室井佑月さんの「(スポンタ通信私感で)嫌なオフ会」の話を少しだけ続けてみる
この話は、次のテキストの続きです。
→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060519#p1
相変わらず「スポンタ通信 室井佑月」で検索して来る人がいるみたいなので、少し言及して結論みたいなものを出して、おしまい、というか決着をつけてみたいと思います。
ぼくは室井さんともスポンタ中村さんとも面識はないし、二人のテキスト(blog)を読んだのは今回がほぼはじめてなので、お二人に関してはニュートラルな立場であることを最初に言っておきます。そのことは悪い意味では「無知」だし、あるいは「中立・客観的」である、とも言えます。で、どちらがどういう風に悪い、という判断をするためには、もう少し材料が欲しいと、特に室井さんのテキストに関しては感じたので、それに関するメモみたいなことを記しておきます(トラックバックを送るのもちょっと遠慮させていただきます)。
まず、ぼくのほうでしなければならないことのメモなんですが、
1・お二人のテキストについて、なるべくたくさん目を通し、どういう性格の人間であるかの判断材料を集める
2・お二人がどういう人たちに支持・応援されているか、あるいは嫌われているか、について、応援している人・嫌っている人の意見をなるべく数多く見てみて、その人たちの意見には、過去にどのようなことがあったのが原因であるかを調べる(特に「過去のいきさつ」については重要)
3・当日のイベント(オフ会)に出席した人の意見を、なるべくたくさん聞いて(見て)みる。その意見がどういう立場に基づいているのか、も調べる
という感じなので、これについてすべてをやることはなかなか大変そうです。
ただ、そういうことをやらないで言及すると「あなたは何もわかっていない」という人が必ず出てくると思うので、1〜3のことについて、ぼく自身が納得できるレベルにまで達したら、また言及するかもしれません。
で、スポンタ中村さんの以下のテキストで語られている「オフ会(イベント)」の様子ですが、
→室井佑月氏のブロガーオフ会について考える。...その1
「Love Love Love」出版記念 室井佑月とブログの仲間たち打ち上げ飲み会。というのが、5月7日に新宿歌舞伎町で行われた。6時スタートということだったが、田舎者の私は歌舞伎町で迷い、少し遅れて6時10分頃に会場に到着した。
(以下略)
オフィシャルな案内では、こんな感じでした。
→2006年5月スケジュール(ロフトプラスワン2006年5月7日)
「Love Love Love」出版記念 室井佑月とブログの仲間たち
打ち上げ飲み会
【出演】室井佑月(作家)、神林広恵(室井秘書。元「噂の真相」デスク)ほか
Open 18:00
料金:¥500(1drink付き/2杯目以降は別料金)
予約あり。詳細は「室井佑月blog」にて。
http://muroi-yuzuki.cocolog-nifty.com/
で、その内容が、「打ち上げ飲み会」という「オフ会的要素の強い企画」ではなくて、ただの「出版記念企画イベント」みたいな感じで終始してしまったのが、スポンタ中村さんにはいささか不満足だった、という話です。
→室井佑月氏のブロガーオフ会について考える。...その1
だが、私の予想はそうそうに裏切られる。「みんな。ブログにやばい話を書くなよな」。舞台上の同業者も、はてなダイアリーで検索すると、沢山検索されるような状況を危惧するような発言をした。
私のオフ会幻想は一瞬のうちに打ちのめされ、文壇交遊座談会に戻っていった。
この、「みんな。ブログにやばい話を書くなよな」というのが、その場で言ったことそのままの記録なのか、多少脚色があるのかは不明ですが、「やばい話」というのは、「やばさ」の加減をどう解釈するかも難しいとはいえ、別に「はてなダイアリー」では見当たりませんでした。
