょう)に対して娘が異義を申し立てて、恩赦で減刑というキャラクターを、そんなに簡単には、朝日新聞的には許さないと思います。
何も考えないで「少女と事件」というだけで、妙なことが「脳裏を行き来」するような体質だから、元テキストのテーマと文脈をある程度確認できるような素材を使うと、恣意的な引用(切り張り)で都合のいいようなやりくりをしているな、とボロが出てしまうのでは。
↓前にも「悪態」の件で天声人語のテキストを批判したことがありましたが
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030630#p1
やはりこれも「政治家の失言報道」と同じく、「本当はなんといっているか」といった、元テキストおよびその文脈をちゃんと当たらないといけない我田引水テキストというところでしょうか。