宮崎駿のアニメで見たいグレン・カーチスの大飛行とウィニング・フライト

これは、『ライト兄弟の秘密』(原俊郎・叢文社)という本に出ていたテキストです。
『ライト兄弟の秘密』(原俊郎・叢文社)(amazon)
初期の飛行機の話では一番有名なのはもちろんライト兄弟なんですが、実は一番成功した人は、このグレン・カーチスという人で、性格的・人格的にもライト兄弟が「ちょっと変わった天才」という感じなんですが、カーチスは「苦労する秀才」という感じで、なんかとてもいい人だったみたいです。
宮崎アニメ好きには『紅の豚』で、主人公のポルコ・ロッソと競争するアメリカ人の飛行機乗り・「ミスター・カーチス」のイメージがあると思うんですが、実物のカーチスさんはもっと全然かっこいいわけです。
まず、1878年に生まれたグレン・カーチスは、父親を四歳のときに亡くし、九歳のときには三歳下の妹が聴覚障害になります。そんな恵まれない家庭環境に育ったカーチス少年が、勉強もろくにしないで熱中したものは自転車。当時流行の乗り物、ということで、彼は自転車少年だったんですね。
ハイスクール卒業後、カーチス少年はイーストマン・コダック社に入社して、フィルムの量産方法などを考案したりもするんですが、自転車に乗りたくてエスタン・ユニオン(郵便公社)に転職します。そして自転車を乗り回していたところを自転車のレーシング・チームにスカウトされてレーサーになります(ここで「町中を自転車でつっ走りながら郵便配達をするカーチス少年」を宮崎アニメ絵で想像するのだ。エピソードとかもね)。
で、『ライト兄弟の秘密』p79

十九歳のある日、ロチェスターとハモンズポート間の約七十マイルをサイクリングの途中、咽が乾いて耐えられなくなり、自転車を降りると葡萄畑に可愛い女の子レナがあらわれて彼に水をのませてくれる。やがてレナと結ばれるくだりはまるで映画のラブストーリーのように伝えられている。

(太字は引用者=俺)
ここで宮崎アニメのヒロインが登場です。このあたりのカーチス少年は、『ラピュタ』の袖まくったバズーのイメージで(本当はもう少し年齢は上ですが)。
その後、カーチスは、レーシング・チームの出資者の一人から自転車屋の権利を譲ってもらって、自分でデザインした自転車を売るようになり、さらに「発動機」つきの自転車、要するにオートバイまで売るようになります。そのエンジンをどんどん改造・自作したりしているうちに、オリジナルのエンジンを作る会社(カーチス製造会社)に、その自転車屋はなってしまいます。
そのエンジンはやがて、出力の大きさと重量の小ささから、飛行船の研究者が注目するところとなり、航空機とカーチスさんの結びつきが生まれ、それが「自作飛行機」にまでつながるわけですね。
 
ここで水差しからコップに水を移して少し飲みまして。
 
ニューヨークと言えばマンハッタン、マンハッタンと言えばハドソン河。そのハドソン河の名前は何に由来しているかというと、ニューヨークの州都であるオーバニー市まで川を遡って探検したヘンリー・ハドソン船長です。それから300年後の1909年9月〜10月、そのヘンリー・ハドソンと、「はじめて汽船でそのルートを辿った」というロバート・フルトン(1807年)を記念して、「ハドソン=フルトン祝賀祭」が開催されました。
その記念イベントとして州の行事担当者は、「祝賀飛行」という、飛行機のフライトによる企画が可能かどうかを検討・打診してました。その話を聞いたニューヨーク・ワールド社は、「ハドソン=フルトン祝賀祭」の開催中に、ニューヨーク市からオーバニー市まで飛行した者に前代未聞の賞金一万ドルを授与する、と発表しました。日本円に換算すると○億円ぐらいかな。
それとは別に、祝賀飛行にはグレン・カーチスとウィルバー・ライト(ライト兄弟の一人です)が招かれ、結論から言うとカーチスの完敗に終わり、とはいえ期間中に「賞金一万ドル」を得ることができた飛行士は誰もいませんでした。
そして、その賞金つきフライトは、期間が一年延ばされ、1910年の10月10日までとなり、以下の条件がつけられました。p126-127