→夜色短歌〜ヨルイロタンカ〜(2006年5月17日)
自分探し=ネットで自分の名前を検索すること! そして自分の悪口を見つけたら、反論のメールやコメントを送りつける! 藤井さん曰く、『サーチ&デストロイ』! 枡野さんは、「物書きならみんな自分を検索するって!」と反論をしてましたが「検索はしてもデストロイはしない」とバッサリ。
あ、あとかん短でも書いていた、室井佑月さんのイベントに対して批判していた人の話題も! ちょっと気に入っているようで、「明るいステージに対して、暗い客席……」みたいなフレーズをよく口にしてました。その台詞も枡野さんが言うと激しくおもしろい! しかも客席にそのブロガーさんがいたので、スポットライトなどをあててあげていました。「でたー。サーチ&デストローイ」と藤井さんにつっこまれる。でも、そのブロガーさんの室井さんイベントへの不満を参考に、このイベント用名札を作成! 可愛い名札カードに自分の名前を記入する形式。会場内の有名な人を名指しして、「○○な人は○○さんに近づいていってください」と言う枡野さん。それすらおもしろい。
↑これは、2006年5月14日におこなわれた「カフェますの」という、もっとオフ会的色彩の強いイベントのレポート関連です。
→カフェますの/辰巳泰子歌会(枡野浩一のかんたん短歌blog)
5/14(日)枡野浩一プレゼンツ「カフェますの」
エッセイ集『あるきかたがただしくない』(朝日新聞社)で多くのファンを失った歌人の枡野浩一が、再起を賭けて「カフェますの」の店長となり、素晴らしき仲間たちと共に、本や芝居や映画の話をします。文章には書けなかったあんな話、こんな話……。気まぐれで古本を売ったりもします。カフェなので、この日は特別にホットコーヒーも飲めますよ。
(補足・この件については重要な誤解、というか誤認識があったようです。コメント欄参照です)
スポンタ中村さんは2週連続して「ロフトプラスワン」に行ったのですか。
しかし、「イベント用名札」というのは、顔なじみばかりとは限らないイベントには必須だと思いました。
なんか、枡野浩一さんのイベントについても、レポートなどを見ると面白いものが見つかりそうな気がします。
話を元に戻して、「室井佑月氏のブロガーオフ会について考える。...その1」の続きに、こういうのもありまして、
→室井佑月オフ会を考える...その2
→ソシアルトライアルとしてのM嬢オフ会より、スポンタが読み取ったもの。
それに対して、室井佑月さんが以下のエントリーを書いた、という。
→スポンタ通信へ(室井佑月blog)
5月11日
スポンタ通信へ。
はしたないと書かれて厭なのは、自分とおなじくと書かれたからだ。あたしははしたない人間だけれど、おまえみたいなはしたなさとは全然違う。一緒にするな。
性別のためかキャラクターのためかと書いているけど、おまえは差別主義者か。
自己肯定しっぱなしなのは自分だろ。よーく、胸に手を当てて考えてみなよ。言葉を巧みに操つってるつもりになって、逃げるんじゃないよ。
一見、小難しそうなことをいってるけど、結局は「僕ちゃんをもっと認めてよ。見てよ」ってことなんじゃないの。
正直に自分の感情を晒せなくて、なにがプロの物書きか。
小賢しいわ。
追記
座持ちの良さであたしが生きてきたってどういうこと?
悪いけど康さんのことについても、あたしは一度も仕事に利用したことはない。というか、まわりの人たちに「ダーティー」なイメージがつくから仲良いってことをいうなっていわれてるぐらいなんだ。
あたしのまわりの誰かに聞いてみなよ。あたしがそういう真似、したことがあるかって。
本業の作家稼業にしても、文壇政治なんちゅうもんとは無縁なんだよ、編集者や評論家ともほとんど付き合わないから「付き合いの悪い作家」で通ってるんじゃ。テレビにしてもレギュラー番組のプロデューサーなんかと飯もほとんど食わない。
何も知らないくせに、 貧困でステレオタイプな想像力で、物を書くんじゃない。それでもプロか?
