芥川龍之介による「桃太郎」は、日本の軍国主義とかの批判なのかどうか

続きです。
↓過去テキストは以下のところ
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030724#p2
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030730#p1
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030731#p1
さて、芥川龍之介「桃太郎」に関する解釈、および本人の記述については以下のテキストがあります。
1・芥川自身による、「僻見」というタイトルで「女性改造」という雑誌に1929年(大正13年)3月号から9月号に掲載されたもののうち、「岩見重太郎」という章の中の一節(これはhttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030731#p1で引用ずみ)
2・『桃太郎像の変容』(滑川道夫・東京書籍・1971年)中における、芥川の小説の解釈
3・『特派員芥川龍之介』(関口安義・毎日新聞社・1997年)中における、芥川の小説の解釈
4・「「歴史の粉飾」批判した芥川に可能性託したい」という、毎日新聞の記事(これは記事そのものが残っています。http://www.mainichi.co.jp/eye/hito/200208/30-1.html
5・2003年7月24日づけ天声人語における、芥川の小説の解釈(これはhttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030724#p2で引用ずみ)
以上の5つのテキストのうち、2と3をインターネットで読める形にテキスト化しないと俺の論が立たないんで、やることにします。
で、2〜4を読み比べてみるうちに、驚くべきことがわかりました。
まず、『桃太郎像の変容』より引用。p259-260。


 桃太郎噺の骨格を踏まえてはいるが、パロディとして創作している。
 最初と最後に、桃源郷の桃の木を配して、桃の実の核に、無数の未来の天才が眠っているという悠久の時間を設定したところに芥川らしい着想をみることができよう。これがこの小説の見どころであるだろう。鬼を平和愛好者に仕立てて、桃太郎を侵略者として諷刺したのは芥川が最初のようである。「風刺性」と「逆説性」とが密着して、芥川文学の重要な要素の一つになっている。しかし、出陣も、犬・猿・雉子を家来にするところも、戦闘場面も、後日譚ふうに鬼の復讐と鬼族の独立準備も、単なるお話づくりに終わっているように思われる。芥川の才筆と知的饒舌で文学的に装われてはいるが、「お話」が正体になっているようである。後年谷崎潤一郎と、話のある小説とない小説との優劣について論議をしているが、この「桃太郎にはまさに「お話」が、かれの逆接の論理によって語られている。
芥川「桃太郎」のテキストを見ればおわかりの通り(http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card100.html)実は桃太郎は無数の桃が実っている桃の木の、ただの一つの実なのですね。芥川的な、確かに実に諧謔的(風刺的)な解釈による発端で、実は冒頭から「このお話はメインがパロディである」と宣言しているようなものでしょうか。
この本の著者による芥川「桃太郎」の解釈・分析はとてもまともです。
次に、『特派員芥川龍之介』より引用。p102-104。

 右の文章に見られる章炳麟のことば(引用者注:「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である。桃太郎を愛する日本国民にも多少の反感を抱かざるを得ない」ということば)には、日本人に対するきびしい見方がある。ここには侵略者桃太郎(日本人)というはっきりとした指摘がある。日本の植民政策、さらに言うならば日本帝国主義が糾弾されているのである。芥川龍之介はそれを鋭く察知し、そこに心理が宿るのを見抜くのであった。
これは、芥川龍之介の元テキストを読まない人間にたいするイメージ操作的文章、さらに言えば「イデオロギーのために元テキストを歪めた解釈」だと俺は思います。この本の著者である関口安義氏は、俺の判断では、章炳麟氏が言ったことの解釈は間違ってはいないと思いますが、それを聞いた芥川龍之介が何を思ったか、については完全に誤読しています(このあたりについては、俺の日記のhttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030731#p1をご覧ください)。無意識的な誤読というよりは、氏の引用の方法を見る限りでは、読者に対する故意の「誤誘導」に近いかもしれません。これについては後述します。
引用を続けます。

 中国旅行から帰って三年後、龍之介は「桃太郎」(『サンデー毎日』1924.7.1)という小説を書く。勃興するプロレタリア文学に刺激されての執筆であった。前掲の「僻見」とほぼ同じ時期に発表されていることにも注意したい。章炳麟に示唆されての桃太郎観が脈打つ作だ。
まず、「僻見」に関してなのですが、これ、そもそも「勃興するプロレタリア文学」による刺激などはありません。まぁ、芥川龍之介手塚治虫なみにいろいろなものから影響を受けやすい人であることは事実なんで、私小説自然主義小説)とかプロレタリア文学とか、いろいろなものの影響を感じるような小説は、その時代時代に応じて確かにありますが。しかし、「章炳麟に示唆されての桃太郎観」って、それではまるで「日本の植民政策、さらに言うならば日本帝国主義」を糾弾するような桃太郎を書いたみたいな言いようですね。
なお、芥川龍之介プロレタリア文学に対する感情というか考えを示したテキストも手元にあるので、引きつづき入力してみます。実に諧謔的でいい文章ですよ。
引用を続けます。