1・ニューヨーク向き、オーバニー向きどちらの方向でもよい。
2・二十四時間以内に達成すること。
3・ニューヨーク市、オーバニー市の市内なら何処からでも出発してもよいし、何処を目的地としてもよい。
4・飛行の途中で、給油などのため二回の着陸は許される。

さて、この挑戦を受けてカーチス青年、でもないかな、もう30代前半なのでカーチス親父は、十分な下調べをしたうえで、その特別なフライトのために作った「オーバニー・フライヤー」という専用機を用意します。ちなみにニューヨーク〜オーバニーの距離は川沿いに一直線で約240キロ、東京から浜松ぐらいまでの距離でしょうか。けっこう長いですね。
 
あとはせっせと元テキストの引用なのです。p128-

風の穏やかな日を待って、五月二十九日、日曜日の朝七時三十分、カーチスはオーバニーを離陸した。
ワールド社のライバルであるニューヨーク・タイムズ社は汽車をチャーターして記者団を乗り込ませ、飛行機と並走した。タイムズ社は主催者側であるワールド社よりもこのイベントの報道に意欲的だった。汽車にはカーチスの支援者と共に、妻のレナが乗っていた。カーチスは汽車の窓から手を振っているレナの姿が見えた。カーチスは高度を約三百メートルまであげて高度を維持した。風はいたって穏やかで飛行は順調だった。ハドソン河には船が行き交い、川岸では観衆がカーチスを応援していた。艀を曳航するタグボートから白い蒸気が吹き出て、上を行く飛行機に汽笛で挨拶を送っていたが、それは飛行機のエンジンと風に吹き消されてカーチスの耳には届かなかった。

(太字は引用者=俺)
このあたりのレナ奥さんは『名探偵ホームズ』のハドソン夫人という感じでしょうか。

ハドソン河に沿って下ること一時間半、予定の給油地であるポーキプシー市に着陸した。ポーキプシーは全行程のちょうど中間地点に位置している。ところが降りてみると、準備されているはずのガソリンが届いていなかった。やむを得ず、カーチスは車で見学に来ていた人々に、ガソリンを分けてくれないかと頼んだ。運よく、車に予備のガソリンを積んでいた二人の見学者から、合計五ガロンのガソリンを提供してもらい、おまけに潤滑油までもらってなんとか準備を整えることが出来た。

(太字は引用者=俺)
予備のガソリンが届かなかった、って、それは多分モリアティー教授、じゃなかった、ライト兄弟妨害工作だよ、ホームズ、じゃなかったカーチスさん。
しかし「ライト兄弟」って悪役にちょっといい名前だな、と思った。

このころのガソリンと言うのはグレードもなく、航空機用燃料などと言う物もなく、車も飛行機も一緒だった。その後すぐに併走していた汽車が到着し、レナが降りてきてカーチスに抱きついた。だが勝負はまだこれからだった。整備士は飛行機のゆるんだワイヤーを締め付け、飛行に備えた。
約一時間後、カーチスはポーキプシーを離陸した。しばらくしてハドソン河が蛇行しているところがあり、カーチスは直線飛行のため、立ちはだかるストームキング山を一気に越えなければならなかった。高度六一〇メートルまで上昇し、無事山頂を越えたその直後、どういうわけか、飛行機は急に、木の葉のように揺れて落下し始めた。カーチスは必死でコントロールしようとしたが、全く受け付けなかった。これを遠くから見ていたレナは心臓から口が飛び出るほどのショックを受けた。誰もが次に起こる不運な光景を思い浮かべたことであろう。それほどこの時の落下は致命的に見えた。飛行機は水面からわずか十数メートルのところで、やっと息を吹き返したかのように、カーチスの操縦の手に戻った。後にカーチスは「あの時、垂直にも風が吹いている事を初めて体験した」と言っている。
無事愛機のご機嫌を取り戻したところで、機は米陸軍士官学校ウェストポイントの上空にさしかかった。グランドに士官候補生たちがどっと校舎から出て来て、空を見上げてカーチスに手を振った。上空からこの様子を見たカーチスは、爆弾を飛行機から投下するなんて簡単な事だと思った。

