その引用は正確なわけがありませんね、seabassさん

以下のコメント欄から。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060620#c
元テキストは以下のところにあるようです(確認しました)。
HaloScan.com - Comments

あくまで、「翻訳は原理的に正確ではない」で逃げ切ろうとしているみたいですね。
それなら、lovelovedog氏もApemanさんのエントリに対する理解が正しいかどうか事前にApemanさんにコンタクトを取って確認してから反論を書け、と言いたくなります。何しろ人間は原理的に誤読をしますから。
昔、哲学関係の新書かなんかで、「我々が認識している外界は果たして本当に実在しているのか?ただ感覚器官によってそのように知覚しているだけであって、本当は全然違うものなのではないか」といった内容のものを読んだことがありますが、ほとんどその領域に入っていますな。
あ、上の文章を書くに当たって、その哲学本の著者とコンタクトは取っておりません。
seabass | 06.17.06 - 8:35 pm | #

(太字部分は引用者=ぼく)
うわぁ。
ぼくがその「哲学本の著者」で、そのような形で元テキストの「引用」もどきのようなことをされてた、ということを知ったら激怒するでしょう。
まぁ、激怒する前にその「哲学本の著者」は、ぼくもしくはseabassさんに対して「そのような引用のされかたがあったという情報を耳にしたが、それは事実か」という確認はするとは思いますが。
で、ぼくのほうも、この「seabass」というハンドルを持つ人に、「そのテキストを書いたのは、本当にあなたなのですか」という確認をしないといけないのですが、なにしろメールアドレスも不明な掲示板の書き込みなので、誰かの自作自演であるという可能性も含めて、レベル的には抗議・異議申し立てというほどでもない立ち位置で何かを言ってみます。
その前にまず、「翻訳」の件ですが、元テキストに対して数種類の翻訳本が存在する、そしてその記述はそれぞれ微妙に異なっている、ということはseabassさんも認めますね。
ぼくの「翻訳本が「正確」なわけはありません」(パラフレーズ)という話は、これで終わりです。
別に逃げたとか逃げ切ったりとかはしていないつもりなので、いくらでも「翻訳本は「正確」である」という話を、可能ならばぼくの日記のコメント欄でしてみてください。
ここに何を書いているか、に関するseabassさんの言及の具合から考えると、ぼくのテキストを読んでいる可能性は高そうです。
まぁ何もリアクションがない場合は、当人が存在するかどうかの確認もしていないわけなので、「架空の存在が釣りを楽しんだだけ」とでも考えておくことにします。
もう少していねいに言うと、ぼくが言っているのは「翻訳本は、元テキストとのゆらぎが許容範囲内である場合が多い、という点において、娯楽として読んだりする分には「正確」の要件を満たしている。ただし、そのテキストに対し、何か批判・異議その他のリアクションを取るための要件は満たしていない」ということです。
日本語でしかシェイクスピアを読んだことのないなんていう英文学者・シェイクスピア研究家は存在しないだろうし、それとは逆に、英文でシェイクスピアを読んでいる普通の読書家はそんなに多くないだろう、ということで、それはわかりますね。
でそれはそれとして、やはり気になるのは、「哲学関係の新書」というばくぜんとした元テキストの紹介のしかたです。「我々が認識している外界は果たして本当に実在しているのか?ただ感覚器官によってそのように知覚しているだけであって、本当は全然違うものなのではないか」といった内容、とのことですが、
そのテキストが掲載されたは何という名前の本で、それの何ページに書いてあったことなのか。
そのテキストの前後の文脈はどうなっているのか。
その著者はほかにどのような本を書いているのか。
弟子筋・師匠筋にはどのような人脈があるのか。
に興味を持ちました。
これは別にseabassさんを責めたりとか批判したりするとかじゃなくて、純粋に「そのようなことを言っているのは誰なのか」という、純粋かつ単純な興味です。
もし可能でしたら、ぼくの日記のコメント欄で、その「哲学関係の新書」に関する、もう少し正確な情報をいただけるとありがたいことであります。
 
(追記)
「はず」は広辞苑によれば「当然のこと。道理。わけ。」の意です(少し追記あり)
これについては後でもう少しちゃんと述べてみたいと思いますが、一つだけ。

また、私は lovelovedogさんと接点をもたない第三者ではない、というのが lovelovedogさんの主張のようですが、それを言うならSWCの抗議文が『文藝春秋』編集部に届いた時点でもはやSWCは接点をもたない第三者ではありません。

ええーっ!?
もう一度ぼくのテキストを補足しながら引用すると、

「当人(元テキストを書いた人間)=笹幸恵に対して接点を持たない第三者」=POWの翻訳者により、当人に確認を取らないまま伝えた情報=SWCおよりレスター・テニー氏が知ることになった情報、が「正確」なわけがありません。

「抗議文」が届く・届かないとは関係なく、「POWの翻訳者」は、「抗議する側の当事者」でも「抗議されるようなテキストを書いた・載せた側」でもない第三者で、それをぼくは問題にしているわけですが。
たとえば誰かからapesnotmonkeysさんに、「この間たまたまある席で愛・蔵太さんにお会いしたんですが、なんかapesnotmonkeysさんのことを「あの知障のヘタレ左翼が」とか悪口言いまくってましたよ」というメールが来たとしましょう*1
そのときにapesnotmonkeysさんはどうするか、という話です。
まぁ、今回の例ではPOWはSWCとそんなに敵対する関係でもないので、そのメールの差出人は「apesnotmonkeysさんとは接点はあるが、ぼく(愛・蔵太)とは接点を持たない第三者」だということにしましょう。apesnotmonkeysさんの掲示板に応援コメントを書き込んでいる人とかかな。
(2006年6月18日)

*1:ぼくのテキストの中に「知障」とか「ヘタレ左翼」というような語彙はないのですが、まぁ仮の話なので