あんたってほんと、差別主義ね。
あたしが女だからそう思うんだろ。
ほんと侮辱もいいとこだよ。
謝罪しろよ、きちんと。
(太字は引用者=ぼく)
こういう、ノリのいい啖呵は嫌いではありませんが、単純にテキストから読み取れる情報が少ない、もしくは偏っている、というのがぼくの当惑するところです。室井佑月さんが怒っている、ということを内輪の人間(過去のテキストをある程度読んできた人間)に対して伝えるには十分かもしれませんが、少し内輪を向きすぎているテキストになっていて、疑問に感じる部分が多いのですね。
まず、スポンタさんの以下のテキストについて、
→室井佑月オフ会を考える...その2
私や室井さんのような、ある意味はしたない人(日本社会にとっての異形のもの)は、発言や表現に躊躇しない。だから、それでいい。
室井さんは「おまえみたいなはしたなさとは全然違う」と言っていますが、どこがどう、どういう理由で「全然違う」のか、ぼくにはよくわかりませんでした(というより、別に二人とも、そんなに「はしたない」という印象も受けなかったのです)。
次に、
→室井佑月オフ会を考える...その2
追記:実際に怒鳴られてみると、その怒鳴りの源泉となった自己肯定感が、私には気になりました。私は、ブログにおいて、自分の自己肯定感が読者の批判にもっともさらされるものだと自戒しているので、最終的にそういうものをチェックし削除します。しかし、氏は、リアルなところの住人であるためか、そのキャラクターか、性別のためか、そういうものが許容されているようですね。
に対して室井さんは「性別のためかキャラクターのためかと書いているけど、おまえは差別主義者か。」と、元のテキストを加工した形で「差別主義者と思われるような記述である」という指摘をしていますが、「その自己肯定感は性別によるものもあるように、自分(スポンタ)には思える」という記述部分のみをとりあげて(強調して)語るのは、フェミニスト・非フェミニストの誤解を招くような印象を持ちました。はっきり言うと「差別主義者」という言葉を、批判の言葉として利用しすぎているかな、という感じです。
次に、
→室井佑月オフ会を考える...その2
御見合いの席じゃないけれども、もし康氏が、「あとは若いもの同志にして年寄りは退散しましょう」との一言があれば、出版作そのものや、ブロガーたちの交流がもっとできたのではないか。と思っている。座持ちのいいことで世の中を渡ってきたはずの彼女が不本意な振る舞いを強いられたのは、それにつきると私は確信する。
に対して室井さんは「座持ちの良さであたしが生きてきたってどういうこと?」と質問をしていますが、スポンタさんは「座持ちのいいことで世の中を渡ってきた」という表現をしています。それはともかく、ぼくの解釈では「その、ロフトプラスワンでのイベントでは、室井さんの『座持ちのよさ』という長所が十分に発揮できなかった」、ということなので、「自分はそういう女ではない(座持ちのよさとは関係のない女である)」というようなエクスキューズには少し疑問を感じました。ただ、これは実際にその場に居合わせなかったぼくとしては、判断のしようがないので、その解釈が正しいかどうかは不明です。
テキスト的に気になったのは、スポンタさんのこのテキストでした。
→室井佑月氏のブロガーオフ会について考える。...その1
梅田望夫の「ウェブ進化論」という本を読みましたか。そこでは、これからは、普通の人が単なる情報の受け手だけじゃなくて、情報の作り手にもなると書いてある。今回、室井さんがつくった本は、そういう意味でとても意味があるんだけど、じゃぁ、現実はどうなのか。といえば、どうなんだろう。
いま、ステージにいる人たちはエスタブリッシュの側にいる人たちで、暗い会場でステージを見つめている私たちはあきらかに非エスタブリッシュた。このイベントはそういうことを象徴的に現していると思うよ。
本が出る・出ないとかでエスタブリッシュ云々という話になっちゃうのが、web2.0的にあまりにもアレだよなぁ、ということなんですが、これはまた別の機会に、室井佑月さん・スポンタ中村さんとかとは関係ない形で話をしてみたいと思います。
(2006年5月21日)