(太字は引用者=俺)
なかなか絵(動画)にすると面白そうなシーンが続きます。

タッパンジー上空で、前方はるかにマンハッタンの摩天楼が見えてきた。もうすぐだと思った時、エンジンからオイルが漏れていることに気がついた。このままでは、最終ゴールであるガバナーズ・アイランドまで飛行できないと思った。とりあえずルール上のゴールであるマンハッタンの北端まで飛行して、そこでもう一度給油しようと考えた。
ニューヨーク市北部インウッドの丘の上に建つイシャム家の邸宅では、そこの主人がポーチの椅子に座って新聞を読んでいた。ニューヨークのトップニュースには、折りしもハドソン河の飛行コンテストの記事が乗っていた。ちょうどその時である、奇妙な音に驚いて表に出ると、そのカーチスの飛行機が自分の敷地に着陸していたのである。カーチスはイシャム氏にガソリンとオイルの手配をお願いし、そこで給油を終えるとすぐにガバナーズ・アイランドを目指して離陸していった。その後イシャム邸宅の周りは、カーチス着陸のニュースを聞いて集まって来た人々でごったがえし、警察まで出動する騒ぎとなった。

(太字は引用者=俺)
↑俺が個人的に一番好きなシーンはここなのでした。なにしろ日曜日の朝のことなんですね、この飛行は。休日でくつろいでいるときに、新聞で話題の人が、いきなり空から自分の庭に降りてきたら、それは誰でも驚きます。
しかし小型とはいえ、飛行機が着陸・離陸できる庭。イシャムさんもかっこいい脇役です。

ワールド社の条件であるオーバニー市からニューヨーク市までの飛行は達成された。カーチスの賞金の獲得は確実となった。あとは自分で決めたゴールまで飛ぶだけである。
マンハッタン島を左手に見て南へ飛行するカーチスと平行して、マンハッタンのリバーサイド・ドライブに、数台の自動車がカーチスと競争するかのように走っていた。でも飛行機について行くことはできない。歓迎の笛やベルが鳴り響くマンハッタン。やがてカーチスはマンハッタン島を越え、自由の女神像を一周するとガバナーズ・アイランドに着陸した。
着陸したのはちょうどお昼の十二時。ニューヨーク市長がカーチスを歓迎した。そこでカーチスはオーバニー市長から預かってきた手紙を、ニューヨーク市長に手渡し、これが初めての航空郵便となった。その日、マンハッタンのアスターホテルで昼食会が行われた。引き続き行われた夕食会セレモニーで賞金一万ドルがカーチスに授与された。飛行時間二時間五十一分だった。
ハドソン河のフライトはカーチスにとって、いい経験となった。カーチスはこの飛行を終えた後の記者会見で、次の二点を強調している。
1・大陸を横断するためにも民間飛行場が必要である。
2・やがて飛行機が軍艦に代わって重要な役割を果たす時代が来るだろう。
この二点の他に、記者に発表はしなかったが、カーチスがこの飛行中にひらめいたアイデアが、水上から離陸できる飛行機(飛行艇)の開発であった。

(太字は引用者=俺)
…というわけで彼が、ポルコ・ロッソと死闘を演じることになる、のちのミスター・カーチスなのであります。(2006年5月3日)
 
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