 芥川龍之介の小説「桃太郎」の舞台である鬼の住む島は、絶海の孤島であり、「椰子の聳えたり、極楽鳥の囀ったりする、美しい天然の楽土」である。鬼たちは平和を愛し、誰に迷惑をかけることもなく、「琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり」して安穏に暮らしている。鬼の妻も人間の妻や娘と変わらない生活を送っていた。桃太郎はこういう罪のない人々の住む鬼が島に、何の理由もなく攻め入り、「鬼に建国以来の恐ろしさを与へた」のである。
「進め! 進め! 鬼といふ鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまへ!」と桃太郎は鬼の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬、猿、雉に号令する。忠勇無双の兵卒と化した飢えた三匹の動物は、逃げ回る鬼を追い、犬は鬼の若者をかみ殺し、雉は鬼の子供を突き殺し、猿は「鬼の娘を絞殺する前に、必ず陵辱を恣にした」----桃太郎はまさに帝国主義日本の戯画になっているのだ。
この部分は芥川「桃太郎」の内容紹介ですが…あれ…?
芥川「桃太郎」をパロディとしてレベルの高いものにしている(と俺は解釈している)「桃太郎の起源」と「鬼の後日談」がこの引用では欠如しています。これではこのお話が、ただの「帝国主義日本の戯画」にしか見えないではありませんか。
うーむ、イデオロギーな人の「真実の一面だけを自分の都合のいいように見せる」という手が、ここでも使われているような気がします。
俺が何度も何度も何度も何度も、誰かが何かを言った場合はとにかく元テキストに当たれ、そうすれば真実が見えて来る、さらに、元テキストに当たれないようなテキストの引用のしかたをしている人間が何を言っても、それは真実のすべてではないと思え、と、口が酸っぱくなるほど言っているのは、イデオロギーな人や、少しイデオロギー入っている人の「嘘は言っていないが、本当は何と言っていたのかに対して隠したがる」という悪癖が、もうとにかく嫌になっているからなんですが…。
引用を続けます。

 はやく福沢諭吉の「ひびのをしえ」(1872.10起筆)に、桃太郎を論じて「ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、ももたろふは、ぬすびとともいふべき、わるものなり」とあったが、芥川「桃太郎」はまさに「わるもの」なのである。滑川道夫に「桃太郎を侵略者として諷刺したのは芥川が最初」(『桃太郎像の変容』東京書籍、1971.3)との指摘がある。また中村青史に「後の日中戦争時の南京事件をも預言的に表現したもの」(「『桃太郎』論」『方位』第四号、1982.3)との評もある。
 また最近の桑原三郎『福沢諭吉と桃太郎』(慶応通信、1996.2)は、芥川「桃太郎」を「我儘勝手な侵略者で、鬼ケ島で非道な侵略をしましたから、その後、鬼たちの報復により落ち着いた日々を送れなくなるという救いのない、屈折した結末で、ある意味で、日本の軍国主義の末路を象徴するような短篇」と、とらえている。
この部分は「○○が××と言った」という、テキスト解釈に関する複数の人の論の引用ですが…あれ…?
滑川道夫の論の引用として、この部分は果たして適切でしょうか。俺の引用をご覧になればおわかりのとおり、「芥川らしい着想」は、「桃太郎を侵略者として諷刺した」部分ではないんですが…。
こうなると面倒ですが、福沢諭吉・中村青史・桑原三郎の各氏もまた「本当は何と言っていたのか」について調べてみたくなりますよね。
引用を続けます。

 一九二〇年代半ばにこのような桃太郎像が刻まれていたことは、特筆に値する。もはや言うまでもなく、ここには「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である」という章炳麟の弁舌が響いている。上海のフランス町で聞いたこのことばは、龍之介には簡単に忘れ去ることのできない重い意味を持っていた。芥川「桃太郎」は、後章で取り上げる「将軍」とともに、初期プロレタリア文学として位置づけてよいものだ。その誕生は、中国旅行、そして章炳麟との出会い抜きには考えられないのである。
これなどはもう、ワンセンテンスごとに「んなことないって」「響いてないって」「位置づけちゃダメだって」と、ツッコミを私的に入れたくなる文章ですね。いや、確かにイデオロギーな人は別に「初期プロレタリア文学」という解釈を、「将軍」と一緒にしちゃったってかまわないですよ。なにしろ1960年代には、トールキンのファンタジー指輪物語』の指輪を「核兵器」として解釈し、サウロンを「悪の帝国の人(スターリン?)」として、イデオロギー的に読んだ、なんて人もいたぐらいらしいので、いかなるものでも「あ、それって○○文学」というような解釈は可能です(困ったことに、C.S.ルイスル=グィンのように、本当にファンタジーを思想伝達のために書いた作家がいたりするので話がややこしくなります。まぁこれは余談)。しかしそういうことやってる時点で「こいつは芥川龍之介がどういう作家なのかわかってない人」と俺には見えてしまいますが。
しかししかし、まだ実は『特派員芥川龍之介』の著者・関口安義氏はましなほうで、毎日新聞に記事として出て来る「チョ・サオク」氏のテキスト解釈には開いた口が塞がりませんでした。

『桃太郎』を侵略者として批判したのは、芥川が最初の人でした。日本と韓国が歴史認識でこじれる時、私はいつも芥川に解決の可能性を託したくなるのです
いやはやそうですか。
滑川さんは「桃太郎を侵略者として諷刺したのは芥川が最初のようである」としか言っていないし、関口安義氏もそのようにしか言っていないんですが。でもって、「諷刺」と「批判」とは全くの別モノなんですが。おまけに「最初のようである」という推定を「最初の人でした」と断言してるし。芥川龍之介が何かを「批判」するとするならそれは多分「諷刺」的視点を許さない真面目一方の文学(プロレタリア文学みたいなもの)に対してだと、まともな芥川龍之介の研究者なら思うんじゃないでしょうか。
まぁ、半島の人には半島の人なりの、解釈の理屈が多分あるんだろうな、と可能な限り好意的に思うこともできますが、それをさらに上回る天声人語の人の「その少し前、彼は中国旅行をした。そこで出会った知識人に「最も嫌悪する日本人は桃太郎だ」と言われ、虚をつかれたようだ。その衝撃が桃太郎像の転倒につながったのだろう」という、何を言いたいのか意味不明の駄文に対しては、どうやったら好意的な解釈ができるのか皆目見当がつきません。
 
これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030823#p2