料理人のフランス語の先生

『帝国ホテル厨房物語』(村上信夫日本経済新聞社)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ)より引用。(p67)


 総料理長の部屋へ行くと、各部署ごとにフランス語で書いたメニューが置いてある。これを書き写す当番が定期的に回ってくるが、意味がわからないどころか、書けないから、同じ年代の修行仲間に代わってもらう。代償は「待て番」。調理場が一段落する午後二時から四時は休憩時間で、この時間帯に若手は残って、仕込みの準備や雑用をこなす。メニューを写してもらう代わりに、二時間の労働では割に合わない。一念発起してフランス語を習い始めた。
 アテネフランセで学んだのち、フランスに留学、ミステリー作家で料理にも造詣が深かった片岡受安という人が当時、新橋のビルの一室でコックを集めてフランス語教室を開いていた。フランスに駐在した経験がある外交官の奥さんが、手づくりの教材を提供してくれていた。講習料も格安で、こぢんまりとした教室だった。
で、ここに出てくる「片岡受安」さんが日影丈吉さんなわけです。昔、フランス料理を出している店に氏が行くと、どの店でも料理長が「先生」と日影丈吉氏のところに挨拶に来たそうで、事情を知らない若い料理人や給仕などは驚いていたらしい。